「医」(2)


 

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(2011年12月4日(日)朝6:54 東京都港区芝公園にて椿を撮影
椿の花ことば「気取らない優美さ」)

 

さて、前回12月1日付記事では、「医」の古い字体に「巫(ふ)」という字が入っていたことについてお話しいたしましたが、今回は、「医」の字源から私が思ったことを述べたいと思います。

 

 

【「仁」】

現代でも「巫」の心を有する人、すなわち「いのち」は大宇宙に存在するサムシンググレートの力により与えられるものであると直感的・霊的に感じられる人は、「天・地・人」の働きを網羅し、「人・自然界・宇宙」の全てに通ずるまさに輝ける人であると思われます。つまり、「巫」とは、慈愛の持ち主をも指しているのでしょう。そしてそれは「仁」に通ずることになるのでしょう。

 

「仁」を備えた人物とは、「真・善・美」を追求する姿勢と、「夢・愛・誠」を旨として取り組み、またそれだけではなく、「道義、道理、道徳」を負うという態度を持って志を立てる人、即ち良心そのものの人物であると思います。

 

「仁」とは、広辞苑によると、「愛情を他に及ぼすこと。慈しみ。思いやり。」という意味もあり、「慈しみの心」をも意味します。また、「医は仁術」という言葉があります。「医は仁術」とは、広辞苑では、「医は、人命を救う博愛の道である」と説明されており、唐の時代の紀元後800年頃に、唐の宰相を務めた陸宣公が述べた言葉「医は以て人を活かす心なり。故に医は仁術という。」が語源となっているそうです。

 

「医は以て人を活かす心なり」という言葉は、10月28日付ブログ記事にて齋藤博保先生の言葉として「鍛錬のみの手の技術は相手を心底から得心させることは出来ず、ただの組上げ作業でしかなくなってしまいます。手に『気』を入れ『心気』のこもった手技による患者さんへの治療反応ははっきり表われます。」とあるところと通ずるものです。要するに「人を活かすということは仁術である」という本然があるということなのです。人を活かすということが医学・医療の本質であることに気付かなければならないし、それは実は身体、肉体だけでなくて、「心」に及ぶ医療・医学でなければならないということを物語っているのでしょう。

 

 

【「医は仁術」】

 

日本での「医は仁術」という言葉は紀元後982年、丹羽康頼によってまとめられた日本最古の医書「医心方」にあります。

 

「大医の病いを治するや、必ずまさに神を安んじ志しを定め、欲することなく、求むることなく、先に大慈惻隠の心を發し、含霊の疾を普救せんことを誓願すべし」

 

「大慈」とは、仏教典に由来し、「仏・菩薩が衆生を慈しみ、苦しみを救う、その広大な慈悲」という意味です。「惻隠」とは、孟子(約紀元前372年~紀元前289年)とその弟子たちの言行録である『孟子』の「公孫丑章句(こうそんちゅうしょうく)」上巻の儒教倫理に由来します。「惻隠の心」とは、人の不幸や、人の危険に対して、いたましく思う心のことで、孟子は、「惻隠の心は仁の端なり」としています。


このように、日本ではこうした仏教と儒教の思想によって「医は仁術」と説かれてきたのだそうです。

 

【参考】http://takezawa.iza.ne.jp/blog/entry/1138693/

 

そして、この「医は仁術」は、江戸時代に「仁術論」としてさかんに論じられるようになったそうです。これは大方の医師の倫理的衰退が、一つの原因であったと考えられているのだそうです。私が治療を受けているよもぎ倶楽部(鍼灸治療を中心とするヒーリングスポット)の西岡由記先生は、岩手、宮城、福島、栃木の4県で、本年の臨床研修医の研修先がいずれも減少したことなどからも「現代もまさに医師の倫理的衰退の時代である」と評釈されています。

 

よもぎ倶楽部 http://www.k4.dion.ne.jp/~yomoclub/index.html


現在においても盛んに仁術が唱えられていなければならないのですが、まさに「医」という字の意味をしっかり理解して志さなければならないのでしょう。すなわち大方の医師は「金権医師」と社会に認識されているからです。本来、政治も医療も「民」の味方でなければなりません。しかし、政治家は「対症政治」を行い、医療家も保身の為に「対症療法」を行い、この行き詰まりが、過剰な医療設備投資の為の検査漬け、薬漬けであり、「金権医師」の末路ではないでしょうか。明治の開国後の西洋医学の渡来期に、野口英世(1876年~1928年)等医学研究者に「志」があった時代を思い出し、現代の医師の目覚めを期待するところであります。

 

さて、「医は仁術」について言えば、『孟子』の中の「梁恵王章句(りょうけいおうしょうく)」上巻七(その一)に、医に関するお話ではありませんが、真に納得感のあるお話があります。

 

この話はどういう話であるかというと、概略は以下のようです。

 

鐘を作った中国の人が牛を引いていました。王様はそれを見て、その理由を尋ねました。牛を引いていた人は、「鐘を完全にするために、牛の血をもって塗って隙間をふせぐのです」と答えました。それを聞いた王様は「羊の血をもってあてがいなさい」と指示しました。ところが鐘を作った人はこれに納得せず色々反論を加えました。つまり、「牛を犠牲にすることに代えて、羊を犠牲にするだけではないか」ということでした。

 

反論の趣旨はある意味では正当ですが、しかし王様の指示ももっともなことでした。まさに今、屠殺されようとする牛を目の前にみて、憐憫の情を持ってしまい、目の前にいない「羊の血をもって隙間を埋めなさい」と指示したということは、実は私にも納得感のあるお話でした。

 

私は弁護士として交渉事を請け負っております。悪い話はなるべく早く関係者にして、他人からその話が関係者の耳に届く前にするというのが交渉を上手にする手だてです。要するに、先に生の情報を知らせた者に、一定の同情あるいは憐憫の情をもって、その次の情報を検討・検証するのが人間の常だからです。それと同じことだと私は感じました。王様の指示も同様の意味であると納得したのでした。

 

このお話は要するに、そのものに直面したとき、そのものに憐憫の情を浮かべるのは人間として自然なことであって、見えないものに対してとかく憐憫の情が湧かないということはごく自然なことだからです。西岡由記先生は「『仁術』とは不幸な存在に対する『忍びない』という人間の本能に基づく哀しい心のようです」と註釈されています。もっともなことです。

 

貝原益軒先生(かいばらえきけん1630年~1714年)も、『養生訓』の中で「医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救ふを以、志とすべし。わが身の利養を専に志すべからず。天地のうみそだて給へる人をすくひたすけ、万民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命と云、きはめて大事の職分なり」と述べています。貝原先生もまた、「仁」という慈しみの心と愛を持って医学・医療は行うべきだと述べています。

 

「医」を行う者(医者、看護師、治療家等)、その制度を作るもの(立法)、実践する者(行政)、判断する者(司法)は、「巫」の世界のもと「仁」を兼ね備え、「礼・信・義・智」を実践できなければならないのです。「医」を生業とする医者、看護師等は、「医」の基礎にある「巫」の世界から離れた医学に基づいた医療を施してはならないと思います。なぜなら、医学や医療は、さまざまな条件を背負った、いわば極めて個性的な病気で悩む患者に向けて施され、一つの医療は一人の患者のためになされるもので、医師や看護師等と患者とが共同しあう営みであるからです。パラケルスス(1493年~1541年。ルネサンス初期のスイスの医師)は「医学のもっとも基本的な原則は愛である」と述べたそうですが、まさに我が国では「仁」であると述べたことに通ずると思います。「愛」という字は人の心を受けるという字です。「心」「巫」「仁」「愛」等々は、一見、医学・医療とはかけ離れた世界のものであると感じられますが、これらは実は医学・医療の基本原則であるから、医学・医療はこれらを無視してはどだい成り立たないのです。

 

次回は、今の日本の「医」の問題点などについて述べたいと思います。

 

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