(2012年3月19日(月)朝6:45
東京都港区芝公園にてキンギョソウを撮影
花言葉:「清純な心」)
2月10日(金)より「縁」をテーマにブログ記事を連載しておりますが、今回も引き続き「縁」に関係するお話をしたいと思います。
【飲食を共にすること】
人とのご縁をさらに充実・発展させるには、仕事や勉強会の機会を設けることも考えられますが、それよりも飲食を共にすることが、人間性の深いところにも触れられるもっとも効果的な方法でしょう。
聖書の有名な場面に「最後の晩餐」があります。これは、イエス・キリストと12人の弟子たちが、ワインを飲み、食事を共にする場面です。キリスト教では、教派の違いはあるとしても、聖餐とは、神と信仰者そして信仰者同士の絆を確認する儀式とのことで、飲食を共にすることが、人間関係、信頼関係の基礎であることを暗示しているのだそうです。また、中国の宴席では、最初に、宴席のホストが、グラスになみなみと注がれたお酒を一滴も残さず飲み干すそうです。その後、ホストの空いたグラスに再びお酒を注ぎ、ゲストと全員で乾杯をします。これは、「このお酒には毒が入っていません。安心してお召し上がりください。」という意味が込められているであるものと思われます。日本でも、「同じ釜の飯を食う」という言葉や、神前結婚式で行われる三三九度の盃の儀式(三献の儀とも呼ばれます。新郎新婦だけでなく親族の固めの意味も込められているといいます)などがあります。
このように、人は、飲食を共にすることを、心を許し合い、お互いに信頼し合う関係を確認し、人間関係・信頼関係を築く一つの手段としてきました。また、動物は基本的に孤食ですから、飲食を共にすることは、実に人間的な行為であるということでしょう。
人間は孤独な存在であるがゆえに、他の人との共生を求めます。人は人のぬくもりに触れた時、しばし孤独を忘れ、嬉しく感じます。このぬくもりにこそ、人間関係の絆を築く基礎があると思います。飲食を共にする場は、ぬくもりを感じることのできる最良の機会であり、お互いのぬくもりによってリラックスし、心を許し合うことで、人間関係をより一層深めることができます。
【飲食を共にすることで得られるもの】
さて、飲食を共にする場では、おのずから会話があり、話が弾まなくてはいけませんが、どのような話題でも即興でその場にふさわしい雰囲気で語り、相手を楽しませるような高等技術は、一朝一夕に身につくものではありません。深い教養と人生経験が必要になります。ですから、一般には、会食に先立って、出席者の関心事・趣味・嗜好等の情報を予習しておき、場を盛り上げる努力をすることも大切な心掛けでしょう。そして、相手の話を聞き、相手が話したいことや、こちらの質問に対する答えを最後まで話してもらい(途中で話の腰を折らない)、その話に対して的確な応答をするようにします。このような努力を重ねることにより、コミュニケーション力を養うことができますし、相手の話からいろいろな情報を得ることができますので、自分自身の成長に繋がります。夜であると、お酒の席になることが多いと思いますが、お酒を飲めない人でも、進んで出席するべきだと思います。
このように、飲食を共にすることは、自分のコミュニケーション力、人脈・縁の形成にも大いに役立ちます。飲食を共にする時間を、「時間の無駄」であると言い切ってしまうような人は、人格・識見・手腕・力量の発展に、後れをとってしまうでしょう。
(リライト:加藤・宮本)