2012年3月のアーカイブ

縁(その8)


 

3月30日.JPG

(2012年3月28日[水]13:29 
東京都千代田区北の丸公園にて諸葛菜[ショカツサイ]を撮影
花言葉:『知恵の泉』)

 

 

 

 

2月10日(金)より「縁」をテーマにブログ記事を連載しておりますが、今回も引き続き「縁」に関係するお話をしたいと思います。

 

前回3月23日(金)付ブログ記事で、飲食を共にすることは、自分のコミュニケーション力を高め、人脈・縁の形成にも大いに役立つというお話しをいたしましたが、今回のブログ記事では、より自分の成長につなげ、ご縁を発展させるための、具体的な工夫についてお話ししたいと思います。

 

【「捨て石」を置く】

さて、会食会は、先方からお誘いを受けることもあれば、こちらがセッティングすることもあります。しかし、まだそれほど親しくなく、たとえば出会って間もないような方に、いきなり「○月×日にお食事はいかがですか」とお誘いすることは、いささか不躾であるばかりか、時に相手に戸惑いを与えてしまうこともあるでしょう。

 

私は、まず「捨て石」を置くことが、上手なお誘いの方法の一つであると思います。捨て石いうと、些か即物的にすぎる表現かもしれませんが、これは、何かのお話し合いの別れ際に、「いつかお食事の機会を…」といったご挨拶をしたり、あるいはお会いした後のお礼状(お礼状については本年2月10日[金]付記事もご覧ください)に、「あらためて夜分にでもご懇談の機会をいただければ…」という一節を付け加えたりして、ワンクッション置くことなどを指します。そのうえで、しばらくたってから、お電話等で改めて本題である会食を申し入れるのです。なお、捨て石を置いたまま放置してはよくありません。相手が、当方からの誘いを待っている場合もありますから、その期待を裏切ることになってしまいます。

 

また、ビジネスの場面では、今の時代は「接待」という言葉は色眼鏡でみられがちですので、会食の場をセッティングする際には、大義名分が極めて大切です。もっとも自然で好ましいのは、「勉強させていただく」「教えていただく」という姿勢でしょう。私は、講演や本ブログをはじめとした原稿執筆等々のために様々なテーマに取り組んで勉強してまいりましたので、必然的に、「取材をさせていただきたい、ご教授いただきたい」と丁重にお願いしながら、会食にお誘いすることの機会が多くありますが、ほとんどの方が快く応じてくださいます。

 

 

【メモをとる】

さて、会食の場では、出席者からいろいろな新しい知識や発想を授けていただくことが多いものです。しかし、それらをメモしておかないと、折角の貴重な情報を忘れてしまうだけでなく、忘れまいとする気持ちから、現に歓談している相手との話をおろそかにしてしまい、話が弾まなくなってしまいます。ですから、私は、会食の場にはかならずペンとメモ帳を持参することにしています。相手の話の中の情報だけをメモするのではなく、話の中で唐突に思いついた言葉、用件、ひらめきなどもメモしておきます。なお、メモばかりとっていて礼を失することのないように、いっそうの気配りを心しなければならないことはいうまでもありません。

 

 

【「残心」をあらわす】

話が弾み、宴もたけなわになったときに一番大切なことは、「見送り」でしょう。つまり、「残心」という世界を大切にすることが肝要です。残心とは、日本の武道および芸道において用いられる言葉で、たとえば井伊直弼(1815年~1860年)は、『茶湯一会集』で、見送りとは、主客の名残惜しさの表現、余情残心である、と述べています。

 

残心をさわやかに演出するためには、たとえばお土産をお渡しするのもよいでしょう。ゲスト側もお土産を用意している場合も多いですが、それは「あなたとの心の関わりを大切にしていきたい」という意思表示でもあると思います。お土産を手に帰路につくことで、その会食の余韻を感じながら帰ることができて、コミュニケーションが継続していくのです。

 

そして、会食の翌日には、メールやレターでお礼状をだし、会食の場で約束したこと等があればそれに少しふれて、「お約束の件について覚えております」旨、それとなく伝わるようにします。会食の場では、軽い気持ちで約束事をしがちですが、有言実行がなにより大切です。本当に実行することによって、信頼性が高まり、ご縁はさらに強固なものとなるでしょう。

 

(リライト:加藤・宮本)

縁(その7)


 

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(2012年3月19日(月)朝6:45 
東京都港区芝公園にてキンギョソウを撮影
花言葉:「清純な心」)

 

 

 

 

2月10日(金)より「縁」をテーマにブログ記事を連載しておりますが、今回も引き続き「縁」に関係するお話をしたいと思います。

 

【飲食を共にすること】

人とのご縁をさらに充実・発展させるには、仕事や勉強会の機会を設けることも考えられますが、それよりも飲食を共にすることが、人間性の深いところにも触れられるもっとも効果的な方法でしょう。

 

聖書の有名な場面に「最後の晩餐」があります。これは、イエス・キリストと12人の弟子たちが、ワインを飲み、食事を共にする場面です。キリスト教では、教派の違いはあるとしても、聖餐とは、神と信仰者そして信仰者同士の絆を確認する儀式とのことで、飲食を共にすることが、人間関係、信頼関係の基礎であることを暗示しているのだそうです。また、中国の宴席では、最初に、宴席のホストが、グラスになみなみと注がれたお酒を一滴も残さず飲み干すそうです。その後、ホストの空いたグラスに再びお酒を注ぎ、ゲストと全員で乾杯をします。これは、「このお酒には毒が入っていません。安心してお召し上がりください。」という意味が込められているであるものと思われます。日本でも、「同じ釜の飯を食う」という言葉や、神前結婚式で行われる三三九度の盃の儀式(三献の儀とも呼ばれます。新郎新婦だけでなく親族の固めの意味も込められているといいます)などがあります。

 

このように、人は、飲食を共にすることを、心を許し合い、お互いに信頼し合う関係を確認し、人間関係・信頼関係を築く一つの手段としてきました。また、動物は基本的に孤食ですから、飲食を共にすることは、実に人間的な行為であるということでしょう。

 

人間は孤独な存在であるがゆえに、他の人との共生を求めます。人は人のぬくもりに触れた時、しばし孤独を忘れ、嬉しく感じます。このぬくもりにこそ、人間関係の絆を築く基礎があると思います。飲食を共にする場は、ぬくもりを感じることのできる最良の機会であり、お互いのぬくもりによってリラックスし、心を許し合うことで、人間関係をより一層深めることができます。

 

 

【飲食を共にすることで得られるもの】

さて、飲食を共にする場では、おのずから会話があり、話が弾まなくてはいけませんが、どのような話題でも即興でその場にふさわしい雰囲気で語り、相手を楽しませるような高等技術は、一朝一夕に身につくものではありません。深い教養と人生経験が必要になります。ですから、一般には、会食に先立って、出席者の関心事・趣味・嗜好等の情報を予習しておき、場を盛り上げる努力をすることも大切な心掛けでしょう。そして、相手の話を聞き、相手が話したいことや、こちらの質問に対する答えを最後まで話してもらい(途中で話の腰を折らない)、その話に対して的確な応答をするようにします。このような努力を重ねることにより、コミュニケーション力を養うことができますし、相手の話からいろいろな情報を得ることができますので、自分自身の成長に繋がります。夜であると、お酒の席になることが多いと思いますが、お酒を飲めない人でも、進んで出席するべきだと思います。

 

このように、飲食を共にすることは、自分のコミュニケーション力、人脈・縁の形成にも大いに役立ちます。飲食を共にする時間を、「時間の無駄」であると言い切ってしまうような人は、人格・識見・手腕・力量の発展に、後れをとってしまうでしょう。

(リライト:加藤・宮本)

縁(その6)


 

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(2012年3月11日(日)14:27 
東京都千代田区北の丸公園にて梅の花を撮影
花言葉:「厳しい美しさ、あでやかさ」)

 

 

 

 

2月10日(金)より「縁」をテーマにブログ記事を連載しておりますが、今回も引き続き「縁」に関係するお話をしたいと思います。

 

 

【セカンドオピニオン】

価値観の多様化や、さまざまな分野での専門化の進展から、自分の力だけで即座に的確な判断を示すことが難しい時代になりました。ある一つの問題について議論するにも、いろいろな意見が飛び交い、しかもどの意見にも一長一短があり、正解を導きにくくなっています。判断を下さなければならない問題に直面したとき、どれが正解なのか、選択に迷うような微妙で複雑なことが多くなっているということです。

 

このような時代で生き抜くには、助言、いわゆるセカンドオピニオンをお願いできる人を、常に念頭におけるような人間関係を構築していることが大切になります。多様化の時代においては、自分だけの経験や知識、情報、発想をもとに導いた結果が、不十分であったり、誤りを含んでいたりする場合も少なくありません。その怖さを知り、信頼のおける専門家に助言を求め、セカンドオピニオンを求める癖をつけることが必要です。妙な自信のある人ほど、他人の意見を聞こうとしないところがありますが、これだけ世の中が目まぐるしく変遷しているのに、他人の意見を聞かずに自分の狭い視野の範囲内で物事を考えていては、的確な判断を下すことができません。「疑は知の基(もとい)である。能(よ)く疑う者は能(よ)く知る人である」と寺田寅彦(1878年~1935年:物理学者にして俳人・随筆家)は述べています。

 

 

【ファーストオピニオンの重要性】

さて、セカンドオピニオンという言葉は、医療診断の世界の言葉で、専門・聖域領域とされてきた医師の権威主義的・独占的判断への疑問を解消するひとつの手立てとして生まれました。患者側がもつ一種の医師不信のように受け取られがちですが、現在では、医学の専門分野の細分化が進んだ結果、医師の側もセカンドオピニオンを望むようになってきたそうです。私は、企業側の弁護士として人事労務問題を専門に取り組んできましたが、弁護士にもセカンドオピニオンが求められる時代になったということを10年ほど前から意識しています。法律の細分化・専門化にともない弁護士も専門化が進み、特定の分野で高い見解・見識を示さないと、クライアントから信頼を得られない状況であるからです。

 

医師や弁護士など専門的職業人の世界に限らず、ひろくビジネスの世界でも、同じことがいえるでしょう。自分が専門の分野を持っていたら、新しい知識や情報を吸収することが重要なのはもちろんですが、それだけでは足りません。セカンドオピニオンをお願いできる人との縁を大切にすることが必要です。

 

ただし、セカンドオピニオンをとることは大切ですが、誤解してはいけないのは、「肝心なのは自分自身の勉強とファーストオピニオンである」ということです。ファーストオピニオンという言葉はあまり使われませんが、あくまで最初に下す判断の正確さ、適切さを確認するためにセカンドオピニオンがあるのです。言いかえれば、セカンドオピニオンとは、ファーストオピニオンの充実をもたらすものであるということです。

 

なお、セカンドオピニオンだけでなく、さらにサードオピニオンを求めるのもよいでしょう。複数の意見を比較検討して、自分なりの判断を下すことが大切です。もっとも危険なことは、自己過信・自信過剰であるということです。

 

 

(リライト:加藤・宮本)

縁(その5)


 

20120309.JPG

(2012年2月26日(日)午後14:42
東京都港区 アメリカ大使館付近にて「らっぱずいせん」を撮影
花言葉『報われぬ恋』)

 

 

 

 

2月10日(金)より「縁」をテーマにブログ記事を連載しておりますが、今回も引き続き「縁」に関係するお話をしたいと思います。

 

 

【メンター】

メンターという言葉は、最近マスコミなどでもよく取り上げられており、ご存じの方も多いかと思います。メンターとは、「自分の進路や生き方を決定する上に与って力がある人。(ビジネスの社会では)部下を指導・教育し、仕事・ポストを与える実力者」であり、(新明解国語辞典第6版、三省堂)、精神的支援者、よき相談相手という意味です。もともとは、トロイ戦争に出陣するオデッセウスが、親友であるMentorという老賢者に、留守の間の我が息子の教育を託したというギリシャ神話に由来するのだそうです。

 

迷ったり困ったりしたとき、人がひとりきりで悩むと、視野が狭くなります。そして逃避感情も出やすくなります。しかし、そのようなときに支えになってくれる人がいると、心の持ちようが大きく違ってきます。仕事のことや精神的なことで困った時に、具体的な指導はしてもらえなかったとしても、人に話すことで、心の負担が軽くなり、八方ふさがりだった状況を打破できる道筋が自然と見えてくることがあります。

 

人は、いくつになっても、どんなに経験を積んできたとしても、迷ったり困ったりしたときに、「誰かに相談したい」という気持ちが生まれます。作家の塩野七生さんが、何かに「人というのは根源的にアドバイスを求める存在である」という趣旨のことを書かれていたと思いますが、まさにそのとおりであると思います。私はもうすぐ75歳になりますが、私よりも年長の、法曹としてのご経験豊かな先生方を事務所にお迎えしております。そして、何か苦しいとき、困ったときに、一言、先生方から助言をいただけることが私にとっての救いになっています。

 

 

【よきメンターの条件】

よきメンターの条件としてまず思い浮かべるのは、的確な助言を成しうる資質です。とすれば、やはり、年長者であるというのが第一の条件ではないでしょうか。自分より年上の方が、なお日々精進し続けるお姿には胸を打たれるものがあり、そして、長年の経験と知恵に裏打ちされた言葉の数々には、人を納得させる力があるからです。そして、「年長者である」ことのほかには、下記を満たしている人物がよきメンターであると思います。

①    付き合いが長い
②    信頼できる
③    利害関係がない(純粋に意見を聞ける)
④    叱られたことがある
⑤    電話でアドバイスを求められる間柄   等々

 

IT化が進んだ現代では、メールやSNSなどインターネットの便利な仕組みの急速な普及によって、多くの人と容易につながりをもてるようになりました。しかし、その反面、より深い部分で気持ちを通わせるようなつき合いには淡泊な人も多くなり、総じて人間関係が稀薄な社会になっているといわれています。このような時代には、だれもが心の支えを求めています。メンターを持つ効用は、直接アドバイスを受けることもありますが、メンターは日常的な教育係ではなく、その大きな意味は、「近くにいてくれる」というその安心感にあると思います。メンターと呼べる人がまだ見つかっていないのであれば、上記の要件を満たす方と縁を繋ぎ、メンターとなっていただきましょう。

 

(リライト:加藤・宮本)

縁(その4)


 

IMGP0932.JPG

(2012年2月24日(金) 午前10:09
東京都千代田区一番町付近にて椿を撮影
花言葉:「気取らない優美,魅力」) 

 

2月10日(金)より「縁」をテーマにブログ記事を連載しておりますが、今回も引き続き「縁」に関係するお話をしたいと思います。

 

【心の時代】

さて、産業は幾多の変遷を繰り返してきましたが、それとともに人の労働の価値基軸や労働の質も変わってきています。

まず、人類最初の産業である農業では、足腰を使う肉体労働が人の労働の中心でした。これは「フットワークの時代」ともいえるでしょう。次に、工業化時代が到来しました。工業とは、モノづくりですから、手先の器用さが必要になりました。いわば「ハンドワークの時代」です。そしてその次には、商業・サービス業の時代が来ました。上手にメッセージを発信できる人が有利に仕事を進めることができるということで、口先が武器になりました。さらに、現代はソフト化時代であるといわれています。を使える人、つまり知識・情報を駆使し、智恵を使える人が高く評価されます。これは、頭脳労働・知的活動の価値が重んじられる「ヘッドワークの時代」といえます。

 

このような足腰→手先→口先→頭という変遷の次に来るのは、の時代・ハートワークの時代だと思っています。そして、その時代は始まろうとしています。ITが発達し、内部告発が一般的となり、企業や経営者の私心に基づく活動は、すぐに明るみに出てしまう時代であるからです。良心に基づく生き方、企業活動が必要になっているのです。

 

心の時代・ハートワークの時代では、人の心に触れ、人の心を読み、納得させることが何より大切です。日本語には「理動」という言葉はなく「知動」という言葉もありませんが、「感動」という言葉があります。「感動」は、「感」情で人が「動」くと書きますが、人を感動させるためには、誠意が必要です。理論だけでは人は動かないのです。「ハートワークの時代」における社会では、「真・善・美」が求められ、「良心・善意・成長」を旨とする「心」を大切にすることに大きな価値が置かれます。

 

私は、1963年(昭和38年)に弁護士登録して以来、半世紀にわたり人事・労働問題を専門に取り組んでまいりました。私は、労使問題に取り組むこととは、人の心に触れること、人の心を読むことであると認識しています。人の心が読めなければ成功は望めません。そして、人の心に触れ、人の心を読むことを意識することは、私のような弁護士業だけでなく、どんな職業にも必要な態度ですし、仕事に限らず、人間関係を構築する上でも不可欠なことであると思います。

 

(付言すれば、近い将来には、「ハートワーク」よりもなお一層人間性が問われ、さらに上位に位置付けられる「ヒューマンワーク」という概念を意識しなければならない時代が到来するのではないかと思います。ヒューマンワークとは私の造語で、全人格・全人間性をかけて、無我夢中・一心不乱に人間の理想である「夢・愛・誠」を求め続ける働きというような意味です。これこそ、民族や国籍を超越した普遍的な「ワーク」であると思います。ヒューマンワークという概念が敢えて必要であると考えるひとつの理由は、企業のグローバル化の急速な進展です。グローバル社会では、労働について、多様性の壁を乗り越える普遍的な価値基準が求められるようになるからです。ヒューマンワークについては、また機会があれば述べたいと思います。)

 

【誠意】

さて、心の時代には誠意が必要と述べましたが、誠意とは何でしょうか。

 

広辞苑(第5版)には、「私欲を離れ、曲ったところのない心で物事に対する気持ち。まごころ」とあります。

 

誠意が大切なことは、頭ではわかっていても、実際は、さまざまな事情によって、誠意なしに物事に対処してしまうことがあります。それは、結果が先にほしいという欲があるからでしょう。しかし、誠意のない振る舞いは、その時はよくても決して長続きはしません。日本昔話に出てくる欲張りじいさん、ばあさんのお話を思い出してみてください。誠意を前面に押し出していかないと、仕事や人間関係は絶対にうまくいきません。

 

誠意・まごころはいつの時代も人が強く求めているものですが、特に心の時代では、一番の武器になります。そして、それがないと何事も成就しない時代になると思います。今一度、誠意・まごころを意識してみると、相手の感じ方、考え方、思い方を大切にすることが自然とできるようになり、これまで自分で築き上げてきた人間関係、ご縁を更に充実させることができるでしょう。

 

(リライト:加藤・宮本)

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