9月4日(日)午前9時45分から10時40分までの間、東京国立博物館(東京都台東区上野公園)へ赴きました。2つの展覧会を見るためで、「空海と密教美術展」と、「特別展『孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本』」を見学しました。

 

1.空海と密教美術展

 20110913①.JPG

(2011年9月4日(日) 午前9:40 東京国立博物館にて「空海と密教美術展」の案内看板を撮影)

 

 「空海と密教美術展」は、実は8月21日(日)に一度赴いたのですが、あまりの人だかりで混雑していた上、雨が降っており、高齢の私にとって博物館の入口から展示場まで雨の中歩くのが億劫でありましたので、またの機会にと諦め、今回再度赴いたのでした。

 

 9月4日(日)もあいにくの雨でしたが、小雨であった上、前回に比べると入場者が少なく思えたので入館しました。しかし、実際に入館してみると、午前10時前であるというのに、老若男女の人々が溢れかえり、かなりの混雑で、驚きました。この人々が全員、空海・密教の世界を理解しているとは到底思えませんでしたが、理解しないまでも関心を持っているのでしょう。

 

 私が空海や密教の世界について意識したのは、学校の歴史等の授業で色々学んだ随分以前のことになりますが、現実にこの世界に近づいたと感じたのは、鹿児島県にある最福寺を訪問した時でしょう。最福寺に初めてお邪魔したのは2009年2月です。それから2年半後の本年7月9日に、2度目の訪問をいたしました(7月12日付【交友録その1】にて、最福寺法主 池口惠観先生についてご紹介いたしましたので、そちらもご覧ください)。

 

 さて、空海と密教美術展に入館し、暫く見て回った後、パンフレットを購入しました。2500円でしたが、決して高いものと感じませんでした。なぜなら、最福寺にお邪魔して以来、密教に限らず宗教、信仰に興味を持ち始め、今後本ブログで「神・仏」をテーマに自分なりの感じること・思うこと・考えたことを取り纏めたいと考えているからです。そのためには「空海」の世界は避けて通れないと思っているからです。阿倍仲麻呂、空海、最澄といった学僧(もちろん名もない学僧も含めて)が中国にわたり、仏教その他の年代の文化に接し、日本にその仏教、文化を持ち込みました。彼らは、中国で異言語をマスターし、仏教という世界を理解しマスターするという大変な困難、障壁を乗り越えるために多大な努力をし、日本文化の発展に寄与しました。彼らの努力が、今日の日本文化を築き上げる基礎となり、そして仏教の影響力は日本人の魂にしみわたっているものであると思います(8月9日付【交友録その5】にて、日中協会の白西紳一郎様をご紹介した中で、阿倍仲麻呂についてや私の日中友好への想い等を述べておりますので、そちらもご覧ください)。

 

 「空海と密教美術展」は9月25日(日)まで開催されているとのことです。皆さまもお足を運ばれてはいかがでしょうか。

 

 「空海と密教美術展」HP http://kukai2011.jp/

 

 

 

 

2.特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」

 20110913②(歴訪記).JPG

(特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」パンフレット)

9月4日は「特別展『孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本』」の最終日で、私としてはタイミング良く訪れることが出来たことが大変うれしく感じました。この展覧会に関心を持った理由は、私は来年5月に75歳を迎えますが、その記念として「中国民主化への底流」という本を出版したいと考えており、展覧会にて、現在の中国の民主化の歩みである孫文先生(1866年~1925年)について理解を深めることは、この執筆にあたり大いに参考になると思ったからです。

 

孫文先生について関心を持ち始めたのは、中山陵(江蘇省南京市東部の紫金山に位置する孫文先生の陵墓)を見学した時のことです。初めて中山陵を見学したのは、1997年11月に上海から南京に赴いたときで、次は上海高井倶楽部の皆様と2005年4月に見学した時です。中山陵には孫文先生の陵墓があり、祭堂の三つの入り口の上には「民族」「民権」「民生」という孫文の唱えた三民主義のスローガンがそれぞれ掲げられていました。珍しいことに墓室の天井には台湾の国旗である青天白日旗の模様が描かれていました。陵墓はフランスのナポレオンの陵墓を参考に造られたものであるとのことで、大変立派なものでした。毎日多数の中国の人々が中山陵に訪れ、孫文先生を偲び、大いなる敬意を表しているとのことです。

 

孫文先生はいつからか「孫中山」と号すようになりましたが、この「中山」の由来は、孫文先生が日本亡命中の1913年から1916年の間、東京都千代田区日比谷公園付近に住んでいたそうですが、公園の界隈にあった中山忠能公爵(明治天皇のご生母・中山慶子様の父)邸の「中山」の表札を見て、「中山」という名字が気に入り、その後「孫中山」と号すようになったという逸話があるそうです。非常に日本に好意的な方であったということです。中国では、「孫文」ではなく、「孫中山」の呼称が一般的とのことです。ちなみに北京でも上海でも台北でも、そしてその他の都市でも「中山」という名前がついた公園や道路があります。

 

梅屋庄吉様(1868年~1934年)は、香港で「梅屋照相館(写真館)」を営み、その後、映画産業に乗り出し、日活の創設に関わるなど、日本における映像事業の黎明期に活躍し日本の映画産業の地盤を築きつつ、孫文先生の志に共感し、物心両面にわたって手厚く庇護していたということでした。その額は、現在の貨幣価値で約一兆円になるということです。梅屋様は、「孫文トワレトノ盟約ハ一切口外シテハナラズ」と遺言に残したとのことです。

 

ご遺族は、その言葉を守り、梅屋様が残した資料は、近年まで世に出ることはなく、今回の展覧会はその貴重な資料が公開されており、大変勉強になりました。例えば、梅屋様が愛用された,つむぎの羽織です。裏地には孫文先生による「賢母」の文字が書かれていました。「賢母」という文字には、孫文先生が親身になってお世話をしてもらった梅屋庄吉様のご夫人、トク様への特別な思いも込められているといわれているそうです。また、孫文先生の妻として生きた宋慶齢(そうけいれい。宋家三姉妹の次女、中華人民共和国名誉主席)がトク様に宛てた直筆の手紙なども展示されていました。

 

孫文先生の言説の中では、「三民主義」(岩波書店)にある「中国人は砂の民である」という言葉が一番説得力があると思います。それだけに中国の政権は民を石にし、岩にする努力が日本人の政権以上に大変であるといつも思っています。民を石にし、岩にしてこそ、世界に伍する中国になるからです。

 

・  特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」HP

http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1398

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