(2011年12月11日(日)午前11:16
茨城県稲敷郡阿見町イーグルポイントにてナンテンを撮影
「ナンテン」という語感は「難(ナン)を転(テン)じる」に通じることから
縁起木としても親しまれています。)
前回、前々回のブログ記事にて、「医」の字体・字源について触れ、「心」「巫」「仁」「愛」等々は、一見、医学・医療とはかけ離れた世界のものであると感じられていますが、実は医学・医療の基本原則であると述べました。
しかし今、日本の医者・看護師等が、医学・医療が「巫」「仁」に通ずべきことを理解しているか、いささか疑問に感じるところがあります。
例えば2011年10月25日、先進医療(厚生労働大臣が定める高度の医療技術を用いた療養その他の療養であって、保険給付の対象とすべきものであるか否かについて、適正な医療の効率的な提供を図る観点から評価を行うことが必要な療養)などの保険外診療を通常の保険診療と併用する「混合診療」を受けると、保険診療分を含め全額が患者負担になるのは違法として、がん患者の男性が保険適用の確認を求めた訴訟の上告審で、最高裁判所は「混合診療の禁止は適法」、と判断して患者側の上告を棄却しました(事件番号・平成22(行ツ)第19号 健康保険受給権確認請求事件)。
最高裁は「医療技術や新薬の開発の発展は目覚ましく、海外で有効性や安全性が確認された新薬や医療技術は患者が切望している」といった補足意見を付しましたが、必要な医療は保険診療が原則だという考えのもと、患者側の訴えを退けたのです。この報道に関連して、読売新聞(朝刊)10月26日付38面の記事には「混合診療の拡大に努めるとともに患者側に疑問を抱かせない制度の構築に向けて議論を深める必要がある」と論じていますが、これが世論の一方の大きな声でしょう。要するに、混合診療の禁止の適法性を国は大きな声では必ずしも述べてはいけないということです。医学・医療ほど難しい学問はなく、それゆえ、未熟な学問と評価せざるを得ないからです。
映画化もされた小説「ある愛の詩」で有名なエリック・シーガルが1988年に発表し、ニューヨーク・タイムズが選ぶベストセラーとなった『Doctors』(邦題「ドクターズ」広瀬順弘訳、角川書店 1991)には、1958年9月に、ハーバード医科大学院院長が、新入生に向けた歓迎の挨拶の中で述べた「この世に何千という疾病があります。ところが、そのうち医学が経験的に治療法を確立できたのは、わずかに二十六に過ぎない」(3頁~7頁)という記述があります。26とは、なんと少ないことでしょうか。確かに未熟でありながらも医学は進んでいますが、難しい病気に悩む患者らが、希望する医療を受ける道が閉ざされるのは、なんとも遺憾なことであります。行政、立法、司法は混合診療の拡大に努めるとともに、制度の改革を速やかに行うよう、議論を進めていかなければなりません。
私は11月4日から25日まで4回に亘って、丹羽クリニック丹羽正幸先生についてブログでご紹介いたしましたが、その中で、西洋医学と伝統医学や代替医療などが融合したものが「統合医療」であるとお話しいたしました。「統合医療」は「健康な身体そのもの」や、人の身体が保有している「自然治癒力」「自己治癒能力」の向上を目標としています。今までは西洋医学が中心で「病気そのもの」を重視し、医学・医療は医師や看護師等と患者とが共同しあう営みであることをないがしろにする傾向がありました。しかし、今後医学・医療は「巫」の世界に立ち戻り、「仁」を兼ね備え、「礼・信・義・智」を実践することが必要とされる中で、「統合医療」はますます注目され、そして最終的には「統合医療」が日本の、そして世界の医療の中心になっていくことを祈念しております。
産経新聞11月30日付記事で、世界に先駆け日本で実施している「がんペプチドワクチン療法」の臨床試験(治験)が最終段階を迎えており、その結果が来年3月に明らかになる予定で、承認されれば、がんペプチドワクチン療法として世界初となる可能性が高いと報道されました。
実は、この報道よりも1ヵ月も前に、ペプチドががんに有効であるというお話を丹羽正幸先生にお聞きし、実際に、私も健康の為に飲み始めています。そして、12月3日(土)に丹羽先生にお会いした際、11月30日付の報道についてお話ししたところ、丹羽先生は報道される以前より、ペプチドに着目し、実際、患者さんの治療に取り入れていて、驚くほど良い結果が出ているそうです。医事法に抵触するかもしれないといった問題があり、具体的に丹羽先生はその研究結果を発表されてはいませんが、丹羽先生のように、現実に治療にあたっている先生は、この世に存在する数々の難病に対して、どうしたら克服できるかということを日々真剣に考えていらっしゃいます。大がかりな実験装置、研究施設がなくても、自らの治療行為の中で、難病を克服できる治療の確立を目指しチャレンジ精神を豊富に抱いている、丹羽先生をはじめとした医者・治療家は多く存在します。そういった「仁」の心を兼ね備えた先生方による成果を、単に「科学的でない」「エビデンスがない」ということで、否定するのは、極めてお粗末ということに他ならないと思います。「医』というものは、非人間的な、あるいは非宇宙的な、非霊感的な感覚で携わってはいけないということです。それゆえに、統合医療は大いに真剣に検討する余地があると思います。
【「医は仁術なり」を実践する制度・システム】
私は今から14年前の1997年に、シンガポールのマウントエリザベス病院(Mount Elizabeth Hospital)という、東南アジアで最大といわれる病院を訪問しました。
マウントエリザベス病院は最新医療機器の設備が揃っており、それに加えて心臓手術数ではアジア最大といわれていました。まず病院のボードを見てびっくりしたのは、医師の名前が書いてあるだけではなく、各医師が独立して営業していることが明瞭だったことでした。幹部のお医者様にお話を伺ったのですが、当病院ではいわゆる受診者に希望医師を募る方法をとっており、毎年医師の入れ替えをしているというお話でした。内科の○○先生、外科の△△先生と、自分で指名して医者を選ぶオープンシステムになっており、『医師のランキング、人気投票』を行っているのです。例えば内科医師が15人いるとすれば、希望者が少ない最後の2人は毎年雇い止めし、新しく雇用するという方式です。これはまことに理にかなった、「医は仁術なり」を実践する方法でしょう。日本の病院に同様のシステムがないのは、医者の切磋琢磨を制度的に阻害していると思えてなりません。これは何も医師だけではなく、看護師にも言えることでしょう。そうすれば競争が猛烈になるという面もありますが、「医は仁術である」という世界を具現化できるでしょう。
また、看護師について厚生労働省は、高齢化に伴う医療需要拡大への対応として、2013年を目途に「特定看護師(仮称)」制度という、現在は原則として医師にしか認められていない診療行為を担う看護師制度を創設するそうです。そうなると看護師もいよいよ「仁」を旨として業務を行わなければならないということでしょう。特定看護師については、よもぎ倶楽部 西岡由記先生は次のようにお話しされています。
〈医療の中心にいるのは医師のように見えますが、実は医療の現場で最も重要な役割を果たしているのは看護師です。看護師のいない医療の現場とは、あたかも母親不在の家庭のようなもので、患者さんはその家庭の子どもにあたります。中国の古い医学書には、病人の寒暖の環境を調え、適当な衣服と動静を調整し、消化しやすい食物を与えることが重要だと書かれています。
もし不適格な医療行為が行われていたとしても、看護師が患者さんをしっかり支えていたら、治癒に至ることもあるのです。それが「祈り」と通じるものかもしれませんが、それが看護の全体なのであり、その「仁」の心を天性として生かすことのできる人が本来の看護師なのです。〉
看護師は、患者の生活の面倒をみるという側面がありますから、「医は仁術である」、すなわち治癒へ貢献することは言うまでもないのです。それには看護師は仁術に徹するということが必要です。これは、一面倫理感を欠きがちといわれている医師への警告として受け取らなければならないわけです。すなわち、特定看護師に一定の医療行為を認めるというのは、正鵠を得た仁術の精神に基づいてのことだと理解しなくてはならないのです。
私自身様々な病気にかかり、医学・医療と向かいあってきた経緯からして、「医学・医療のありかた」というのは、大切なテーマであります。しかし、「混合診療の禁止は適法」との最高裁判所の判断や、現行の医事法をはじめとする「医」についての法律・制度の問題点などについては、専門外である私が語るには勉強不足の部分が多くあります。今後勉強をかさね、専門家に取材等をさせていただき、また再度改めて「未来の医学・医療のありかた」といったテーマで書きたいと思っています。