「明るい高齢者雇用」

第38回 人間性重視の職場を―衰える心身機能:企業努力も不可欠

(「週刊 労働新聞」第2185号・1998年1月12日掲載)

 

これまで述べてきたような高齢者であるがゆえの社会的、肉体的、精神的な制約をクリアし、様々な機能を維持するための方策として、どのような視点があるのか。

現代では、仕事がソフト化し、判断・意思決定、点検・検査、監視などの精神的な機能を発揮することが求められている。一方、身体的な作業能力を必要としない仕事はないのだから、判断力などの機能を充分果たすためにも、身体的機能は重要となる。高齢者は少しでも眼や耳などの働きの低下を遅くするような努力を怠るべきではないし、それをサポートする企業側の種々の対策も必要となる。

また、病気になると気力面でも弱気になりがちとなる。高齢者には心身の「健康」が特に大切となろう。作業関連疾患やストレス関連疾患といわれる高血圧や糖尿病などの成人病は、仕事に関連した要因により発症したり進んだりすることが判ってきている。つまり、これらの成人病の予防には、仕事の仕方、職場の組織や作業環境も考慮しなければならないということになる。

生産性の点からも、後に紹介するトヨタ自動車(株)の白水宏典常務取締役は次のように語っている。「工場では、作業が定時終了の時にはトラブルが少なく、ラインは止まることなく完全生産稼働ができます。しかし、残業を要請される日には、稼働時間が長くなるので人も機械も連続運転で疲れが出て効率が悪くなるのです。そこでこれまで定時と残業の間には労働時間の関係から休憩がなかったのを、例外として、思い切って『品質チェックタイム』という名目でラインを止めることにしました。休止する時間を設けることで、ラインの総合稼働率が向上しました」。

空白の時間を設けて作業者を緊張から解き放つことにより、生産性を上げることに成功したこの例は、作業条件にストレス緩和策を講ずる必要のあることの1つの証左であろう。

働きやすい職場づくりが高齢者の職務満足や意欲づくりの保証となる。活力ある国民経済の維持発展のためにも、また、中高年者が自らのQOLQuality of Life…生活及び人生の質)を高めるためにも「中高年が働きやすい職場づくり」「高齢者が生活しやすい社会づくり」は避けることはできない。さらには、この中高年齢層をターゲットとした「働きやすい職場づくり」こそが若年者をはじめ職場の人たちにとっての働きやすい職場づくりに通じ、組織や社会の活性化をもたらすものと考えられる。高齢化社会における職場環境づくりはこのような「より人間らしい仕事や職場づくり」を推進する以外にない。

さて、今後の中高年問題を考える際には、中高年の労働能力の活用こそ高齢化社会における国民経済の活力を維持する途でもあり、急速に進行しつつある高度情報通信技術はそのような労働環境を実現する上で役立つ可能性を大いにもっていることに留意する必要がある。こうした技術基盤のうえに労働環境の整備や労働条件を中心とした労働生活の質(quality of working life)の向上を目指すことが今後の高齢化社会において欠くことができないものとなっているのである。

高井伸夫の社長フォーラム100講座記念~1講1話・語録100選~

<第40回>「迅速・スピード・時間」を意識した経営を

(1997年8月20日)

 

※本稿は1997年当時の講演を元に2004年に編集されたものです。

 「アジル経営(敏速経営)」の話をしてもう3年ぐらいになる。それから1年ほど前に「ドッグイヤー経営」という話をした。これは、犬の1年は人間の7年に値するから、今までの7倍速で仕事をしなければならないということだ。

 「考えるだけで実行しない」姿勢では経営は乗り切れない時代。つまり決断力を要請することが経営には不可欠だ。迅速な決断が経営体力を強める。的確な判断力・決断力を持った人を経営者に据えなければやっていけない時代だ。

 限られた時間に倒産から遠ざかるためには、一目散でなくてはいけない。ぼんやり時間を空費することは許されない。時間を意識しなければならなくなったのは、社会が委縮し、破たんに向かっている状況が反映されているからだ。右肩上がりの時には「安全だからゆっくりでもいい」という意識だったが、今はもうゆったり気分ではいられない。「一刻も早く安全な地帯に行きたい」という気持ちが時間を意識させているのだ。

 危機感が募っている消費者の心をつかむためには安全地帯に導くこと。消費者や一般市民がたくさんの防護策を講じるには、時間が必要になる。これが時間の大切さを意識していることになる。

 例えば、写真の現像が15分でできると保証すれば大当たりするだろう。時間に余裕が出来、安全が買えるなら少しぐらい高くても人は集まってくる。

 有能な人とは、何でも短時間で仕上げる人である。早く用件を済ませることで残りの時間をほかに使えるから、より安全な地帯に行ける。危険の淵から遠ざかることができる。それが時間を意識するということである。

 お客様を待たせるのは絶対ダメ。電話でもあまり待たされると切りたくなる。不安感、危機感が社会的に蔓延しているのである。

 経営の中で切迫感、焦燥感を与えるのは、社長の決済が遅いところから始まる。社長の決済は即日決済を旨としなければならない。何日考えても意味がない。私は即日決済だ。即時の判断力、決断力が要求されるが、それができない人は社長を辞めるべきである。

 何も社長だけ努力しろというのではない。営業部長、資材部長、経理部長も迅速決済をしなければ、この苦しい時期を乗り切ることはできない。後回しにせず「今」を心がけよ。少々間違っても何もしないよりはいい。

 最近はやっているのがCEO。会長が最高経営責任者になるシステム。社長は最高執行責任者、会長は最高経営責任者というシステムが日本でも取り入れられている。会長が考え、社長が実行する。これはアジル経営にとって好都合のシステムだ。会長が方針を示せば社長は考えずに実行できる。

 これからは鋭角的に経営政策を展開しなければならない。葛藤、矛盾、軋轢、煩悶を乗り越えてこそ、競争場裡で初めてイニシアチブをとることができる。そうなると、考える人と実行する人とを別にした方がいい。これからの経営はCEO(最高経営責任者)が当たる。この人が経営戦略を決定し、経営政策を鋭角的にCOO(最高執行責任者)に実行せしめる。

 

「明るい高齢者雇用」

第37回 職場作りに工夫を―衰える心身機能:専門性の最大発揮へ

(「週刊 労働新聞」第2184号・1998年1月5日掲載)

 

 高齢者の雇用を考えた場合、それまでの豊富であるはずの経験が単なる知識としてだけであるならば、その経験は「頑固さ」や「過去の回想」に終わってしまう。高齢者の豊富な経験を生きたものとするためには、その経験がその人の興味や意欲に支えられる必要がある。「明るい高齢者雇用」においてはこれらの点が考えられなければならないだろう。

 ここに、高齢者には新たな能力開発をし、以前とは異なる業務に就かせるよりも、むしろ彼が業務の何に興味を覚え、何に喜びを持つかを分析し、それを与えていく方向性を見出だすことの方が重要であるという考え方が出てくる。彼の専門性を生かすということである。それは若年から中年にかけて、専門性を高める企業内教育を進める、人事施策を講じるということにつながっていくだろうし、今後の高齢化社会は高齢者の専門性の形成を促進するような仕事のあり方・職場づくりに今までとは異なった工夫が新たに必要となる時代に入って行くのである

 このことは、精神医学的立場からも説明できる。人間の精神機能の中で加齢により機能低下が起こるのはまず記憶能力の領域が主体となる。人間の仕事能力は「経験」という記憶の蓄積に裏付けされたものによって左右される。高齢者の仕事能力は若い人と比較して記憶能力の差だけ劣ることになる。高齢者によりベストな仕事能力を求めるとすれば、経験を積んだ専門性の中にあることが理解できよう。

 高齢者は定年制などによってやむなく職を離れなければならないといった制約が出てくるほか、高齢になるに伴い、人間は生理的機能において衰退を示すため、活動範囲が限定される。そうすると高齢者は自分の経験からくる誇りともいえる価値感覚が萎え始める傾向が出てくる。これを最小限に抑えるためには高齢に至るまでの豊富な経験を生かし得る環境にその高齢者を置くこと、即ち仕事を含めて生活・社会状況に意欲や興味を持ち続けさえることが必要である。そのためには、社会的制約を乗り越えるための本人の努力と、これをサポートする企業側のシステムが必要となってくる。

 「高齢者社会における技術革新と労働の人間化―高齢化社会への対応を目指して―」(労働科学研究所出版部刊、鷲谷徹他著)にも「人間の労働諸能力は年齢の上昇に伴い一律に低下するわけでは決してない。身体的諸機能の低下は決して労働能力低下とイコールではない。むしろ、十分な作業経験、社会的能力等のそのような諸機能低下を補って余りある場合もある。労働をめぐる諸環境を整備し、良好な条件のもとで働くことが可能であれば、高齢者もその労働能力を十分発揮できるし、しかも、そうした労働環境のもとで働くことこそが、人の労働寿命を伸ばす条件なのである」との考察が見られる。

 加齢は、必ずしも労働能力の低下を意味するものではない。むしろ、仕事の領域や置かれた環境によっては、さらにその能力が発展し高まることもありうるのである。この事実を認識し、高齢者の能力を生かすための諸施策が検討されなければならない。

高井伸夫の社長フォーラム100講座記念~1講1話・語録100選~

<第39回>分配(シェア)の社会から競争(コンペティション)の社会へ

(1997年7月23日)

 

※本稿は1997年当時の講演を元に2004年に編集されたものです。

 日本の社会で談合が続くのは日本の社会がシェア(分配)の世界だから。日本は非常に知的レベルは高く、組織性や社会の構造・秩序を保持する才能のある国だったが、基本的に貧しかったため、集団主義、富の分配で社会が成り立っていた。これが談合がなくならない理由である。

 欧米ではシェアではなくコンペティション(競争)という概念で社会秩序が形成されている。競争社会で生死をかけて皆が戦うため、フェアという概念が早く成熟した。

 アメリカではフェア・コンペティションといって、ルールの尊重が非常に厳しい。日本が不透明・不可解・怪しげな国だという印象を持たれるのは、日本がアンフェア・シェアになってしまっているから。欧米はフェア・コンペティションである。ここに概念の違いがある。

 日本ではシェアという概念で秩序を大事にすると言いながら、アンフェア・シェアになってしまっている。それが国際化によって叩かれ、野村證券や第一勧銀の問題が起こってきたのである。しかし日本社会はフェア・シェアになり切れない。コンペティションという世界を経ずしてフェアという概念は成長しない。そういう意味で日本は三等国ぐらいで終わってしまうわけである。

 1900年に16億人だった世界人口が2000年には60億人、2020年には80億人になる。インド人並みの食生活で地球が維持できるのが100億人。アメリカ人並みの食生活だと20億人。地球で維持できるのはせいぜい80億人が限界だろうといわれている。

 そこで再びシェアという概念が登場する。一時、シェアという概念は共産主義国家として成長し、崩壊した。共産主義は考え方を単一化しなければ分配の公平があり得ないため、思想の自由、表現の自由が重要とされる世界では考えられず、結局崩壊するのだ。

 しかし改めてシェアの世界が後10年ぐらいで登場する。その時に日本は残念ながら勝ち抜けない。世界のシェアはフェア・シェアであり、それに比べると日本のシェアは怪しげだからである。そこで太刀打ちできなくて、日本は二流国、三流国になっていくだろうというのが私の見通しである。

 

「明るい高齢者雇用」

第36回 新しいものを拒否―衰える心身機能:再教育が不可欠に

(「週刊 労働新聞」第2182号・1997年12月22日掲載)

 

 高齢者に意欲を持たせるということは、新しいものに対する理解に努める姿勢を堅持させることであるが、さらには、あることを成し遂げたという達成感を与えることで意欲の衰退を防ぎ、それを保持させることにもつながろう。それには教育というものが必要だし、これが自己啓発を刺激していく。さらに本人の好きなものの領域、即ち指向性のある領域で活躍させるのが、意欲を継続させる方途となる。「好きこそ物の上手」という言葉もある。彼が好まない、あるいは嫌悪する領域で仕事をさせても意欲が沸くはずがないのである。もちろん、中年までの職場生活で意欲が沸かないような仕事ぶりや、達成感が不足するような仕事を長年続けて、突然、高齢になってから教育を始めても成果は期待できない。何事も先を見通すことが必要である。

 労働科学研究所から出版されている「年齢と機能」という書物の中に高齢者の行動特性について興味深い箇所がある。参考となるので少々長いが引用してみる。

 「…いままでに報告されている心理的諸機能の経年変化を見ると、心理的機能によっても違うが、ある年齢にあると衰退を示すが、経験の価値感覚は…年齢とともに広がりを増し、多様化するはずである。ところが高齢者には何をしても『満足しない』『喜びを感じない』『過去の生活だけを回想し、懐かしむ』『自分の考えだけを頑として守り押し通す』というようなことがしばしば観察されるが、これは価値属性の感覚の不毛を意味する。行動の価値属性の感覚がなければ、個人の過去の基準が少しも動かないこととなる。そのことが『過去の回想』『頑固』となって現れる。高齢者は若年層に比べて成長発達の長さにおいて一歩先んじているのであるから、経験を豊かにする条件において勝っているはずである。しかしもう1つの条件である全生活状況の範囲の広さと多様性において、個人的あるいは社会的に極めて大きな制約を受けている。例えば生理的機能において高齢者は著しく衰退を示すため、活動範囲が限定されるとか、定年制などによってやむなく職を離れなければならないといった制約が、経験の価値感覚の増加を止め、価値感覚の基準を固定化している。…」(森清善行『中高年者の心理的機能―その問題点』労働科学叢書66「年齢と機能」66-74頁)。

 人間は、外界に働きかけを行い、その結果として得られる情報を、意味を持つつながりを付けて記憶などのネットワークの中に保持し、生きた情報にするといわれている。このネットワークから得た情報を基に、常に更新された認知構造を持って外界を認識し、再び働きかけを行っているという。この基ともなる視覚や聴覚機能や記憶機能などの加齢に伴う低下は、外界からの新たな情報の受け入れとその情報の保持を難しくする。これは新しく変わる認知構造の幅を小さくさせることにつながる。その結果、すでに獲得されている経験からの情報に依存して、物事に退所しようとする行動をとりがちになるのである。従って、いかにして新たな認知構造を付与していくかということが高齢者を巡る教育の視点となろう。

高井伸夫の社長フォーラム100講座記念~1講1話・語録100選~

<第38回>企業には「ターゲット・セッター」が必要だ(1997年6月25日)

 

※本稿は1997年当時の講演を元に2004年に編集されたものです。

 上海に法律事務所を設立する申請書を上海市政府に提出するにあたり、日本企業20社ほどの推薦状が必要になったため、先日ソニー副社長の橋本綱夫さんにお会いしお願いした。

 ソニーの業績を訊ねると、橋本さんは「うちはターゲット・セッターに恵まれていますから」とおっしゃった。ターゲットとは経営目標のこと。セッターとはバレーボールのセッターと同じで、様々な条件の中で、得点をあげるためにボールを誰に打たせるかを瞬時に決定する人。

 橋本さんは、アタッカーやポイントゲッターに恵まれている、とは言わず、ターゲット・セッターに恵まれているとおっしゃった。私は目からウロコが落ちる思いだった。

 企業にターゲット・セッターがいないところはダメである。年間のターゲットを定めても、厳しい変化に対応するために目標を微調整する人が重要になる。橋本さんはまさに人事と人材の時代にふさわしい話をして下さった。

 原則倒産の時代の中で生き残るためには、同業他社の客を奪い取っていかなければならない。共存共栄の思想はない。「打倒、同業他社であれ」という話は社長フォーラムで繰り返ししているが、ターゲット・セッターとは、同業他社をつぶす戦術を展開する人でもある。

 今回はこれに加えてドメインの話をする。ドメインとはビジョンとフィロソフィーを合体させて自社の事業領域を確定すること。ビジョンと経営哲学を持っていても、限られた時間と戦力でライバルを倒すためには、ドメインの決定が非常に大事になる。事業領域の確定が経営体として今一番肝要なことである。

 規制業種には、ビジョンの発見、フィロソフィーの設定、ドメインの決定をする必要がなかった。こういうところでは事業家センスが要求されないだけに、競争社会でなくなる。当然、競争原理は否定され、優秀な人材が出たら殺されてさえしまう。

 いま企業としての事業領域、ドメインの決定が極めて大切な時代になっている。自社のセールス分野を確定しないでライバルとの戦いを乗り切ることはできない。

 今日のライバルだけではない。明日のライバル、明後日のライバルを絶えず意識して今日のライバルを潰さなければいけない。企業の安定地帯はもうなくなった。今日のライバルだけを意識してやっていると、社員はそれを倒したあと、次のライバルを倒す目標を見失い意欲さえ削がれる。今日のライバルと戦いながら、明日、明後日のライバルを社員に意識させるのが経営者である。

「明るい高齢者雇用」

第35回 ワン・モア精神で―衰える心身機能:新たな刺激も不可欠

(「週刊 労働新聞」第2181号・1997年12月15日掲載)

 

 前回の最後に前原氏の持論を紹介した。氏は「中高年者には成人病はつきものである。こんな時期こそ中高年世代が仕事と生活の在り方を『せっかく論』で振返るのもよいではないか」と、中高年の健康作りは近視眼的にことを運ばずに、「『人間らしい職場づくり』を先読みした中で焦らずに」と述べている。

「せっかく高齢者になったんだから以前より余裕のある生き方を」と観念することによって、自らの心身機能を含めて事態を正確・冷静に把握することができ、仕事や生活のバランスや残りの人生設計を考え直すことで、高齢者は明るさを取り戻せるのである。

 さて、高齢者の意欲の問題もまた重要な課題である。高齢者には好奇心の減退、意欲の喪失等が伴うことも広く知られているが、意欲を持ち続けること、新しい刺激に向かっていくこともまた、明るい高齢者雇用の実現にとって必要不可欠な要素となろう。それは人間の資質の問題とも絡んでいるであろうが、本人の「気の持ち様」ということにもなる。その気の持ち様は若年・中年の時代から指向性によっているということである。ワン・モア精神、もう1つ深く、広く極めるという姿勢が若年・中年において継続されるならば、高齢者となってもその指向性は幾らか微弱になろうとも、なお健在であろう。若年の時代、中年の時代からの生き方・仕事への取り組み方が高齢になってからの意欲・態度を左右するということになる。もちろん、若年から中年にかけての仕事の場面での「意欲の持たせ方」の工夫も大事である。意欲あるところに初めて、能力の向上が見られるといってよい。

われわれが受ける視力や調節機能(ピント合わせの機能)などの眼の検査でも、「標識をよく見て下さい」という言葉に励まされて見れば、その標識を識別できることがあるのも、意欲や意思などの精神機能と眼の機能との間にお互いに関係があることを示す一例である。意欲が無ければ機能の減退あるのみといっても決して言い過ぎでないのかもしれない。

この意欲もまた昨日の1つであるから、その機能の活用に心することは機能の維持につながると言ってよい。機能は使わなければ低下する一方であるからである。人には「物事に対して最少の努力で済ませよう」という面があるが、高齢者ではこれに加え、加齢による記憶力などの衰えから周りの環境の変化に応じて自らの認知の構造を変えづらくする、という面が特徴となってくる。すべてのことを現有の認知構造の範囲内で処理しようとする傾向が強くなり、新たな能力を開発しようとする努力が減少してくる。使わない昨日の低下は増す一方で、残っている機能はしばしば使われることにより活性化される。それが、新しいことは覚えようとしない、いつも同じ行動をとるなど、高齢者特有の行動パターンとなって現われてくるのである。

 そこで、若いうちからの教育はもちろん大切だが、高齢者にも教育を進めることが必要であるという考えが出てくる。次回は、この教育の問題について高齢者の行動特性から考えてみたい。

高井伸夫の社長フォーラム100講座記念~1講1話・語録100選~

<コラム>社長の接待学 その1・その2

 

社長の接待学(その1)~接待も成果主義で~

 私は、接待は大いにやりなさいと言っている。いまこそ接待が効果を発揮する時代だ。

 接待も成果主義でやらないといけない。つまり、話がまとまったときに接待する。まとまる前だと食い逃げされる恐れがある。これは私の実感だ。だから「この話がまとまったらパッとやりましょう」と堂々と言うわけだ。そうすると、まとまらない話もまとまる可能性が少し出てくる。少なくとも結論が早くなることだけは確かだ。

 

社長の接待学(その2)~「残心」の演出~

 接待は終わりが大切だ。まずお見送り。営業が成功するコツはエレベーターの前まで送ること。もっと熱心な社長は1階までついていき、車が見えなくなるまで頭を下げる。

 そして別れ際に「またこういう機会があればいいですね」と必ず言うこと。一度きりではなく、2度3度あり得ると思わせる。そして翌日、必ずお礼状を出す。

 これは「残心」の世界の極地だ。こういうことは社員にもしっかり教えないといけない。

「明るい高齢者雇用」

第34回 中年自殺が増加へ―衰える心身機能:“心”の問題重要に

(「週刊 労働新聞」第2180号・1997年12月8日掲載)

 

 高齢になれば誰しも人間としての機能が低下する。明るい高齢者雇用の実現には、この事実を受容し、前提としてかからなければならない。60歳の定年を境にガタッと落ち込む人がいる一方で、第2の職場でかくしゃくとして働く人も多い。そこで、今回からは労働科学の側面からこれらの心身の様子を検討し、明るい高齢者雇用のあり方をまずは「心身」という大きな枠組みの中で分析してみよう。

 まず第1に指摘しなければならないのは、「精神」の機能も「体」以上にバラエティーに富むという事実である。つまり、精神機能は高齢になっても十分な機能を保っている面もあり、50歳代まで発達し続け、60歳位までは30歳以前よりも水準が高いものも出てくる。精神的といっても数多くの機能があり、単純に同じ様に加齢に伴い低下するとは言えないのである。高齢者は機械的な暗記には弱いが、意味を持った事柄の記憶はさほど悪くないという実験結果も出ている。

 また、高齢者に対する記憶のさせ方も、自分にあったスピードで覚える場合には若者との成績の違いは少なくなってくる。高齢者の記憶実験の成績などがかなり異なってきたり、精神機能が単純には衰えていないという結果が出るのは、覚える内容や覚え方の違い、練習の効果による差であるとされている。これらが高齢者の個人差に他ならないのである。

 この個人差はまさに20歳・30歳からの心構え、即ち「精神」にみずみずしさを涵養することへの努力があったかどうかによって顕れる

 次に「心」の問題の極端な例である精神疾患や自殺の例で、精神的不健康の実態を見てみる。警察庁が最近発表した自殺統計では、50歳代の割合が90年代に入り徐々に増加しており、また、管理者の割合の伸びが著しくなっている。一方、都内の金融機関の調査では、精神疾患と診断される例が中間管理職に多く、とりわけ最近では30歳代の男性に目立つと報告されている。「体」以上にばらつきがある「心」の問題は、今後の高齢者雇用問題に大きく投影する。

 さて、「せっかく高齢者になったのだから」というコンセプトでなければならないと提言しているのは、(財)労働科学研究所労働生理心理研究部主任研究員・前原直樹氏である。労働科学研究所は、工場やオフィスなど産業現場の労働に関する実証的な調査研究を行い、作業方法、職場環境や労働生活の改善に役立てることを目的に活動している文部省所管の民間研究所である。その研究方法は、医学、心理学、工学、社会科学などにまたがる学術的なアプローチを基に、現場の問題解決に有効な科学的で現実的な対策を提言するというユニークな特色をもっている。1996年の『労働の科学・51巻・7号』で前原氏は「せっかく中年というハンディを背負ったんだから」という巻頭言を書いているが、そこでは「21世紀はハンディを持ちながら働き続ける人が増える時代であり、その中心は体力が衰えた中高年であることは間違いない。」だからこそ「体力の衰えを経験と知性で補うことが必要だ」と述べている。

高井伸夫の社長フォーラム100講座記念~1講1話・語録100選~

<第37回>絶対的な評価基準はない~社長の主観を明確にする以外にない~(1997年5月21日)

 

 人事と人件費の問題にメスを入れる時に、いつも遭遇するのは評価の問題だ。経営者は、いかに正しく評価するかを考え、それを見直し続ける努力を惜しまないこと。それが企業の発展と共に、浮揚感、上昇感を与えることにもつながる。評価の問題が一番難しいのだ。

 足腰の時代はスピードで評価できた。手先の時代はスピードと手際の良さ、即ち品質で評価できた。商業・サービス業の口先の時代は売上げという数字で決着がついた。

 ところがソフト化の時代となると非常に評価が難しい。評価する人の感じ方、考え方、思い方によって評価が左右されるからだ。

 主観で評価するためには八方美人ではダメ。経営者の個性によって評価されるということを社内に浸透させること。そして主観性を明確にすることだ。モノサシをはっきりさせて評価基準を社内に透徹する。社長がモノサシを明確に定めること。それを明確に語り続けること。

 年功序列給は年を重ねるごとに雪ダルマ方式に賃金が増えるシステム。一方、年俸制は下がる人もあれば上がる人もいるという世界を作ることである。各人が成果を上げ、そして企業の業績が上がれば給料も上がるというシステムだ。

 ただし年俸制は評価基準の明確化が一層求められる。ソフト化の時代になったがゆえに、管理職の評価基準が非常に難しい。社長は、企業のソフト化の要請に応じた管理職のマネージメント力を判定する数値的なモノサシを持たなければならない。モノサシを明確にし、それがなぜわが社に必要かを語らなければならない。

 

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