8月13日(土)午後15時から15日(月)の早朝まで二泊三日で、栃木県佐野市にある一乃館において夏休みをとることになりました。大都会の喧騒を離れて、静かな癒しのひと時で、ちょっと嬉しい旅になりました。8月16日付で更新した8月第2週<8月7日(日)~8月13日(土)>の交友録でご紹介した開倫塾の林明夫様とは、年3回ほど折に触れて、温泉旅館で一緒に半ば合宿のような勉強会をかねて休暇をとります。今回は、有限会社セカンドステージ代表取締役社長鮒谷周史様も参加して下さいました。
林様、鮒谷様との話の内容は雑談を含め多岐に渡りましたが、特に開倫塾の「改革の方向性」ということを意識して話が進みました。
私からは、私の最近のテーマのいくつかの中の「ヒューマン・ワーク」と「共同体理論」を中心としてお話をさせていただきました。そして、それは、私の「リーダーシップセミナー」のレジュメの充実に資するためであることは言うまでもありません。
さて、今回の「歴訪記その2」では、この夏休みに訪れた色々な場所についてご紹介させていただきます。
(1)ホテル 一乃館
(8月13日(土)午後15:53 一乃館のエントランスにて撮影)
(8月15日(月)午前5:31 ホテル一乃館にて撮影)
(8月15日(月)午前5:31 朝靄の出流原弁天池を撮影)
今回も宿は「一乃館」(栃木県佐野市出流原)を利用しました。一乃館のある佐野市は、日光例弊使街道の宿場町としてさかえ、現在でも明治・大正時代にタイムスリップしたかのような街並みが続き、田園風景に満ち溢れていて、大変心地よい場所です。一乃館の館内は、まさに「大正ロマン」を感じさせる造りになっています。また、敷地に面して、「出流原弁天池」という、1956年に県文化財天然記念物に指定された周囲約138メートルの池があります。この池は、年間を通じ一定の水量(2400㎥/日)、水温(約16度)が保たれており、この湧水は1985年環境庁選定の「名水百選」にも選定されました。
ホテル一乃館 http://www.ichinokan.co.jp
(2)ココ・ファーム・ワイナリー
(8月13日(土)午後16:37 ココ・ファーム・ワイナリーの葡萄畑を背に 左から 林明夫様、私、鮒谷周史様)
8月13日(土)午後16:20頃から1時間程、足利市田島町にある「ココ・ファーム・ワイナリー」という醸造場へお邪魔しました。
ココ・ファーム・ワイナリーの経緯は、1950年代、計算や読み書きが苦手な子どもたち(中学校の特殊学級)とその担任をつとめていた故・川田昇様(2010年12月17日に逝去)が、急斜面の山を切り開き、600本余りの葡萄の苗木を植えたことにさかのぼります。この山は、当時知的障害者と呼ばれていた子どもたちのために、「共に生きる道をさぐりたい」との思いで、川田様が私財を擲って購入されたそうです。
1968年には、川田様は補助金なしの自力で、知的な障害を持つ人たちの為の「こころみ学園」の施設づくりに奔走し、翌年、成人対象の知的障害者更生施設として認可がおりました。1980年には学園生の親らが出資して、有限会社ココ・ファーム・ワイナリーを設立、1984年、ついに「ココワイン」が完成したとのことです。このように、社会と、学園生との共生のために様々な施策を成功させ、広く社会の模範となった川田様は、お亡くなりになる8カ月前の2010年4月に、財団法人吉川英治国民文化振興会より、第44回吉川英治文化賞を受賞されました。川田様は受賞を大変お喜びになり、同賞受賞の言葉として、「思いがけない受賞の知らせに冥土への土産をいただいたような気がします。」と述べられたそうです。
ココ・ファーム・ワイナリーも、8月16日付「【交友録 その6】8月第2週<8月7日(日)~8月13日(土)>」でご紹介した霧島高原ビール株式会社(山元正博会長)と同じように、観光客を呼ぶに相応しい施設でした。当然、ワインを中心にしている施設ですが、美味しいケーキをいただくことができたり、珍しい葡萄のお酢や、ノンアルコールの飲み物も用意されていました。
「コツコツとした伝統的な手仕事を大切に、葡萄本来の持つ魅力を確かな醸造技術で誠実に引き出していくこと。一杯のワインが、今日あることの喜びのためにありますように。」とのお言葉がパンフレットに紹介されていました。何種類かのワインを試飲をさせていただきましたが、そのお味は、この後にご紹介します総合文芸誌「足利文林」(第74号-2011年5月28日発行)の中で発行人の中島粂雄先生が「こころみ学園や、森と沼のある谷、そこで作られる人々の苦悩や怯えを癒す不思議な味の極上のワイン」と賞されています。わたしも、川田様のご意志を受け継がれた「ココワイン」を作る皆様の想い(現在、学園の理事長と施設長は川田様のお嬢様お二人が引き継がれているそうです)がワインにしっかりと染み出ていると感じました。ワインだけでなく、ケーキもいただき、少しばかりリラックスさせていただいたいっときでした。「ココワイン」は、2000年開催の九州沖縄サミット、2008年開催の北海道洞爺湖サミットでもふるまわれたとのことです。
ココ・ファーム・ワイナリー http://www.cocowine.com/
(3)巌華園(がんかえん)
(8月13日(土)午後17:41 巌華園入口を撮影)
8月13日(土)午後17:40頃から20分間ほど、足利市月谷町にある旅荘「巌華園」にお邪魔しました。巌華園は、作家の檀一雄や、洋画家岡本太郎、俳優森繁久弥等、多数の著名人が訪れた歴史ある旅館です。また谷文晁作庭、渡辺崋山命名とされる、素晴らしい庭園でも有名で、2006年(平成18年)には、庭園文化の展開を知る上で貴重な事例として栃木県初の国の名勝に登録されたそうです。
さて、巌華園に訪れた理由は、先にご紹介した「足利文林」(1980年創刊の31年の歴史を持つ総合文芸誌。)を発行している中島粂雄先生にお会いするためです。中島先生は、巌華園のオーナーも務められています。「足利文林」の創刊者である,県文化功労者の詩人、三田忠夫様が1996年に亡くなられた後、中島先生が発行人を引き継いでこられたとのことです。
18:00頃に巌華園を出ると、「迎え盆」ということで、老若男女の人々がろうそくに火を付けて、提灯を持って家路についているのが目につきました。
お盆とは、先祖供養の儀式で、先祖の霊があの世から現世に戻ってきて、再びあの世に帰っていくという日本古来の信仰と仏教が結びついてできた行事だそうです。「迎え盆」というのは、多くの地方では毎年8月13日に行われ、お墓の前で盆提灯や盆灯籠を灯し、お墓から家まで精霊を案内し、精霊を家に迎え入れるそうです。14日・15日の2日間は、精霊が家に留まっている期間ですので、仏壇にお供え物をして迎え入れた精霊の供養をするそうです。3日後の16日の夜に、精霊は再びあの世へ帰っていきます。この時、迎え火と同じように今度は「送り火」を焚き、再び帰り道を照らして霊を送り出すとのことです。
【参考】http://iroha-japan.net/iroha/A01_event/10_bon.html
「迎え盆」も「送り盆」も、どちらも夕方に行うようです。田舎では未だに見られる風景ですが、徐々にこういった風習はなくなりつつあります。
その後、18:15頃、足利フラワーセンターによりました。何枚か写真をとりましたが、夜の花を撮影したのは,ブログを作成しはじめて以来初めてのことでした。その後、夜の帳の佐野の町を自動車で移動し、一乃館へと戻りました。夜の風景も、まさに、日本のかつての田畑、街並みをイメージするに十分でした。
(8月13日(土)午後18:26 足利フラワーセンターにて林明夫様と撮影)
(4)開倫塾 足利中央校
8月14日(日)午前9:40頃、開倫塾の足利中央校へお邪魔し、10数名の生徒の皆様にご挨拶をさせていただきました。「勉強とは達成感を味わうことであるが、そのことによって新たなチャレンジ精神が生まれ、次なる目標を定めて取り組む気構えができる」という旨をお話しいたしました。10時10分に辞去しました。(開倫塾については8月第2週<8月7日(日)~8月13日(土)>の交友録もご覧ください。)
(8月14日(日)午前9:45 開倫塾 足利中央校の教室にて 左から足利中央校校長 羽鳥正彦様、私、鮒谷周史様と共に撮影)
(5)日本最古の学校 足利学校
(8月14日(日)午前10:24 足利学校「入徳門」にて鮒谷周史様と共に撮影)
8月14日(日)午前10時20分頃、足利学校を訪れました。今年は、足利学校の復原が完成して20年になると共に、足利市制90年、足利学校中興の祖・上杉憲実(うえすぎのりざね)生誕600年という区切りの年とのことで、「足利学校復原20周年~守り伝えられた学問の場~」展も開催されていました。
皆さんもご存じの通り、足利学校は、日本最古の学校として知られています。足利学校の創建の時期については、いくつかの説があるそうですが、学校の歴史が明らかになるのは室町時代中期以後です。また戦国時代には全国から多くの学徒が集まり、江戸時代にも徳川幕府の庇護を受けて継承されてきました。
足利学校の建物は、全て木造の建築で、素晴らしい日本庭園がありました。本ブログで8月12日付、19日付で「大地の『気』」というテーマの記事を執筆しておりますが、この足利学校はまさに大地の「気」が充満した癒しの地でした。足利学校は、天文年間 (1550年頃) の全盛期には学生数3000人という規模を誇ったそうで、キリスト教宣教師・フランシスコ=ザビエルによって「日本国中最も大にして最も有名な坂東(奈良時代の律令制における足柄坂<静岡県駿東郡小山町と神奈川県南足柄市の境にある峠>より東の東海道のこと)の大学」と海外に伝えられるほど活気にあふれていたそうです。ここで昔の若者がのびのびとした心持で学問に身を入れていたことに思いを巡らすと、クーラーのきいたコンクリート造りの狭い部屋で勉強する今の若者に足りないものは大地の「気」であると思った次第です。
(6)栗田美術館
(大手門から見た陶磁会館<奥>とミュージアムショップ<手前右>)
8月14日(日)11時過ぎに、足利市駒場町にある栗田美術館を訪れました。これが私の3度目の訪問でした。
私は1990年4月から1993年10月にかけて、「日経アート」に「法律税金相談室」を全43回連載しました。その第12回(1991年3月号)で、栗田美術館を「日本を代表する美術館」として紹介しました。栗田美術館は、故・栗田英男様(1996年没)の蒐集による伊万里、鍋島を館蔵する世界最大級の陶磁美術館として有名です。大きな特色として、江戸時代に世界中に分布した、肥前鍋島藩で生産された伊万里、鍋島のみを、再び買い求めて里帰りさせ展示するという偉業を果たし、また、伊万里と鍋島以外の作品に対しては一顧だにしない信念と一貫した思想を持った美術館です。今回3度目の訪問を果たし、日本一の美術館と呼ぶにふさわしいものだということを再確認した次第でした。
しかし、私がお邪魔した時間には、駐車場に車が4台しかとまっておらず、お盆休み中とはいえども、はなはだ閑散としている印象を受けました。これは日本人が「文化」を愛する気持ちを失いつつあるということではないかと思いました。全国の美術館が経営的に喘いでいるとのことですが、これをどのように国家的事業として大切にしていくか、ということに改めて思いを馳せました。
栗田様は、非常に女性に人気のあった方としても有名との話を聞いたことがあります。その詳細を明らかにすることはできませんが、美術館の展示場に1988年4月15日に米国の大女優、故エリザベス・テーラーが来館した時の写真がありましたが、その写真に、お二人の間には、縁が深かったのではないかと察せられるような雰囲気が流れていました。艶福に恵まれた男性は大成し、モテない男性は大物になれない…それを証明したといえるような写真でした。栗田美術館が日本一であると申し上げましたが、栗田様のお人柄も、日本一のものであったと思われます。
栗田様は、1952年の第25回衆議院議員総選挙で当選され政界入りし、独占禁止法改正案(いわゆる栗田私案)を手掛け、独占禁止法の充実に奔走し、この分野の発展に貢献した方としても有名です。極めて多彩な方であったということです。
私は、忙しい日々を過ごしておりますが、都会の喧騒から逃れ、時間の流れの緩やかなところへ宿泊することによって、心身ともに安らかなひとときを過ごし、日々の活力をいささか回復しています。今回訪れた足利は、まさにこれを実現するに相応しい場所で、満足した二泊の旅となりました。
さて、今回の旅に同行して下さった有限会社セカンドステージ代表取締役鮒谷周史様からは、「足利は、『日本最古の総合大学』といわれる足利学校があったことの影響なのでしょうか、伝統、文化、教養の香りの漂う素晴らしい街だと感じました。」とのご感想を下さいました。
鮒谷様は、2004年4月に、私が何度も著作を出版させていただき、公私ともに親しくさせていただいている株式会社かんき出版最高顧問 境健一郎様(当時は代表取締役社長)にご紹介されて初めてお会いして以来、親しくさせていただいております。鮒谷様は、メールマガジン「平成進化論」を発行されておられ、初めてお会いした当時は購読者数が約2万人でしたが、現在ではおよそ20万人の読者がいらっしゃるそうです。素晴らしい経営の才覚をお持ちであると思います。