2011年10月14日のアーカイブ

 

20111013.JPG

 

 

(2011年10月9日(日)15:45 
静岡県田方郡函南町 南箱根ダイヤランドにて撮影)

 

 

 

今回から何回かにわたって、「病気」をテーマにブログ記事を執筆しようと考えております。私自身、ここ十年足らずの内に様々な病により苦しんでおりますが、全国の病院、医者、治療家にかかっている中で、多くの先生方が、検査や薬に頼るだけでなく、人間の自然治癒力、人間の持っている力を最大限に生かす方向で治療をしていくという考え方をお持ちであることを知り、大変感銘を受けています。そして、「病気」についてお教えいただいてきたこと、私が感じてきたこと、思ったこと、考えてきたことを本ブログにて取りまとめたいと思います。

 

さて、私が74歳の今でも健康そうに見えて仕事に励むことが出来ているのは、実は、匡正堂 葛飾齋藤整骨院院長齋藤博保先生の治療によるところが大きいと感じています。齋藤先生とは30年ほど前の私が45歳の1982年8月に初めてお会いして以来、空白期間もあるものの、治療を受け続けています。私は、週に1度か2度、背中を押して背筋を矯正し身体を整えるという根本的治療を受けていて、これによって、どうにかこうにか、肉体を維持しております。

 

齋藤博保先生についての交友録もご覧ください。

/weblog/2011/08/82878136.html

 

 

【私の病歴、後遺症(瘢痕)】

「どうにかこうにか」と申し上げる理由は、私の病歴をご紹介すればお分かりになるかと思います。私の病歴は、まず66歳のとき、2003年4月に、一度目の脳梗塞を発症しました。その際は、右半身が不随となりました。様々な治療を試みた結果、外見的には後遺症が残ったとは見えないまでに回復いたしました。2006年4月、二度目の脳梗塞を発症しました。この際は、言語障害となりました。ある程度は回復いたしましたが、いくらか語彙も減り、自分で歯がゆい思いをすることも間々ございます。3度目の発症を防ぐために、注意事項を守り、処方された薬を服用しながら、長年意識して生活を送っています。

 

現在では、脳梗塞を罹患していたとは誰にも思われないような身体にまで戻りましたが、これは、齋藤先生らのご指導のもと、健康を第一として生活をしているからではないかと思っています。

 

私の脳梗塞の後遺症が原因で起きた大きな病気は、何と言っても耳の病気です。2008年11月に左耳の突発性難聴を発症後、次第に悪化し、2010年5月には右耳の聴覚過敏症、2010年10月頃には同じく右耳の耳管開放症も相次いで発症しました。症状としては、左耳は聞こえなくなった上、右耳には音割れ・声割れが激しく、両耳に耳鳴り、閉塞感もあります。

 

これらの耳の病気が、脳梗塞の後遺症が影響した病気(齋藤先生は「瘢痕」と呼ばれます)であると診断して下さった最初の治療家が齋藤先生でした。「瘢痕」については、齋藤先生が持論として分かり易い説明をしてくださいました。

 

「真っ新な白紙の上(健康体)に黒いインク(病)を落としてしまいインク消し(治療)で一生懸命復元しようとしたものの黄ばみ、痕跡(後遺症)は多少なりとも残ってしまいます。ましては一度黒いインクを落とし汚した事実は変えることは出来ずまったく元の白紙には戻すことが出来ないと云うことです。」 

 

「しかしながらその後も後遺症を改善する余地はあります。まず第1の条件は、本人がなんとしてもこの病を克服したいという強い信念を持ち続けること、自分が治りたいという意思を強く持てば持つほど、アドレナリンがでて、自然治癒力が働くとのこと、そして、その人の年令、性別、性質、体質、生活環境、気候等さまざまな条件を見定め、その人本来のもつ自然治癒力への適正な助勢治療によって残された後遺症の更なる改善はみこまれ、更に人の自然治癒力という現象の一環として最大の力は、垣間なく行われている細胞の死滅と再生という循環が繰り返される中で後遺症の元となる組織も死滅と再生を繰り返しています。それは先に述べた諸条件に見合った治癒力となって症状は改善されていると信じています。」 

 

そして、結論として私の今日現在の症状は、その自然治癒力という現象の一環の過程にあるということで、私の難聴などの改善率は年令的、症状度合、体力、気候等の諸条件の中で現在約60%の改善だということで、最終的には15%の永久残留の可能性は覚悟しなければならないということでした。

 

齋藤先生はこのように、独特・判断力の嗅覚をもって、そして治療にも「アイディア」をもって治療して下さいます。齋藤先生が60歳を過ぎてからは、往診はしていただいていませんでしたが、私の聴覚過敏症が激しくなった昨年の春以降には、再び治療をお願いするようになりました。昨年の4月頃、私のその時の症状は回復段階であるとはいえ、脳梗塞特有の後遺症で、歩行困難というほどではないですが歩行に自信が持てず(階段を下りるときに不安感がつきまといました)、文字も上手に書けない、右耳は過敏反応で紙のこすれる音も敏感に感じるほどで、当然テレビは無声映画の状況という生活状態の時に、齋藤先生に往診をお願いしたのです。

 

治療第1日目から、「私が必ず治しますから私の治療方針に従ってください」といわれ、筋(すじ)治療が開始されました。齋藤先生はその時点で、今までのリハビリでの行き詰まりを見抜いていて、一刻も早く私の残された治癒力を引き出すためのアイディア(ひらめき)を感じていたようです。例えば、具体的には、早速、齋藤先生は私の左耳(突発性難聴を発症している方)のために、「聴診器」を用いて診断されました。すなわち、普通はお医者さんが音を聞くために耳に入れる部分を私の左右の耳に入れた上聴診器の集音部分を手でもって響かせて、私の耳が本当に聞こえなくなったのかをテストしたのです。そして、聞こえないとされた左耳もかすかに聞こえるということが分かったのでした。このように、齋藤先生は特異な治療法を工夫し、施しながら、患者を善導される方なのです。そして、齋藤先生の治療開始から1カ月後、毎日散歩を勧められ、公園めぐりが日課となり、今年の3月下旬からはこのブログにのせる花の写真を毎日撮影する等、病状の回復も目に見えて速くなってきました。

 

さて、本年9月にある病院をお訪ねし、色々な検査をしていただきました。

その病院の私の担当の先生は、都内の大学病院の神経内科でご勤務の後、現在は一般内科をされております。

その先生より私の検査結果をご報告いただきましたが、私の脳について以下のコメントを頂きました。

 

「今回の検査で私が一番驚いたのはこの脳CTです。左脳の側頭葉から前頭葉にかけての脳梗塞の跡が目立っているのですが、普通、高井先生ほどの脳梗塞を起こしたら現在も右片麻痺や言語障害が残存していても不思議ではないのですが、それが無いことに一番驚いています。あと、右の側頭葉の一部に中等度の脳梗塞の跡があります。恐らく高井先生の脳CTを見た医師はその脳の持ち主が高井先生とはわからないのではないでしょうか?私から見ると、高井先生はスーパーマンです。お仕事への熱意というのが残存した脳細胞をフル回転させているのでしょうか?凄いことだと思います。大変感激しました(私の医師人生で最も感動的な出来事のひとつに今回遭遇しました)。  

 

その後、追加のコメントが次のようにございました。

 

「大学病院の放射線の助教授の先生と脳外科の元助教授の先生に高井先生の脳CTを見ていただいたのですが、脳外科元助教授の先生のコメントとしては私の見解同様に言語障害などの後遺症があっても良いほどの脳梗塞があるとの見解でした。よって、現在先生が仕事をバリバリとこなしていることは本当に天に感謝しなくてはならないほど幸運なことだと思います。 

また、放射線の助教授の先生のコメントでは、高井先生の脳は海馬と呼ばれる部分が非常に良く残存しており、海馬は短期記憶などに重要な場所ですので、現在の高井先生の分析力などが高いレベルで維持されていることは、この海馬がきちんと残存していることによるものだということでした。」

 

私が2度の脳梗塞を乗り越え、ここまでどうにかこうにかやってこれたことも、上記のような検査結果を出せたことも、齋藤先生の治療のおかげがあってのことだと考えています。もっとも、齋藤先生はよく「時も薬なり」とおっしゃいますので、長い闘病生活の中で、時間が解決してくれた部分もあるのかもしれません。

 

次回以降は齋藤先生の理念、治療法等について具体的にご紹介します。

ご利用案内

内容につきましては、私の雑感等も含まれますので、真実性や正確性を保証するものではない旨ご了解下さい。

→ リンクポリシー・著作権

カレンダー

2011年10月
« 9月   11月 »
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  

最近の投稿

カテゴリー

月別アーカイブ

プロフィール

高井・岡芹法律事務所会長
弁護士 高井伸夫
https://www.law-pro.jp/

Nobuo Takai

バナーを作成