2011年4月12日のアーカイブ

20110412.JPG (2011年4月11日 朝6:47 東京都千代田区 北の丸公園にて撮影)

 

 さて、原子力発電所事故の悲劇といって誰もが思い浮かべるのは、旧ソビエト連邦(現:ウクライナ)における1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原子力発電所事故ではないでしょうか。

 チェルノブイリ原子力発電所事故から約5年後の1990年8月に、月刊誌「日経あーと」の「法律税金相談室」というコーナーで、私は「この6月にソビエトを旅行したが、盛りだくさんの日程の中で時間を割いて美術関係者にも多数お会いした。モスクワ市内の作家と画商のそれぞれの自宅を訪れた。」「画商の方はウクライナ共和国の首都・キエフの作家を中心に扱っていたが、チェルノブイリの事故を主題として発表している作家が多いのには驚いた。如何にあの事故が衝撃的でしかもその影響が深刻であったかをまざまざと見せ付けられる思いであった。」と寄稿しました。

 ウクライナ共和国の首都・キエフは、チェルノブイリから距離にして約130キロメートルのところにあります。キエフの作家による絵画を見て、なにより印象的だったのは、絵の中の「空」がどの絵もとにかく黒っぽかったことです。空が黒いということは通常ではありえません。ですから私は、それらが画家の心象風景を描いたのではないかと感じました。

 朝日新聞が2006年に「チェルノブイリ汚染大地20年」という連載記事を掲載していたことを思い出し、読み返してみました。

 先に述べた「チェルノブイリ汚染大地20年」の2006年4月20日付記事によると、「原発事故の後、移住対象地区に指定され、200世帯以上あった村人の多くは都市のアパートへ移」り、「汚染によって廃村になったのは、(隣国の)ベラルーシで348村、ウクライナで164村に上」ったそうです。(注:2006年当時)チェルノブイリ原発周辺の半径30キロメートル圏内は、立ち入り禁止区域になっており、その他も移住対象地区はあったようです。

 福島第一原子力発電所事故では、福島第一原子力発電所から半径20キロメートル圏内が避難指示区域、20~30キロメートル圏内が屋内退避指示区域になっているようですが、この地区は一部もしくは全部が廃村あるいは結局は無人地帯となって不毛の地と化するのではないかと思います。尚、何キロメートル圏内と言われても、イメージするのは難しいかもしれません。具体例を挙げますと、東京都の日本橋を中心として、半径15キロメートルは、北は埼玉県川口市あたり・南は羽田空港あたり・東は千葉県市川市あたり・西は杉並区あたりとなります。また、半径30キロメートルは、北は埼玉県春日部市あたり・南は神奈川県横浜市あたり・東は千葉県習志野市あたり・西は国立市あたりとなります。

 また、2006年4月20日付同記事によると、チェルノブイリ原発事故から20年が経過した2006年当時、「爆発したチェルノブイリ原発4号炉を、事故後に応急で覆った鉄板とコンクリートの建屋」である「高さ70メートルの『石棺』は20年間風雨にさらされ、さびで赤茶けて」おり、「石棺から約250メートル離れた場所でも、放射線量は東京の100倍超、毎時約8マイクロシーベルト」(注:2006年当時)あり、そこより「先は、防御服を着たスタッフしか近づけない」状況だったようです。

 日本の福島の現在の放射線量は、 2001年4月1日付毎日新聞朝刊2面記事によると、「文部科学省は31日、福島第1原発から北西約30キロの福島県浪江町の国道399号沿いで23~30日の166時間の累積放射線量が人工被ばく年間限度(1000マイクロシーベルト)の7倍超となる7490マイクロシーベルトに達したと発表した」とあります。これは毎時(直近およそ24時間の1時間当たり平均線量)では35.3マイクロシーベルトとなります。同新聞記事によると、ほかに年間限度を超えた場所として、北西30キロの飯舘村(4449マイクロシーベルト/毎時19.3マイクロシーベルト)、西北西30キロの浪江町の別の地点(3428マイクロシーベルト/毎時15.5マイクロシーベルト)を挙げています。

 2011年3月12日付日本経済新聞夕刊3面記事によると、「チェルノブイリ事故後では、原発近くの27万人が50ミリシーベルト、発電所周辺30キロメートル圏内の11万6000人が10ミリシーベルトを被曝したといわれ」ているそうですので(注:単位「ミリ」です。「マイクロ」は「ミリ」の1000分の1)、チェルノブイリ原発事故の際に流出した放射線濃度と比べれば、この度の福島原発事故の方が弱いと思いますが、安全観念の繊細な日本人にとっては、あるいは、数値以上の無人地帯ができると推定されます。

 いずれにしろ、福島では避難指示や屋内退避指示などにより街が「ゴーストタウン化」していると聞きますが、私はこれらの地域が、チェルノブイリのように、今後、人が誰も住まない無人の芝生と化するのではないかと心配しています。
 
 政府あるいは東電は、曖昧な情報を繰り返すことをやめて、現時点で、「原発から何キロ以上は住めなくなる不毛の土地になる」ということを発表すべきでしょう。もちろん時間が経過するごとに、その範囲は狭まったりするとは思いますが、避難民に一定の安堵を与えるには、住めなくなった場所を明示するべきだと思います。

 先に述べたとおり、チェルノブイリ原発事故においても、半径30キロメートル以内は立ち入り禁止区域になっていますが、事故から25年を経て、実はそこに集落ができているという報道が、2011年4月9日付読売新聞夕刊に載っていました。福島第一原発についても、避難指示の区域ができているそうですが、そこで生活をしている人がいるそうです。国としてどのようにこれを整理するかという問題があります。私有地である以上、やはり所有者の意思を尊重しなければならないからです。そうすると、まずは原子力災害対策特別措置法第15条に基づく避難指示の区域という概念をやめて、災害対策基本法第63条に基づく「警戒区域」に改めて指定し明示した上で、「何キロメートル以内は警戒区域とする」として、立ち入りを禁止し、同法第116条規定の行政罰をもって、これを強制することになりましょう。しかしそれでも、不十分だということになれば、東電若しくは国が土地を買い上げ、すなわち東電の私有地若しくは国有地とし、最終的には刑事罰によって無人地帯を作らなければならないと思います。
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高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井 伸夫

(次回に続く)

 

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