(2011年9月11日(日)午前6:42 東京都中央区 築地川銀座公園にて撮影)
新潟トヨタ自動車株式会社 代表取締役会長 等々力 好泰 様
9月7日(水)午後15時15分、新潟総鎮守 白山神社(新潟市中央区)へ新潟トヨタ自動車株式会社 代表取締役会長 等々力好泰様のご案内でお邪魔しました。白山神社の御祭神、菊理媛大神(くくりひめのおおかみ=白山大神)は別名を、白山比咩(しらやまひめ)大神と言い、加賀の霊峰白山頂上に祀られている女神様で、この神様を勧請して新潟の地に祀ったものだそうです。菊理媛大神は農業の神、海上の神、そして国家、郷土の守り神として広く人々より尊崇されていたとのことです。境内を参拝しておりましたところ、本殿において等々力会長が指をさされたのでその方向を見てみると、なんとそこには総代を示す場所に「等々力好泰」と書かれた御神燈がありました。等々力会長は地域でご活躍される人物として評価されるだけでなく、人格・識見が優れている方として同神社の氏子総代を務められていると存じます。
(2011年9月7日(水)午後15:12 新潟市中央区 新潟総鎮守白山神社にて
一番目にある「等々力好泰」と書かれた御神燈を撮影)
新潟総鎮守白山神社HP http://www.niigatahakusanjinja.or.jp/
その後午後16時に株式会社加賀田組を訪問し、午後16時30分から、新潟トヨタ自動車株式会社本社にお邪魔しました。
(2011年9月7日(水)午後16:45 左から新潟トヨタ自動車株式会社社長等々力徹様、等々力好泰様、私 新潟トヨタ自動車株式会社本社前にて撮影)
新潟トヨタ自動車株式会社HP http://www.niigata-toyota.co.jp/
株式会社加賀田組HP http://www.kagata.co.jp/
さて、私が等々力様にお会いしたのは14年前の1997年に新潟トヨタ自動車株式会社の労使紛争の問題に対処するために私が主任弁護士に起用され、担当したことが縁でございます。当時等々力会長は代表取締役社長でいらっしゃいましたが、この労使紛争を乗り切られ、今日の発展を促されたのです。そしてそれ以来、14年間等々力会長には本当にお世話になっております。
例えば、私の車は、現在メルセデスベンツS350ですが、これは等々力会長のお気持ちで新潟トヨタグループからお借りしています。
さて、等々力会長はたくさんの事業をなさっていますが、その主だったものをいくつかご紹介したいと思います。
Ⅰ 日本と中国における車の販売事業
新潟トヨタ自動車株式会社というからには、トヨタの自動車を販売することは言うまでもありませんが、トヨタのディーラーのうち、全車種を販売しているのは、実は、新潟トヨタだけとのことです。全国にいくつのディーラーがトヨタ系としてあるかは分かりませんが、新潟トヨタは群を抜いた扱いを受けているのです。いうまでもなく、それは、等々力会長およびその先代がトヨタに対して真摯に対応してきたからに他ならないでしょう。また、同社ではもちろん、レクサスの販売もされていますが、今は、プリウスに重点をおかざるをえないそうです。地方都市であるが故に、高額な車は売れないということが理由であるのはいうまでもありませんが、日本全体でもそうなっているようです。
等々力会長の事業展開は、新潟のトヨタ系販売会社で平成23年度に約880億円の売り上げを上げられていますが、それ以上に中国で手腕・力量を発揮されているそうです。等々力会長は、中国ではBMW等々の車種を販売されていますが、中国での2011年1月~12月の売上高は72億元(約1,000億円)の売り上げを見込まれているそうです。
中国への事業展開は労使紛争で新潟トヨタ自動車株式会社が苦況に立たされた前後から開始され、労使紛争によって拍車がかかったということですので、極めて強いご決断のもとになされた事業ということになりますが、中国ではすでに成都BMW・青島BMW・南寧BMW(2010年度売上高ベスト3)など15の営業拠点でディーラーを展開されています。
BMWについては先程述べましたが、BMWに限らず、等々力会長は中国において様々な車種を扱っておられます。近いうちには、ポルシェも展開されるでしょう。私はそれに対してささやかな助言をし、中国のポルシェファンがこぞって等々力会長のポルシェのお店に駆けつけるような状態になればと念じています。
国際的な視点だけでなく、国内的視点についていえば、私は日本がますます貧困になっていくだけに、100万円の車も買えなくなる地域が多数発生するだろうと予測しております。このことを念頭において、私は、インドのタタ・モーターズと提携をしては如何かとの提案をしています。日本の今後をみつめて事業展開をしていかなければならないのは、何も自動車のディーラーに限ったことではなく、全ての職業、業種にとって大いなる課題といえると私は考えております。
Ⅱ マクドナルド事業
等々力会長は、クォリティフーズ株式会社(新潟市西区)で取締役会長をされています。同社は1990年に開業され、2008年に群馬県及び長野県におけるマクドナルド直営店の営業主体をマクドナルドから同社に移行し、同社によるフランチャイズ経営として以降、マクドナルドを140店舗ほど設置しており、マクドナルドにおける最大のフランチャイジーだといわれています。
マクドナルドのフランチャイジーを始められたきっかけは、新潟トヨタ上越営業所の遊休地の運用として、車のショールームへの来客誘致、活性化のためにイエローハット店とともに出店したとのことですが、当初より車に乗ったままで商品を買えるシステムであるドライブスルーが大成功をおさめ、現在も新潟県下最大級のセールスを上げているとのことです。非常に厳しいファーストフード業界の中で、等々力会長はチャレンジし続けていらっしゃるのです。
Ⅲ その他
等々力会長はいつも新しい事業は何かということにご関心を持ってチャレンジされていますが、この数年来手がけていらっしゃったのは、裏方としての株式会社加賀田組の再生です。マンションデベロッパーの不良債権問題で苦しんでおられましたが、メインバンクである第四銀行の特段の配慮やリストラ等が功を奏し、立ち直り、再び新潟で大々的に活躍できる状況をむかえようとしています。
ところで、新潟市中央区に本店を構える「第四銀行」は、現存する銀行では日本で最も歴史の長い銀行ということをご存じでしょうか。明治5年に「国立銀行条例(日本最古の銀行法令)」が制定され、それに基づき、主要都市に4つの銀行が設立されました。第一国立銀行は東京に設立され、第二国立銀行は横浜に、第三国立銀行は株主間で紛議が生じ開業に至らず、第四国立銀行が新潟に設立され、第五国立銀行が大阪に設立されました。明治の初期には、新潟県は県勢として日本で4番目、正確には3番目にランキングしていたということです。これは、当時新潟には、江戸末期に盛んに行われた新田開発により、全国でも有数の大地主が多く在住していたからだそうです。その後新潟県は凋落に次ぐ凋落を続けてしまって、2011年の県勢を見てみると一人当たりの県民所得が全国で27位(新潟県勢要覧2011)です。こうした状況のなかで等々力様が一層ご活躍され新潟県勢を盛り返されることを期待しています。
さて、今後、等々力会長は、若手技術者の採用、加賀田組の新社屋の建設等、攻めの経営に転じていきたいとお話されていました。
私は新たなことに関心を持ってチャレンジし続ける等々力会長を誇りに思っており、クライアントにとどまらず、そのような知人・友人を持てたことを嬉しく思っています。
この9月10日、くしくも等々力好泰様は満61歳を迎えられました。私に比べて13歳もお若いのですが、それだけに、まだ10年は少なくとも頑張っていただきたいという気持ちで、いつも私はお付き合いをさせていただいています。