「明るい高齢者雇用」

第3回 包容力ある社会へ―企業にも重い責任―

(「週刊 労働新聞」第2149号・1997年4月21日掲載)

※当時の文章のまま掲載しております。

 

 アメリカ南フロリダ日本協会(非営利団体)専務理事をなさっている遠藤岐子さんにこのほどお話しをおうかがいする機会があった。

 南フロリダは避寒地としても有名であるが、マイアミの中心としてカリブ圏・中米・南米の経済の中心として位置付けられている。マイアミから車で約1時間のところにある“ボカラトン”という地域が著名であるが、南フロリダにはボカラトンを始めとする多数の「ハッピー・リタイアメント リゾート地」がある。

 遠藤さんはアメリカに移住され既に28年になるが、南フロリダ・マイアミには24年間にわたって生活されている。最初の17年間は個人で事業をなさり、1989年には商工会議所兼文化教育団体であるアメリカ南フロリダ日本協会を創立された方である。

 協会の仕事の一環で、種々の現地団体、企業との付き合いもあり、日本からの視察団や新聞記者を案内して回っているので、高齢者、アメリカの社会問題等とも日頃接しておられる。

 

Q、アメリカは高齢者であるとか、年齢を意識する社会ですか。

A、アメリカに来て指摘されたのが、歳を気にすることでした。日本のように、「△△歳のくせに」という表現は一切聞きませんし、「言うな」と言われたほどです。要は、“出来るか”“出来ないか”の違いだけなのです。言い換えれば“自分は自由に動けない・独立生活が出来ない”人は世間で別扱いを受けます。ですから、身障者も、年寄りで動けない人も同じ恩恵があり、同じに扱われます。

 

Q、そうするとアメリカでは高襟者も明るく生活していますか。

A、「明るい」「明るくない」の問題は、雇用問題ではなく、年齢を気にする社会かどうかではないでしょうか。

 日本の駅や公共施設を見ても、階段が多く歩く距離も長く、若者本位の国のように受け取れます。年寄りでも若者と同じように生活が楽しめる公共施設があるのがアメリカです。ニューヨークの市バスは老人が乗ろうとすると油圧で車体を下げて乗りやすくします。“ニーリング(ひざまずく)バス”というのですが、まさに老人に公共の乗り物であるバスがひざまずくのです。

 「若くない」と痛感させるようにできている社会と、年齢差を関係なく同じことができる社会。ここに何か重要な観点があるように感じます。

 

 高齢者になれば肉体的老化は避け難い。それゆえ力仕事ができなくなり、また敏捷さに欠けることになるが、それを包容してこそ今後は健全な社会が維持されるということであろう。

 企業の諸施設もそのようなものでなければならないということにつながる。モスクワの地下鉄のエスカレーターのスピードの早さに驚き、そこでは高齢者に対する思いやりがないと強く感じたこともあったが、アメリカから見れば日本社会も同様であろう。

 

 

高井伸夫の社長フォーラム100講座記念~1講1話・語録100選~

【第6回】時短反対~労務管理のコツは忙しくすること(1993年11月17日)

 

 労働時間の短縮が正しいなら、労働時間ゼロが正義となる。人は労働によってつくられる、というのが私の考え方の基調だ。だから労働時間の短縮は間違いだ。

 人間が人間である所以の、手、足、口、頭を使って一番充実している時間は働いている時だ。働いている時間が一番人間的に機能しているわけだ。だから「責任ある仕事、厳しい仕事に耐えてきた人の顔は美しい」とか、同窓会で「各人の面貌に人生の軌跡を見る」などと言うのは、そのことに起因している。

 労働時間の短縮は人間的劣化を招く施策であると言ってよい。

 労務管理のコツは、忙しくすること。「小人閑居して不善を為す」というが、ヒマはろくなことがない。忙しく働くことによって、生産性向上という側面ばかりではなく、人間的な充実感を味あわせることが大切だ。

 企業としての適正な労働時間とは何か。これは、競争力を保持できることを原則として、各企業で考えなければならない。私は「中小企業では年間2,000時間」と言っている。再建会社だと2,400時間。

 私は、ある会社の再建の過程で社長代行を経験した。そのとき朝礼は朝7時からにした。労働時間の延長であるが、その努力を裁判所も認めてくれた。

 ほとんどの企業では土曜日・日曜日は休みが慣例化しているが、社長、幹部は土・日も働かなくてはいけない。また、有能な人材は早く管理職にして労働時間の拘束から解放する方向をとらないといけない。

 働くことは人間をつくるのだから、働き過ぎは悪いことではない。

 

 

「AIと私たち」 第8回

AIがAIをつくる未来

 

 AIは幾度かの「冬」を超えつつ(当連載第1回参照)も、着実に研究・発達・進化を遂げ続けている。四半世紀後に迫る「2045年問題」は現実となるのだろうか。

 

■2045年問題とは

 コンピューターチップの性能は18ヶ月(1.5年)毎に2倍になる、と予測した「ムーアの法則(1965年発表)」に基づいて計算すると、2045年にはコンピューターの性能が人間の脳を超える。これが2045年問題である。

 実際に、これまでコンピューターは「ムーアの法則」並みの速さで進化を続けており、「学習」が可能となったAIを備えればその進化は加速度的に進む。人類の知能を超えたAIが、更に自分よりも優秀な「AI」を開発すれば、AIは爆発的スピードでテクノロジーを自己進化させ、人間の頭脳ではもはや予測・解読が不可能な未来が訪れると予測されているのだ。文字認識や画像認識、フィンテックなど、既に特定の分野では人間を超えたAIが多々活躍しており、機械が独自の進化に踏み出す可能性を大いに感じさせる。

 コンピューターが人間を超え、人間にとって予測のつく限界の時点は「技術的特異点」と呼ばれており、これ以降の世界についてNASAとGoogleが協働で研究機関を作って議論しているが、コンピューター対人間の戦争が起きるとする説、私たちが現在いる宇宙とワームホールで行き来することができるもう一つの宇宙をコンピューターが創るとする説など、まるで映画や小説のような仮説ばかりである。この仮説こそが人間の脳の限界を示しているのかもしれない。

 

■AIは自発的な意思を抱くか

 AIが感情や意思を持つ可能性について、今のところ有識者の意見はまったく統一されていない。

 「人間の脳をそのまま再現できれば、AIも感情を持ち得る」との声や、「意識が生成されるカラクリが分かっていないのだから、AIが設計者の思惑を超えて原始的な意識を創発する可能性は0ではない」という声もある。

 一方で、「生命を持たないAIには生存本能がない。したがって、生存や増殖といった目的を自発的に持つこともない」として、それに伴う感情や意志も持ちえない、という声もある。肉体があるからこそ備わる感覚もあり、ロボットにセンサーを付けて感覚器を作っても完全に補えるとは言い難い。たとえば人間は赤ん坊でも「空腹になったら食べる」とか「動いているものに注目する」ということを知っている。これは人間が生物進化の長い歴史の中で、いわば遺伝子で獲得した常識である。生命があるがゆえのそういった基礎を持たないAIには、それを知識として学習することはできても本質的に身に付けることは難しいように思われる。

 しかし、冒頭で述べたとおり、AI技術は加速度的に進化しており、今日できなかったのだから明日もできない、というスタンスでの議論には意味がない。「人間がAIを作る」という固定観念を離れ、人間ならではの自由かつ豊かな発想で未来を描かねばならない。

 2019年時点において、生命の有無は人間とAIの最大にして決定的な違いである。しかし、「生命」あるいは「肉体」の定義は、50年後、100年後も変わらないだろうか。「生命」や「肉体」があるからこそ生まれ出るとされる目的を、AIが持つことはないと言い切れるだろうか。人間の意思によるものか、あるいはそうでないかは分からないが、「AIがAIを作る」とき、人間の推し量れないAIが生まれる可能性は否定のしようがない。

 誰かが課題を指摘し、解決したいという需要が出てくれば、その技術的限界はなくなっていく傾向にある。人間がより進化したAIを求め続ける限り、AIが、創造力・感情・本能といったものを備える可能性はあるといえよう。それを念頭に置いた上で、人間とAIとの共存を考えなければならないのである。

 

まとめ

・2045年にAIが人間を超えると予測されている

・AIが意思を持つ可能性は否定できない

・あらゆる可能性を視野にAIとの共存を検討せよ

(第8回ここまで/担当 高井・團迫・宇津野)

 

 

 

 

第5回 平成から令和に、歴史の見方を再考する

 

あすか人事コンサルティング
代表 太田 正孝

 

 5月1日に令和の時代が始まりました。陛下の即位の儀など宮中の行事のほか、史上初の10連休中のTVは観光地や渋滞情報など、お定まりの画像を流し続けていました。空陸交通機関の混雑に巻き込まれたけど連休を楽しんだという人達にとっては、素晴らしい連休だったでしょう。

 

 昔、航空会社にいた私や当時の仲間にとって、連休はいつもよりも忙しい時期であり休む間もなく汗を流していたことを思い出します。あの頃は自分達の家族旅行を後回しにしたので、皆、家では肩身の狭い思いをしたものです。今の時代はさらに、いわゆるサービス業の人達が増えているので長い連休にもかかわらず休めなかった人も格段に多かったと思います。人手不足の中ではあるものの代わりの連休がとれてリフレッシュできる人が増えるような世の中であればいいと思います。

 

 そこで祝日の数は世界ではどうなっているか、興味を持ちました。先進国では日本が16日とダントツに多く、英国は8日、ドイツ9日、アメリカ10日、フランス11日というのが分かりました。それぞれの国の事情で多少の増減があるとしても、日本よりはかなり少ないです。欧米ではキリスト教や建国に関係する祝日が多く古くから続いているようです。祝日は祈りを主にした過ごし方が伝統的に設けられていたのでしょう。

 ですので、バカンスは長期有休の活用で楽しむという習慣が定着しています。年初に有休取得の年間計画をたて、周りとの調整を経て決定します。皆そうするので遠慮なく「お互い様」で長期旅行に出かけます。ドイツ時代、この経験から計画的取得の一面の合理性を実感しました。日本でも有休の計画的取得を職場全体でしない限りうまく拡がらないと思います。

 有休に関わるエピソードですが、長らく病欠を取っていた人が復帰してきた時のこと、計画通り取れなかった有休を年度内に残りをすべて取ったことでした。その根拠は、病欠は病欠、有休は有休として取るというものでした。日本では急な病気に備えて有休を残しておこうとしていることを言うと現地の人達は信じてくれませんでした。その時、祝日、病欠、有休の意味づけはドイツ流の方が理にかなっていると思いましたが、帰国したら直ぐ日本流に馴染んでしまい以来、有休を十分消化しなかったのは現役時代の心残りです。

 

 今、日本では労働政策の一環として有休日数をもっととりましょう、という方向に向っています。今後70才まで現役でという流れにあって働く人や家族の心身の健康維持からも良いことと思います。学校も含めて世の中全体で計画的取得が習慣化すれば、混雑や渋滞の緩和や、旅費などの低価格化など、好循環をもたらすメリットが大きいと思います。そうなれば祝日の在り方も考え直す機会になることでしょう。

 

 有休取得にまつわる現実は期中に転勤や異動などがあってなかなか計画通りに行かないという声が出そうです。本気で有休取得を進めるなら人事運用上の攪乱要素の方を改めて行くほうが早道かもしれません。

 休暇の半分を休養と家族のために、半分をキャリアアップ、専門能力アップのために使うことができます。 「計画的に」ということは現役だけではなく「毎日が(ほぼ)日曜日?」のリタイヤ組にとってもサミュエル・ウルマンの「青春」を実行していくのにも有効なのは間違いありません。

 

  さて、連休中のTV特集のお陰で私は古くは神話の時代からの日本の歴史に思いを馳せることができました。 考えてみれば、歴史上の史実は時代を遡るにつれて「一次資料」(その頃の当事者が関与したもの)が少なくなっていくため、史実の殆どが後に記されたもの(二次資料、伝聞資料)に基づいています。真実かどうか良く解らないものも何度も引用されるうちに史実とされ歴史になっていきます。 

 英語で歴史はヒストリーですが、物語のストーリーと同じ語源だそうです。昔の人は物語と歴史はほぼ同じと思っていたのでしょうか。つまるところ、一つの歴史は一部の真実をきっかけにして、誰かが想像力豊かに創作した物語ということではないでしょうか。ですので、どこかの蔵や地中から貴重な一次資料が発見されれば、それを基に新たな物語が生まれ、やがて歴史の一部になっていきます。

 近年、聖徳太子は存在しなかった、鎌倉時代は1192年から1185年からに修正、江戸時代に国内安寧のため一部の国との交易に制限したものの貿易はつづいていた、などと常に教科書も修正されている訳です。

 現在、誰一人生存していない「近過去」の事柄は史実を含むノンフィクションになり、そして、その前の過去はノンフィクションを含むフィクションになる宿命を持っています。私はこの事から歴史を色んな説や作家の見方として楽しむようにしています。邪馬台国はどこにあったのかなど論争がありますが、新発見でもない限り当面は水掛論でしょう。ちなみに私は邪馬台国は大和国、卑弥呼は姫子のことと単純に思っていますが、勿論、確たる根拠はありません。それでも論争を楽しみつつ歴史のロマンに思いを馳せています。ついでに言えば、あらゆる事象は各々何処かの場所で起こったので、そこの地形や植生など地理的環境状況、時刻や、天候、など事象にまつわる環境をもイメージするようにして楽しんでいます。高井先生がTVドラマの作品を書くつもりでビジュアルに証拠書類を書きなさい、と言っておられるのも同じ発想だと思います。時代考証は画像構成上、避けられないからでしょう。

 

 歴史は節目を見つけて時代区分されています。日本の歴史は遺物の多い縄文時代から始めるようです。とても地味な時代と思いますが、なぜか古代にロマンを感じるいわゆる「縄文女子」が増えているそうです。50年ほど前の学生時代には発掘実習もやりましたが、女子には振り向きもされませんでした。隔世の感が否めません。さて、縄文時代は何年続いていたかというと答えはなんと1万年以上です。普通の人が300回以上の世代を重ねる、生物として進化がおきるような長い時間です。後の弥生時代は1300年程つづきますが、弥生の後期が西暦元年にあたります。感覚的には西洋よりも日本での時間は極めてゆっくりと平和の裡に過ぎていたように思います。氷河期が終わったあとも厳しい寒暖サイクルあった時代生活の糧の農耕を維持する上で集落の協力と平和が大事だったのでしょう。

 

 私ら昭和世代は時代の長さよりも特異な事象のことに重きを置いた教育を受けてきました。明治から大正・昭和・平成併せて約150年、鎌倉時代の150年とほぼ同じですし、平安400年、室町と江戸はそれぞれ260年、安土桃山は30年で平成と同じくらいです。歴史小説や映画、TVドラマでは、やたら戦さものが多いので、血なまぐさい歴史が続いていたように感じますが、こうやって改めて時代区分の長さを考えると日本は想像以上に戦さが少なく平和が長くつづいていたように思えます。

 

 令和の時代、日本はもとより世界の紛争が人の叡智で終息していき、平和な事象が歴史に記録されるようになれば嬉しいのですが・・。

終わり

 

「明るい高齢者雇用」

第2回 65歳定年の可能性―社会保障にもメスを―

(「週刊 労働新聞」第2148号・1997年4月14日掲載)

※当時の文章のまま掲載しております。

 

 

 定年問題に関しては次の2つに注意しなければならない。1つは中国にも好況感に陰りが生じていることである。例えば、昨年の成長率は9.7%と報道されているが、一時の明るさを失った。中国ですら好況でないという事実のゆえんは、エネルギー資源問題との関わりにある。資源、とりわけエネルギー資源の枯渇という不安・恐怖に、人類は無言の調整作用としてエネルギー等の資源が生産される程度に消費を抑えようとする。環境問題もその1つだが、実はそれが市場経済の進展にブレーキをかけている。

 「行け行けドンドン」、拡大再生産とは資本主義経済の合言葉、市場経済の原則だったが、いま萎縮しがちである。これこそ世界経済が減速経済、不況感を脱却し得ない理由である。先進国成熟社会・日本は更新国以上に資源を消費し、それだけに資源問題を意識せざるを得ない。従って中国以上に日本の高齢者雇用は今後ますます困難となる要因がある。

 第二の注目点は、中国でも(“でも”という表現が適切か否かは別として)退職年齢が年金問題と関わっていることである。日本ではいま65歳への年金受給年齢の引き上げが議論されているが、その背景は以下の通りである。

 今年1月厚生省人口問題研究所から発表された「日本の将来推計人口」によれば、日本の総人口はわずかあと10年間しか増えない。2007年1億2,778万人でピークを抑えた後は減少の一途を辿る。しかもただ減るのみならず若年者の急減と高齢者の急増とが同時進行する。既に日本の高齢化率は欧米先進国並だが、2000年には世界一の高齢国となる。現在1人の高齢者を65歳未満の国民5.8人で支えているが、高齢化率のピーク2049年(32.3%)にわずか2人で支えていかねばならない。年金・医療といった社会保障全体の枠組みに大きくメスを入れない限り、日本経済は破局のシナリオへと向う。未だかつて人口が減って豊かさを維持した国はない。この歴史的事実を厳粛に受け止めねばならない。

 厚生省の試算でも、国民負担率(税と社会保険料が国民所得に占める割合)を高齢化ピーク時でも50%以下に抑えるには“年金・医療の給付を2割以上削減しなければならない”としており、また経企庁の別の試算では、社会保障、国家財政とも無策のまま改革されずに推移したとすると、潜在的国民負担率は2025年73%に達する。もはや「高齢者が社会的に扶養されるだけの存在」という前提では、社会の安定維持が不可能なのである。

 高齢者雇用が促進されれば年金財政は大きく改善され個人や企業の負担も軽減する。高齢者がその人に会った就業形態を選択でき長く現役にとどまれば、年金給付者が減り年金拠出者が増える。これこそ退職年齢と年金問題が不可分で65歳への定年延長が今叫ばれている本質的意味である。

 若年労働力の減少により再び人手が不足し、女性も高齢者も雇用が活況を呈すという楽観論もあるが、はたしてもう陽が昇らない日本経済の下で65歳への定年延長は可能なのか、さらにはそれを可能にする条件を模索してゆくことも課題の1つであることを、中国の例からもうかがい知れる。

 

 

高井伸夫の社長フォーラム100講座記念~1講1話・語録100選~

【第5回】社長のカリスマ性~原点は「不思議さ」にある(1993年10月26日)

 

 中小企業において、社長は対外的にも対内的にも「セールスポイント」がなければならない。とりわけ、いわゆるカリスマ性が必要だ。これをどう構築するかが社長の課題である。

 カリスマ性の第1は「不思議さ」があること。平凡ではカリスマ性は生まれない。例えば「いつ寝ているのだろう」でもいい。不思議さは部下にとって思いもよらない世界でなければならない。人格、識見、手腕、力量、多芸多趣味が、不思議さを醸し出す。平凡には魅力はない。不思議さイコール魅力である。

 不思議さとは「自在に話ができること」に始まる。しかも話題が豊富でその場での焦点を的確にとらえていること。社長の挨拶は、予め紙に書いたものを読むのではいけない。

 次には、相手の話が聞けること。さらに一言二言添えて、相手をハッとさせることが大切。そのためには、絶えず様々なことに関心をもっていないといけない。

 自分の頭で発表でき、相手の話を咀嚼して、そしてそれをさらに一段と広く深く気付かせる一言、あるいは相手を褒めてさらにプラスアルファーさせる独創性である。

 もうひとつカリスマ性で重要なのは、話ができることと関連するが、明確な意思表示、つまり明確な方向性を示すことである。それには、大きな声で話す、歯切れよく断言する、文書で公表する(口頭で明言し文書で断言する)ことが必要である。

 そして、うまくいったときは全員の努力の賜物、うまくいかなかったときは「オレの責任だ」とするところにカリスマ性の原点がある。

 リーダーシップとカリスマ性は全然違う。リーダーシップがあっても社員の3割は絶えず文句を言っている。そんな批判する権利を放棄させる力がカリスマ性だ。

 その意味で、カリスマ性とは大衆を盲従させる力であり、憧れの対象である。そのためには実績をあげること。これに尽きる。

 

「AIと私たち」 第7回

AIと人事労務(4)育成・経営・労務管理

 

■AI時代の人材育成

 第一に、AI時代の人材育成には、AIが発達する速度が激しい分、より一層のスピードが求められる。AI周りの技術進歩は加速度的であり、小学校で教わった基礎知識が中学校を卒業する頃には化石扱いとなる可能性も決してゼロではないのである。将来の発展性まで見極めた上で育成しなければならないのだから、教育者・指導者には極めて高い知識と情報収集力、予見力、柔軟な姿勢が求められよう。

 

 第二に、AI時代の人材育成は長期にわたって行われなければならない。第3回第6回でも触れたが、まず、学校教育による長期育成が必要である。また、社会人育成においても3、4日の研修によって新しい仕事をこなすことができる時代は去った。成果を上げるためには一定の年月が必要で、かつ、それを迅速に展開しなければならない。

 そのためには、人事労務の専門家が積極的に人材育成に当たらなければならない。AIの機能拡充に伴って先を見通した人材育成、人事配置をしていかなければならないからである。未来を見通して職種を決定するという人事配置に繋がる人材育成は、教育だけではなく、AIについての理解が深い人材が当たるべきである。同時に、労働移動もよりスピーディーに行われなければならない。

 

 第三に、若者の人材育成に注力することはもちろんであるが、中高年層の人材育成も大いに心掛けるべきである。平成の終わりになってもパソコンが扱えない大臣がいたように、AI時代に取り残される中高年層が大量に生まれることは容易に予見できる。これを克服するには教育、人材育成に依るほかあるまい。

 AIが発達し、人間の仕事へ参入すると、ベテランであることがかえって重荷になる。新進気鋭の人材がどんどん伸びていくのに対して、中高年層は伸びが遅く、AIの攻勢に晒され、担当職務がこなせなくなるからだ。人材育成の在り方を根本的に変えなければならない。若者中心から、中高年中心も抱き合せたダブルデッカー(2階建て)の人材育成へ変えなければならない。

 AIによって担当職務が陳腐化し、その職務に就けなくなった者は、新しい職務に対する理解を深め、現実にそれを実施して成果を上げる必要がある。すなわち人事労務担当者はまず、対象者が新しい職務を理解できるように落とし込まねばならない。新しい職務がインターネットやITに関わる内容である場合、それらに疎い世代にいかに短時間で本質を理解させ、苦手意識を払拭させ、むしろ好意的に受け止め、実施し、成果を上げてもらえるように導くかが、人事労務担当者の腕の見せ所である。

 

 AI時代の労働者は、AIを作る人、使う人、使われる人、そして、使われることも出来ない人の4つに分化する。我々はAIを使う人に、更に言えば作る人にならねばならないし、そういう人材を育てなければならない。

 

■労務管理にもAIの活用を

 AIによるデータ分析の特徴に「客観的」という面がある。これは個人の感情を抜きにして公平な分析や見解が欲しい場面で役立つ。そこで近年では、AIを人事労務管理に活用する企業が増えてきている。

 これまでは上司や経営者が勘と経験などの主観で行ってきた評価や配置を、AIであれば膨大なデータを基に、客観的かつ網羅的に全社員を把握し、的確にかつ驚異的な速度で処理できる。退職リスクが高まった社員を検知し、アラートを発することも可能である。

 歩行パターンや行動データをAIで解析することで、組織内の人間関係を推定して効率よく仕事をこなせる組織づくりを行ったり、職場でのコミュニケーションや時間の使い方などの組織活性度の向上につながる行動に関するアドバイスを各人ごとに配信したりするサービスもある。

 これらは言うまでもなく企業の競争力向上や働き方改革につながる。組織マネジメントの根幹にこそ、積極的にAIを活用していくべきである。これによって人事労務担当者の仕事がなくなる、と危惧するのであれば、それは自身が「AIに使われる人」あるいは「使われることも出来ない人」であるということである。

 

まとめ

・AI時代の人材育成キーワードはスピード・長期・中高年

・AIを作る人、使う人、使われる人、使われることも出来ない人の4つに分化

・労務管理にもAIを積極的に取り入れよ

 

(第7回ここまで/担当 高井・團迫・宇津野)

 

 

第4回 意志あるところに道あり

 

あすか人事コンサルティング
代表 太田 正孝

 

 4月1日に新元号「令和」の政府発表がありました。報道によると、多くの国民が新しい時代を迎えるという感慨をもったようです。一方で、国際化、情報化時代にあって日本独自の元号をつかうことは時代にそぐわない、といった意見も紹介されていました。しかし、大方は新元号を歓迎していて節目の重みを大事にする日本人の心理性向の根強さを感じました。昭和、平成、これからの令和と三代に亘って生きる私世代も令和時代をどのようにしてすごそうかという思いでいるところです。

 

 4月に宇宙関係の大ニュースもありました。

 小惑星探査実用機「はやぶさ2号」は現在まで順調な飛行をつづけているとのことです。JAXAの人達はもとより、膨大な精密部品づくりに貢献されてきた中小企業の方々はヒヤヒヤしながらも自信を深められたことと思います。まだまだ続くミッションを完全に成功させて、2020年末に予定されている無事帰還が期待されます。

 もう一つのビッグニュースは宇宙の神秘の一つ、ブラックホールの写真が公開されたことです。時間と空間の物理の常識が通じないブラックホールの写真は撮影することができないといわれていたので驚きでした。ブラックホール自体は真っ黒になっている実際の写真をみると、いままで理論に基づいてCGで作られた画像とそっくりだったので、人の想像力の素晴らしさにも驚きました。

 南極を含む世界各地の電波望遠鏡を原子時計で極めて正確に同期させ、地球規模の仮想電波望遠鏡(電波干渉計)の膨大なデータを2年かけて国際チームで処理した結果だ、という顛末を知り、改めて天文物理学者達のすさまじい執念、好奇心、智慧、国際協力など彼らの功績に感嘆しているところです。

 直径一万キロに相当するこの電波干渉計は、人間なら「視力300万」の解像力に相当し、月面においたテニスボールを識別できる位と聞いて科学技術のすさまじさを感じた次第です。まさに宇宙の神秘をなんとか知りたい、という学者達の共通意志がひとつ実ったわけです。

 高井先生もよく引用される言葉「意志あるところに道あり」、この言葉はリンカーンが言い出したとされ、あのアインシュタインも1922年の来日時、帝国ホテルのベルボーイにお礼の意味でこれを書いたメモを渡したという逸話を思い出しました。やはりスーパー天才も自分に言い聞かせながら業績を積み重ねていったのかもしれません。

 

 桜が満開になり気分も上向く4月はまた新年度をむかえる児童や学生、新入社員にとっては新しい道に踏み出す月でもあります。新入社員を迎える側でも期待を込めて待っている頃でしょうか。採用の場では良い人材を求めて売り手市場になった昔風にいえばこの「金の卵」をどのように確保していくかに知恵を絞っていたことでしょう。

 就職サービス関連会社のデータでは、キャリアアップをするために4割程度が将来転職を考えながら入社している、といわれ、また早期退職率では学歴にかかわらず新入社員の3割程度が3年以内に実際に会社を辞めているということです。

 

 新しい環境や仕事につくと誰でも不安な気持ちになり適応できるかどうかで悩みます。それを乗り越えて新たな展望を開く人と、辛抱ができずに適応努力をしない人とに分かれていきますが、職業人生航路の第一歩として選んだ仕事や会社になじめないとすればそれは多分不幸なことだと思います。昔から「石の上にも三年」という諺もありますので兎も角、初めての仕事に全力で取り組んでいくのが大事と思っています。自分に合うか合わないかはその後に、つまり3年経った後くらいに決めても遅くないのではないでしょうか。

 

 働き方改革の中で、AI(人口知能)やICT(情報通信技術)の著しい進展の先には、今は花形の仕事もいずれAIに取って代わられるなどといわれています。そのために今のうちに副業や複業をして、時代の流れに耐える能力を身につけておいた方がよいなどとの意見もかなりでてきています。

 その背景には「終身雇用」が徐々に崩れてきている事実があるのでしょう。しかしながら、現実には身近に迫っていると実感している人は少ないのではないでしょうか。有名会社が副業を認める制度をいれたなどとの報道を見かけますが、みんなが副業を始めたら、それこそ新たな社会問題を起こさないか、よく考える必要があると思っています。

 

 欧米では一般に終身雇用ではないのが普通ですが、(だいぶ昔のことですが)私の通算10年ほどのドイツ・アメリカでの経験では現地の同僚達はできるだけ今の仕事をつづけて安定した生活を送りたいというのが普通でした。勿論、高みを求める人達はキャリアアップと収入アップを求めて転職していったのも事実ですが、欧米の文化の中では自己責任で生きていくというのが基本なので多様な価値観が併存は当然で、どちらでも良かったのかもしれません。

 

 日本では終身雇用が続けられる会社ではそれを続けて人々の安定生活を支える努力が今後も求められるでしょうし、会社生命が比較的短い浮き沈みの多い業界にいる人については、自分が進んで行きたいキャリアパスとそのキャリアラダーを想定してそれに必要は能力アップをしていくのが大事です。そのためには自分の性格、行動特性、得意分野、好奇心を持続できるエリア・楽しさ、粘着力、語学力、教養の程度、などなど冷徹に自分についての棚卸しが求められます。これを怠ると、自分向きと思って転職したとしてもそこで困難に直面すると又々転職を考えるという、いわゆるジョブホッパーになって人生の大事な時期を無駄に過ごすことになってしまいかねません。日本では転職が狙い通りうまくいく人はまだ少数だと思いますのでこの事実をよく見つめておくべきでしょう。

 

 最近、外資系に入社するのが就職を控えた優秀な学生さんの間で人気だそうです。確かに日本の会社に入る「就社」というより、はじめから専門分野を決めた採用方式をとる外資系は魅力的に見えるのでしょう。外資系では、おおむね能力・成果主義に基づく企業文化ですので、それを理解して厳しい状態に自分を置いて自らを磨きながら挑戦していくという若者には適しています。例えばアメリカに生まれ育ったつもりで就職し、自ら主体的にキャリアを築いていくのと同じことですので格別難しいことではないかもしれません。外資系にいた私の経験では、論理がすべてと考える人は成功していないように思いましたし、教養が豊かで喜怒哀楽といった人間そのものを理解する人でないと成功しないと思います。やはり人間の基盤は世界共通だという証かもしれません。また、日本の受験競争を勝ちぬいた実績そのものは実社会ではあまり役立たないでしょう。仕事では答えのない課題が多いので、事にあたっては「論理的に考え」、且つ、高井先生が言われる「ハートで考え」、そのバランスに立って最善の案をみちびきだして実行しなければなりません。

 外資系の門をくぐった人は、このところを良くわかって活躍してほしいものです。

 

 4月という春の心あらたまる頃にあって、今年のトピックスをもとに、新入社員に対して、あるいは迎える側としての思いを、「意志あるところに道あり」に込めてみました。

 そして5月からの「令和」時代が、文字通り美しく平和であることを願いつつ。

終わり

 

「明るい高齢者雇用」

第1回 失業率5.7%にも―世界的視野から模索―

(「週刊 労働新聞」第2147号・1997年4月7日掲載)

※当時の文章のまま掲載しております。

 

 日本のみならず全世界的にも「明るい高齢者雇用」はないのだろうか。まずは日本の現況を確認してみよう。平成7年10月1日時点で日本の高齢者65歳以上人口は1,860万人と総人口の14.8%を占め(「平成7年国勢調査」より)、65歳以上の労働力率(各年齢層に占める労働力人口の割合)では、日本37.6%、アメリカ9.1%、ドイツ4.6%(いずれも94年男性の数値)と国際的には極めて高い水準にある。

 またいわゆる定年制に関しては、高年齢者雇用安定法等によって平成10年4月1日までに60歳定年制が義務づけられており、現在60歳定年企業の割合は労働省「雇用管理調査報告」によれば、88.3%と着実に定着しつつある。しかし65歳まで働ける何らかの制度(65歳以上定年制、勤務延長制度、再雇用制度)を有する企業は20.4%にとどまっている。総じて高齢者の雇用は厳しく、平成7年平均で全体の失業率3.2%に対し60~64歳は5.7%、有効求人倍率も全体の0.63倍に対し、同0.08倍と全く冷え込んだ状況にある。

 一方中国では法律上の定年は男子60歳、女子55歳だが、現実には国有企業においては30年間働き続ける(国有企業であれば同一企業である必要はなく勤務年数は通算される)と定年時の給与の6~8割の年金が支給される。また、国有企業で30年勤務すると、退職後も終身医療保険の適用を受けることができる(30年未満で退職し、職に就かなかった場合には医療保険の適用がない)。

 このような状況下で、30年勤続した人は“肩たたき”があり退職せざるを得なくなる。退職後の年金の額が840元(1元は約15円)を超えないものには所得税がかからない。ちなみに法律上は800元を超えると所得税が掛かることになっているが、控除が40元あるので、840元ということになる。

 さて実際の退職年齢についてみてみたい。文化大革命時の青年が現在壮年期にある。彼等の修学年限は中学校が2年間、高等学校が2年間と短縮されていたことから、大半は14歳もしくは16歳で労働についた。その大方の者は「下放」により農業に従事し、そのあと大学に進学し国有企業に就職した場合には44歳で退職する途が開かれることになる。

 かくして中国では極めて若くして仕事を離れることが多い。60歳以上の人は退職後専門職に従事できる人は別として、再就職できないといってよい。“一人っ子政策”の下、孫の世話をするのが一般的である。また40~50歳代で退職をした者は再就職を心掛けるが、45歳以上の女性の就職口は、現実にはまずないだろう。

 以上は中国北京の弁護士・王君氏の語るところである。希世軟件系統(上海)有限公司の社員、李国麗さんは、上海(北京に比して経済活動ははるかに好況)では男性は従来55歳が事実上の定年であったが、最近50歳に下がり、女性の事実上の定年は40歳ないし45歳であると語っている。これも中国の実定年年齢が下降していることを裏書きする証言である。

 

高井伸夫の社長フォーラム100講座記念~1講1話・語録100選~

【第4回】推進力とバランス感覚~安定を求めるな(1993年9月28日)

 

 若い頃に「法律とは、命令と禁止を定めたものだ」と教えられた。「しなければならない」と「してはならない」が法律だというわけだ。

 ここから発展させて、マネジメントと法律はどう違うかを考えたい。

 マネジメントは「した方がいい」とか「しない方がいい」で、「した方がいい」のごく一部に「しなければならない」があり、「しないほうがいい」のごく一部に「してはならない」がある。だから、法律よりマネジメントの方が概念が広く、難しい。

 「した方がいい」か「しない方がいい」か、そのバランス感覚が一番大切だ。それに推進力を付けるのが経営である。推進力がつくほどバランスは崩れそうになるが、その舵取りを巧みに行っていくのが名経営者である。

 また「何が何でも原理原則に立ち戻って、その上で例外があるかどうかを吟味するのが法律家の役割だ」ということも教わった。

 シェアを拡大しようとする。経済規模が拡大しているときは放っておいてもそうなったが、経済規模が縮小している今は、まさに死に物狂いの努力をして初めて素敵な発想も実現でき、成長させることができる。厳しい戦いである。

 安定とは、戦いを止めることと同じだ。人間の原理原則は競争であり戦いである。安定を求めてはいけない。

 

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