先日(10月12日号)の記事を続けます。
高井伸夫先生のブログに寄稿しているからといって、高井先生や高井先生の仕事術を無条件に礼賛することはいたしません。しかし、現実に感動したことは感動した、実際に驚嘆したことは驚嘆した、ということを素直に、そして率直に記していくつもりです。
高井先生と出会い、ご一緒させていただくと、毎日、どころか“時々刻々”「心が揺さぶられる体験」をさせられます。
先日の記事では、高井先生を元・某総理(大臣)ではありませんが、「コンピュータ付きブルドーザーのような」と形容いたしました。
そのような姿を目の当たりにして感じたこと、そして先の記事を通してただ一つ、お伝えしたかったことがあるとすれば、
「圧倒的に心を動かされるような存在に出会うことで、人生が変わる」
ということなのです。
私がまさにそうでした。
自身、ある時期、精一杯仕事を頑張ってきたつもりであり、相応の仕事量をこなしてきた自負もありましたが、高井先生を目の当たりにして、あっけなくその自信が崩れ去りました。
と同時に、あまりに強烈な仕事量ならびに仕事術を見て、感動すら覚えました。心地良い敗北感、というどころではなく、“唖然、呆然、打ちのめされ、完敗させられた後の清々しさ”、とでもいったような(今から考えると、井の中の蛙に過ぎなかったわけですが)。
そして、
「まだまだできる」
「もっと頑張れる」
「高井先生の仕事術をそのまま真似させていただこう」
といった、いろんな気持ちがこんこんと湧き上がってきたのです。
このような経験を通して私が感じた、感動こそが、自分自身のあり方、ひいては人生に変化をもたらす原動力となる、ということをお伝えしたかったのです。
生きていくうえで、仕事に取り組む上で、こうしたらいい、こうすべきということは皆、十分過ぎるほど分かっているはず。しかし、体が動かない。動けない人が多い。しかしどうやら、それは当たり前のことのようです。
高井先生から教わった言葉で「人間は知性や理性では動けない」というものがあります。「知動」「理動」といった言葉はなく、「感動」という言葉しかないのは、人は「感じて動く生き物だから」と。
感じることによって(心が震えて)、初めて人は動けるわけですから、理論や理屈の力で自分を動かそうと思っても、それには限度があるでしょう。反対に、自らの心を打ち、心を震わせてくれる人があれば、その人と間近に接する機会を持つだけで、自分自身が変わりはじめるはず。
なぜなら、ある人に対する憧れや感動や感激が生まれ、そこから目標が生まれ、将来のイメージが固まってくることによって、行動もまた変わってくるからです。そうやって自分の意識のありようが変わり始めることで、人生が変化し始めます。
まさに私がそうだったのです。高井先生と接して、心が揺さぶられ、再び人生が大きく変わり始めました。
人生においては「感動をもたらしてくれる人物との出会い」こそ、大切にしなければなりません。
次号に続けます。
