(2012年2月11日 朝10:11
東京都台東区上野公園 東照宮ぼたん苑にて撮影)
2月10日(金)より「縁」をテーマにブログ記事を連載しておりますが、今回は人間関係のトラブルに直面した際の「謝罪」について述べたいと思います。
【謝り上手になろう】
人間関係を上手に維持するためには、人の心の痛みを敏感に察知する繊細さが必要です。そして、人との縁を、気持ちよくかつ長くつなげていきたいならば、トラブルが発生したとき、円満にそれを解決する聡明さが何より重要になります。
まったく悪意はなくても、人に失礼なことを言ってしまったり、してしまったりするようなことは、誰にでもありますし、避けて通れないことです。しかし、こういったトラブルを起こしてしまった際に、責任逃れの言い訳に終始したり、率直に謝罪する誠意を持たなかったりする人は、疎まれ、嫌われるものです。謝らなければならない立場におかれたとき、大げさにいえば、人間としての真価が問われます。どんな釈明よりも真っ先に「謝罪する」という誠意を見せることが何よりも大切で、相手の怒りの感情を、一刻も早く鎮めることを最優先するのが、謝るときの基本です。
しかし、特にビジネスがらみの場合には、むやみに謝ればよいというものではありません。当方の非があきらかで謝るべき部分については、素直に謝らなければならないでしょうが、事実関係については、それとは別の客観的な判断を下さなければなりません。つまり、相手に被害や不快な感情を与えてしまったことに対してはきちんと謝ったとしても、事実に関しては安易に認めたり、妥協したりしてはならないと思います。相手の気持ちを慮りながらも、事実関係については、「別途、慎重に対処します」ということを適切な態度ではっきりと表明することが正しい謝り方であると思います。
【謝罪とは】
謝り方の得手不得手は、人生を大きく左右することもあります。謝り方が悪ければ、長年かかって築いた良好な縁が切れてしまうことになるでしょう。そして、忘れてはならないことは、謝罪とは、自分の心を救済するものではないということです。それでは単なる自己満足の世界です。謝罪とは、相手の傷ついた心を救済するためのものであるということです。
飼い犬や飼い猫は、人に迷惑をかける振る舞いをしたときに飼い主から叱責されれば、シュンとして反省をしますが、当然のことながら、そのあとで相手方にお詫びをしに行くことはしません。謝罪とは、他者の心の痛みを正しく認識し、自己を律する行為であり、人間にしかできない行動であると思います。つまり、謝罪とは、非常に人間的な行為であり、人間であろうとする行為なのではないでしょうか。
昔から「災い転じて福となす」というように、上手にお詫びをすることで相手の心を慰謝できたならば、信頼関係はかえって強まるものでしょう。謝罪しなければならない事態とは、単にピンチであるだけでなく、そのあとの縁の発展の大きなチャンスでもあるという2つの局面が背中合わせに存在する緊張状態なのです。言い訳をしたり、取り繕ったりをせずに、率直に謝罪する誠意・勇気をもつことが、縁をより成熟させる鍵となるでしょう。
(リライト:加藤・宮本)