(2011年10月26日 朝6:54 東京都千代田区 日比谷公園にて撮影)
さて、今回も前回、前々回に引き続き匡正堂葛飾 齋藤整骨院院長齋藤博保先生についてご紹介いたします。
齋藤整骨院には、齋藤先生直筆の筆で書いた標語が5つあります。
・ 【食動睡】
食べる動く眠る は人が健康に生きる上での大原則
バランスのとれた正しい食事でとりこまれた
エネルギーを完全燃焼する為の運動
疲れ切つた身体を癒し精神の疲労を取る睡眠
この三つのサイクルを正しく行い 元気な身体作りを心掛けましょう
前回述べた「コンピューター病」に関連して、齋藤先生は、田舎に暮らす人ほど、動物的感覚である【食動睡】の健康への原則が比較的守られ、身体全体に自然と柔らかさを感じる一方で、システム化された都会人に近くなるほどに動物的感覚が薄れ、身体も固く不自然さを感じるということをおっしゃっています。人が知恵を絞る目的の一つは、「便利」と「ゆとり」を追求することですが、コンピューター進化の時代に、「便利」と「ゆとり」が調和することが必要である、と説かれています。齋藤先生は、ゴルフがお好きですが(ゴルフについては後述します)、世界10数カ国をゴルフクラブをかついで旅をされてきました。その際、コンピューターとはまったく縁のない国に行って、人々の暮らしを垣間見た時、「不便」の中にも「ゆとり」と「平和」を感じられたそうです。
・ 【元気で長生き 世の為 家族の為 我身の為】
元気であることは一番の幸せであり喜びである
元気であることは迷惑かけずお金をかけず手間かけず
齋藤先生の口癖は「『男は88歳まで、女は95歳まで』ぴんぴん元気でなければならない。一般的に寿命は男性が女性より少し短命のようですが、その年齢までは日頃の健康管理で十分元気で生きられます。元気で長生きは『世の為(国の予算が助かる)』『家族の為(介護する人が苦労しない)』『我が身の為(自分も楽しい)』」」ということを治療三楽として、標語にされています。最近は、この年齢を「『男は95歳、女は100歳までぴんぴん』に改めなければならない」とつぶやいておられます(これについては後述します)。
・ 【膝は第二の命です】
足が悪くなってしまうと人体全ての機能が止まってしまいます
そして色々な臓器に病気が発生します
先づ足元から元気にしましょう
齋藤先生は、昨年独立開業40周年を迎えられた時、「健脚達磨」という達磨を作られました。これは、健脚作りの治療技術をさらに研鑽し、1人でも多くの患者さんに転んでも転んでも立ち上がれるような健脚となって幸せな老後を送っていただけるように、との齋藤先生の想いから作られたものです。
人間の脚は、およそ身長の2分の1を占めています。それらは人間という動物が生きる上で最も重要な部分として与えられ備わったものであり、移動、行動のほかに脚が止まるということは体内循環である基本的「流れ」がとまり、色々な諸病のもとになるそうです。
・ 【健康とは健全なる精神と健全なる肉体に宿る】
健康的な生命維持の自浄能力を発揮させる為には、強く正しい免疫力と自然治癒力を如何に引き出すかである
・ <頭が重い 首がこる 目がかすむ 肩肘手首が痛い 背中の一点がこる ストレスが溜っている 目が廻る 目にクマが出来る 片頭痛がする 涙目でうっとうしい 手がふるえる 目がいつも充血している いつも眠い 天井を見上げると手がシビレる 顔色が悪い>
これ等の症状はパソコン・携帯電話など長時間の操作による病的症状です。人間は所詮動物です
跳んだり走ったり新鮮な空気を胸いっぱい吸い込んで生活をエンジョイすることが健康的に過ごす基本です
背筋の調整で症状改善を心掛けましょう
齊籐先生の治療は、適応年齢も0歳~100歳迄と幅広く一事が万事、結果を出しつつ安全性の高い治療を行っておられます。葛飾 齋藤整骨院では、今までおそらく100万人を超える患者さんを見られてきたということですが、これまで失敗したご記憶は殆どないそうです。
齋藤整骨院は、原則水曜日と祝日のみがお休みです。齋藤先生は火曜日もお休みにされておられるので、火・水と、週休二日制を実施されています。お弟子さんが何人もお見えになりますが、来院者が多いので、齋藤先生直々の治療を受けられるのは、全体の約3分の1の来院者だけになってしまいます。1日の来院者数は平均実に100名前後ですが、時には驚くなかれ、150名を超えることがあります。まさに人気抜群で、前回述べたとおり、北は北海道、南は沖縄まで、全国各地から患者さんが来訪されるということです。
なお、自由診療で行われています。交通事故には保険医療も行われているのですが、一般には保健医療は行っておられません。そして、患者さんの負担額は大体初診6000円~8000円、再診2500円~3500円、80歳以上は2000円、高校生・中学生は1300円、小学生・幼児は700円と比較的安く治療を受けることが出来ます。
齋藤整骨院には、高齢者が沢山来院されていますが、それは、高齢者については治療費が極めて安価だからです。その結果として、齊藤先生は『男88歳、女は95歳』を『男は95歳、女は100歳までぴんぴん』に改めなければならない、と呟いておられることは先に述べた通りです。齋藤先生が『男95歳まで、女100歳まで元気である』というように、その年齢を上げた理由は、高齢化が進んでいるということが挙げられます。高齢化社会の為、寝たきり老人が増えてきているのが社会問題になっていますが、「自宅介護での家族の苦労は計り知れない」と、いち早く数年前から元気な老人づくりに取り組んでおられるのです。本当にありがたいことです。
高齢化社会についていえば、高齢者にかかる医療費の問題として、国の負担がどんどん増額されています。このことは、日本の「医学」が間違った方向に進んでいるのではないかと考えさせられます。日本の医学は「古典医学」とか「コテンコテン医学」とか揶揄されている状況にあります。また、「医学」のみならず、「医療」「治療」の在り方を本質的に見直さなければならないのではないでしょうか。また、「医学部」だけでなく「医療学部」「治療学部」を設立する必要があるのだと思います。
さて、齊藤先生の趣味は多彩です。特に一番はゴルフでしょう。68歳にもかかわらず、本年9月軽井沢で行われた東日本ミッドシニアパブリックアマチュアゴルフ選手権競技地区決勝にて8位の成績をおさめられ、全日本進出となり、今月10月19日、20日に開催された榛名の森カントリークラブ(群馬県高崎市)の「第8回全日本ミッドシニアパブリックアマチュアゴルフ選手権」に出場され、全日本で第20位の成績をあげられたということです。(※全日本大会の様子は,齋藤先生の「奮闘記」として,当ブログ内でご紹介する予定です。)
「自分は長患いするのではなく、突然ぽっくりいくのではないか」と、ときたま先生がお話しになられますが、まさに先生は心身ともに健康を旨としておられるということです。
齊藤先生直筆の標語にある通り、足腰を鍛え、エネルギーを完全燃焼するための運動に励まれ、そして夜分には早々と深い眠りにつかれるそうです。このように、極めて元気に治療に当たっておられます。
匡正堂葛飾HP http://匡正堂.jp/
匡正堂HP http://kyoseido.jp/(匡正堂のネットワークはアメリカハワイを含めて全国に20カ所あります)
【最後に】
齋藤先生に本ブログ記事を執筆するとのお話を申し上げたところ、下記のお言葉をくださいました。
〈小生は11人兄弟のほぼ真ん中として育ちました。大家族の真ん中ということであまり存在感はなかったと思いますが、そんな中でも幼少期のころから父の仕事に強くあこがれておりました。子どもながら上、下に気を使いつつの少年期を過ごしたことによって、私なりに常に真ん中の考え方、ハングリー精神が養われたように思います。11人兄弟の内男6人女1人が家伝を継承しておりますが、小生が兄弟の中心となりまとめ役を買っております。父、母、兄2人は他界いたしましたが、今でも独立開業している兄弟が弟子を引きつれ、総勢40名程でゴルフコンペを年2回和気藹々で行い親睦を計っております。
年を重ねて小生が思うに、大切なのは自分に課された役目を人の為に、そして今迄私を理解し、応援してくれた兄弟を大切にして参りたいと思う次第です。
最後にこの度名誉なことに高井先生をはじめ多くの方々に大変高評価をいただき有難いというよりは、まだまだ未熟なる自分にはお恥ずかしいと思っております。小生には、授けられた仕事以外なんの取り柄もない人間です。つくづく思うに自分に課せられた役目に生かされているように、自分に出来ることをただただ生涯やり抜き、悔いの残らないように生きられたら、と願っております。〉と、実力はさることながら、人間性も、謙虚で優れていらっしゃいます。
また、齋藤先生の「手にかかる」と病気が治る、その理由とは、先生の「手」に「気」がこもっていて、それが患者に伝わるということであると思います。齋藤先生に「手」についてどうお考えであるかお聞きしてみたところ、下記のようにご回答いただきました。
「人間の最大の特徴としての手の器用さはほかの動物の及ぶところではなく医療のあらゆる分野においてもその器用さは活用されています。痛み、苦しみの場所に無意識に手をあてがうことから『手当』と云うように、治療の第1歩が始まります。手は単なる治療道具としてでなく、五感(五官)に通じ人との触れ合いを通じて様々な相手の感情、異和感を感じとる。それと共に、『気』の交流となり、治療のもっとも大切な道具といえます。又、鍛錬のみの手の技術は相手を心底から得心させることは出来ず、ただの組上げ作業でしかなくなってしまいます。手に『気』を入れ『心気』のこもった手技による患者さんへの治療反応ははっきり表われます。」
このように、齋藤先生はまさに研鑽、修行の方で、私は医学・医療に携わる人も皆、研鑽、修行を積まなければならないと思います。単なる知識の習得だけではだめだということです。研鑽、修行を積むことで、すなわち「気」を得ることで、初めて医学・医療を実践できるのではないかと思います。なぜなら、「気」というものは単に個人の体内のみに留まるのではなくて、体外に全方向へと発信されるエネルギーであり、また受信者との関係において双方向にも作用するものであるがゆえに、本来的に相手を意識してはじめて、機能するものです。ですから、医学・医療関係者に「気」がなければ、病気の患者、すなわち「気」が病んでいる人、弱まっている人の「気」「いのち」のエネルギーを高めていくことができないのではないでしょうか。
齋藤先生より、「気」についてお聞きした所、下記のようにご回答いただきました。
〈私は、「気」なるものは森羅万象大宇宙全てに存在するもので、人間は勿論、全ての事物は「気」によって生かされ、それぞれに必ず「心」が存在していると信じています。心と心が通じ合うことが「気」のめぐり合いではないでしょうか。「気」の表現は日本民族特有のものと思われますが、平時において「気」に気付かず、「気」に関する言葉や表現を知らず知らずのうちに沢山使っているのです。
私の場合も、患者さんに対して「気」を使うことは必然なことです。「気」とは、「心の使い方、心の置きどころ」と思うのです。「気」については色々な書物、達人の教えにもあります。いずれもお互いの「気」が交流し、シンクロ(同調)したときに通ずると解いています。良い「気」、悪い「気」など、自分の心の中での使い方によって善気にも邪気にもなります。
これまで、私を訪ねて数え切れない人が来院されました。もしこれからも、私を必要とする人と巡り合えることが出来たら、その人の為に誠心誠意尽くしてまいるつもりであり、これこそ「『気』の巡り合いのパワーである」と感謝するところです。〉
齋藤先生の治療を受けると「すっきりした」といった感想を持たれる方が多いそうですが、私は、29年に亘り先生のご治療を受けていますから、もう「すっきりした」とか「調子がよくなった」といった感想を持つこともなくなってしまいました。しかし、それは、先生の治療法、先生の「手」から出る「気」と私の「気」とが交流し、一体感を持つに至ったからであると思います。
私が66歳のとき、2003年4月に、一度目の脳梗塞を発症しましたが、それから8年、74歳になりましたが、こうして生きていることが出来ています。それは、齋藤先生をはじめとする医者・治療家の先生方のおかげでもあるし、10月14日付記事「齋藤先生(その1)」で述べた、「時も薬なり」という齋藤先生の名言の通り、私の長い闘病生活の中で、時間が解決してくれた部分もあるのかもしれません。
この「時も薬なり」の言葉の所以は、時の経過と共に細胞が「死滅と再生」を繰り返している、ということだと思います。そして、老化現象によって、この「死滅と再生」の時間が次第に長くなります。そして、再生のスピードが死滅のスピードよりはるかに劣ることになると死を迎えることになります。老化現象などについては、私の思うところを今後当ブログにて取り纏める予定ではありますが、私も74歳の高齢になりましたので、死滅のスピードよりも再生のスピードの方が遅れてきてしまっているのではないかと思います。しかし、私も今後も齋藤先生の治療を受けながら、先生の「気」と一体感を持ちながら、残された人生の中で仕事を続け、いささかなりとも社会に貢献していきたいと存じております。