気苦労


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 (2011年7月2日午後13時33分 青森県八戸市 種差海岸にて撮影)

 

上掲写真の撮影地である種差海岸は、下北半島から続く砂浜の海岸線と、三陸海岸のリアス式海岸の交錯する位置にあり、荒々しい岩や大きな砂浜、天然の芝原のある風光明媚な景勝地であり、1937年に国の名勝に指定されています。

この種差海岸には多くの文学者や芸術家が訪れ、詩人の佐藤春夫は「日本一の散歩道」とたたえ、同じく詩人の草野心平は種差海岸の海に上がる満月をいたく気に入り「ザボンのような月」と評しました。また、小説家、ノンフィクション作家、評論家の司馬遼太郎は「どこか宇宙からの来訪者があったら一番先に案内したい海岸」と表現しています。

 【参考】「名勝県立自然公園 種差海岸に咲く花々」(石津正廣著・発行、2004)

 

 

 6月17日より「気」をテーマにブログ記事を投稿していますが、今回も、「気」に関連した記事を投稿しようと思います。

 

【気苦労】

 弁護士は、絶えずトラブルを持ちこまれ、それを解決していかなければなりませんから、「気苦労」が絶えません。

 

 さて、この「気苦労」とは何でしょうか。「気苦労」とは、「あれこれと気がねや心配りをする苦労。心痛。」(広辞苑第4版、三省堂)というものです。「気苦労」が絶えないということは、自分の「気」という精神エネルギーを必要以上に消耗してしまい、つまり相手に「気」を吸いとられてしまうということでしょう。

 

 「気苦労」の反対語は、「気楽」「①苦労や心配がなく、のんびりしているさま。②物事にこだわらないこと」(広辞苑第4版、三省堂)ということです。

 

 植木等の「ドント節」(1962年発売)という曲がありますが、「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ 二日酔いでも寝ぼけていても タイムレコーダーガチャンと押せば どうにか格好が つくものさ」と「サラリーマンが気楽な稼業」である理由の一つを歌っています。この曲が発売された1962年といえば、1964年に東京オリンピックが開催されることにともなって、東京首都高速道路(1962年12月に1号羽田線・京橋~芝浦間が開通)や東海道新幹線(1964年10月1日開業)などの交通整備や、日本武道館(1964年10月3日竣工)などの競技施設の建設需要が高まったことなどを背景として景気が拡大したいわゆる「オリンピック景気」(1962年11月~1964年10月)といわれる右肩上がりの時代でした。歌やファッションなどがその時代ごとに変遷しているように、「気」も単なる個人の問題ではなく、環境や社会情勢等によって大いに左右されるものであるため、この時期は皆の「気」が充実し、社会全体が熱気やエネルギーにあふれていたのではないでしょうか。

 

 ところで、この曲で描かれているサラリーマン像は、いかにもいい加減で無責任な人物のようにも思えますが、この「いい加減」は「良い加減」とも解釈できます。つまり、「気楽」というのは気の加減が良い、つまり気のバランスが良いということではないでしょうか。「気楽」は、東洋医学では「病気」の反対語としても使われているそうです。それを踏まえると、「気苦労」は病気の原因になり、特に、「鬱の状態」になるなど、メンタルヘルス上の問題に結び付くものでしょう。「鬱の状態」は、東洋医学では、体の気のエネルギーのめぐりが悪くなることから「気滞」と呼ばれるそうです。

 

 

 

【弁護士にとって何が一番「気苦労」か】

 

 さて、弁護士にとって、証人尋問の時が一番「気苦労」な時ともいえるでしょう。相手がどんな証言をするかということの可能性を絶えず意識しながら、反対尋問をしなければならないことが、一番肝腎要(かんじんかなめ)の気苦労が多いところです。

 

 この「気苦労」を考えれば、相手より人間的な幅が広く深くなければ、とても太刀打ちできないということを知るべきでしょう。「気苦労」を感じないためには、実は相手より人間的な幅が広く深いことが必要です。要するに、相手と人間的な幅の広さや深さが同等であったならば、「気苦労」が絶えません。少しばかり相手より人間的な幅が広く深くても、同様です。「気苦労」を克服するには、相手方と比べて人間的な幅がはるかに上回っていることが必要なのです。そうすれば、相手方の意図を的確に見抜くことができます。そういう意味において、単に頭の良し悪しだけでなく、人間的洞察力が必要となってきます。感情的な人、すなわち、苦しまぎれになった時に、喜怒哀楽の激しい人はだめです。本質的に平明な精神の持ち主のみ、相手との「気苦労」を克服することができるのです。

 

  「人間的な幅」というのは、結局は、人格・識見・手腕・力量・多芸・多趣味ということに尽きます。これらの幅が広く深いほど、人間的な幅が広いということになります。

 

 弁護士に限らず、どの組織でも、仕事をしていると、気苦労が絶えないことがよく起こりますが、このことはなにも反対尋問の場面だけの話ではなく、取引、折衝、交渉などの相手方と対峙する局面において発揮されることです。

 

 

【部下への「気苦労」~気が弱い、気が強い】

 さて、弁護士に限らず、どの組織でも、仕事をしていると生じる「気苦労」の代表としては、例えば部下との関係が挙げられると思います。よく出来る部下を持つと気が楽になり、出来ない部下を持つと気苦労が絶えません。部下は上司が楽になるようにすること、気楽になるようにすることが大事な所以です。簡単に言えば、良き部下とは、上司を楽にする存在であるということです。それは、上司が部下に気を遣わず、逆に部下が上司の気を強める働きをするからです。

 

 また、仕事をしていると、「あの人は気が弱い」とか「あの人は気が強い」ということを意識することが多くあります。部下には、気が強い人も、気の弱い人もいます。そういう極端に「気が強い」「気が弱い」人、例えば喜怒哀楽が激しい人と一緒に仕事をすると、こちらの気力が奪われて疲れてしまいます。仕事をする社会人にとって平明な精神が必要とされる所以です。

 

 上司に恵まれる、部下に恵まれるという言葉がありますが、こういった「良い上司、部下」とは、平明な精神を持った穏やかな「気が弱くもなく強すぎもしない」人物なのです。

 

 気の弱い人は意思表示をはっきりせず、本音が分からないため、その本音を探るために相手にエネルギーを費やせてしまい、相手に焦燥感や苦痛感を与えてしまいます。気が強い人は、我見、我執が強く、意見がぶつかり合うため、仕事がスムーズに運ばなくなります。企業活動は組織的活動であり、構成員間の協調がもっとも大切ですが、この「協調」とは、気を合わせることを言うのです。

 

 

【気苦労の解消方法、「気が弱い人」「気が強い人」への対処方法】

 

 仕事で気苦労が絶えないからといっても、社会生活を送る以上、仕事を続けていかなければならないのですから、「気苦労」を克服しなければなりません。それには、まずは、「気が弱い人」「気が強い人」へは、どのように対処していけばよいのでしょうか。

 

 「気が弱い人」をリードするにあたっては、こちらの気を強くしてリードするべきです。また、「気が強すぎる人」に対しては、こちらは気弱に対処するべきでしょう。「気が弱い人」に対し、気弱な対応をすると、「気が弱い人」はあまりに迷ってしまって結論を見い出せないことになってしまいます。また同様に、「気の強い人」に対して気の強い対応をすると、「気の強い人」は沸騰してしまって、適切な結論を得られないことになってしまいます。

 

 本質的に、「気苦労」をする相手や、気の強い人・気の弱い人と対峙する場合、当方が平明な精神をもって対峙することが必要ですが、それには相手方にふりまわされないで、当方が平明な精神をもっていくことが肝要であると思います。もちろん確信をもって望まなければならないことは言うまでもありません。そして、真摯に対応することが必要です。真摯に対応するとは、生真面目さということが何より大切な資質として要求されるということです。

 

 このように、「気」の世界においては、真摯に対応するということが必要ですが、これは気苦労を克服するには当方の精神面によるしかないということです。すなわち、「気」に対峙するには、平明な心、平明な精神で対峙する他ないということです。

 

 さて、「平明な精神」「平明な心」など、心の持ちようの望ましい例としては、中国の様々な古い文献にも表れています。

 

 

 

I.「論語」<孔子(紀元前552年~紀元前479年)の言行を記録したもの。>

君子は坦(たい)らかに蕩蕩(とうとう)たり。小人(しょうじん)は長(とこしな)えに戚戚(せきせき)たり。

<対訳>君子は、どんなばあいでも、心が平らでのびのびとしている。小人は、たえずくよくよしている。信じるところに従って常の道を歩いている者と、いつも不満で、後悔と危惧をいだく者のちがいだ。)

 

II.「孟子」<孟子(約紀元前372年~紀元前289年)とその弟子たちの言行録。>

志(こころざし)は、気の帥(すい)なり。

<対訳>志は気の将帥である。思想が確立しており、精神がしっかりしていれば、おのずから元気も気力も出てくる。

 

III.「大学」<儒教の経書(儒教でとくに重視される文献の総称)の一つ。南宋以降、「中庸」「論語」「孟子」と合わせて四書とされた。もともとは「礼記」(周末から漢代に至る儒学者がまとめた礼に関する書物をまとめたもの)の一篇であった。だれの著作であるか、古来まだ定説がない。>

心広く体(たい)胖(ゆた)かなり。

<対訳>徳をそなえ、内に省みてやましいところがなくなると、心はいつも広くなり、からだもゆったりとした落ちついた態度になる。徳が身をうるおした(=徳を多く積んでその人の品格が高くなった)人の姿である。

 

IV.「淮南子」<前漢・武帝の頃、淮南王劉安(紀元前179年~紀元前122年)が学者を集めて編纂させた思想書。>

陰徳(いんとく)ある者は必ず陽報(ようほう)あり。陰行(いんこう)ある者は必ず昭名(しょうめい)あり。

<対訳>人知れず善行を積んだ者には、必ず天があらわに幸福を報い授ける。また、隠れた善行のある者は、必ずいつかは輝く名誉があらわれてくる。  等々。

 

【参考】各文献の書下し文及び解説文

『中国古典名言事典』(諸橋轍次著、講談社、1972)

 要するに、これらの文献からも読み取れるように、中国においてはまさに精神的領域がとりわけ大事で、それから学問なり文化が発展していったのではないでしょうか。

 

(次回に続く)

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