2012年7月14日(土)午後12:05
東京都千代田区麹町一丁目にて西洋風蝶草(クレオメ)を撮影
花言葉:「秘密のひととき」
先週7月13日付けブログ記事にて、「充実した人生を過ごすには、生涯勉強し、研鑽しなければ結果が得られにくい」と述べ、勉強の一つの方法として執筆活動についてお話しいたしました。今回も引き続き、「自己研鑽」をテーマにお話ししたいと思います。
私たちが勉強を開始するときに端緒となるのは、多くの場合、さまざまな書籍や雑誌に触れることです。しかし、あれこれ忙殺されていると、読書はなかなかできません。
本来、読書の醍醐味は、作者あるいは執筆者の作り出した世界をじっくり味わうことにあると思います。しかし、限られた時間のなかでこれを実行するのは容易ではありませんから、そもそもどの書籍、雑誌を読めばよいか、判断・選別する工夫が必要になってくるでしょう。私は、時間のないときには、まず目次をみて、記事毎のリード文に惹かれるかどうかをひとつの基準にしています。読書によって多角的・多面的な視野をもつためには、1冊に時間をかけて読むよりも、より多くのジャンル、より多くの文章に触れることが重要である場合もあるのです。
読書の時間ができたとしても、結局は自分の仕事に関係するテーマの本を選んでしまうことが多いかもしれません。
この点、私の読書歴を振り返りますと、ブログのテーマでもある「無用の用」を大切にして、さまざまなジャンルの書籍を読んできたように思います。そのなかでも、時代小説、たとえば吉川英治(1892年~1962年)、藤沢周平(1927年~1997年)、山本一力(1948年~)、宇江佐真理(1949年~)などの作品を好んで読みました。一見、仕事に関係がないようにみえますが、名作と呼ばれる小説は、人間の洞察、描写が出色であり、これが大いに勉強になるのです。書籍や雑誌を読むことは、それを執筆した人の魂に触れることと同義であると思います。
たとえば、吉川英治著『宮本武蔵』の最終章は「魚歌水心」と題され、次のような文章で締めくくられています。
「波騒(なみざい)は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚(ざこ)は歌い雑魚は躍る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを。」(吉川英治歴史時代文庫21『宮本武蔵(八)』、講談社、1990年、369頁)
「魚歌水心」という言葉は、出典を探してみてもわからなかったので、あるいは吉川の造語かもしれません。私は、『宮本武蔵』の最後の文章とあいまってこの言葉に感銘を受け、書家にお願いして書いていただいたという思い出があります(詳しくは2011年12月6日付ブログ記事をご覧ください)。
書籍や雑誌を読むと、執筆者の魂に触れることによって自分の魂も揺り動かされ、さらには、執筆者の考えに同意したり、もしくは抵抗したりして、あれこれ思考を巡らす過程を経ることができます。そして、それによって、自分自身の心・魂が練られていき、成長に繋がるものであると思います。
このように、読書はいつの時代も変わらない自己啓発手段です。読書の 時間を持てずにいる方は、この機会に是非、読書をする時間を一日に少しでも設けていただきたいと思います。
(リライト 加藤・宮本)