自己研鑽(その6)


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2012年8月22日(水)朝7:20東京都千代田区北の丸公園にて
「メコノプシス(別名・ヒマラヤの青いケシ)」を撮影
花言葉:「底知れぬ魅力を湛えた」

 

 7月13日付ブログ記事から、「自己研鑽」をテーマに連載をしております。成長していくためには、勉強することが大前提にあることは度々お話ししてきまたが、学ぶ姿勢に加えて、謙虚さをもつことも非常に大切です。

 

 いかに仕事で結果を出し、多くの利益を出し、それを誇らしく感じたとしても、決して驕ったり、謙虚さを欠いて他人に威張ったりするようになってはいけません。

 

 なぜ人が威張るかというと、謙虚さを失って自分を高いところにおいてしまうからです。人は皆、自負心・自尊心を持つ存在であり、そのこと自体は当然で、悪いことではありませんが、それがあまりに高じて自惚れや慢心になってしまうことは、厳に慎むべきであると思います。自分の学歴や、いままでの業績等を得々として話す人がいますが、それらはいずれも過去の事柄であり、自分の過去を自慢することにほかなりません。つまり、過去の栄光にしがみついているような「終わった人」であると他人に認識されてしまいます。人は現状に甘んじることなく、研鑽し続けなければならないと自覚すべきでしょう。

 

 また、ときとして、傲慢な態度は自信のなさの裏返しという場合もあります。中島敦(1909年~1942年)の代表作『山月記』で、虎の姿になってしまった李徴は、山中で出会った旧友に切々と訴えました。「己(おのれ)は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己(おのれ)は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)である。」「己(おのれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」

 

 私の経験からいって、人の成長は他人との交流によるところが大きいと思います。一人で勉強を重ねても、思考方法は限られますし、ワンパターンの感受性しか身につかないでしょう。一人で沈思黙考し、「考える・思う・感じる」ことを繰り返しても、一定以上の成果はなかなか上げられません。なぜなら、新しい思想は、より多くの人と意見を交わし交流するなかで初めて生まれるからです。慢心は、謙虚に他人の意見を聞き入れる姿勢を失わせてしまい、威張る行為は、人との円滑な交流を阻害してしまいます。その結果、自分の成長を他人に促進してもらうチャンスをつぶしてしまうのです。

 

 「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む」

 これは江戸時代の儒学者佐藤一斎(1772年~1859年)の言葉です(「言志後録」第33条:岬龍一郎編訳 佐藤一斎『〔現代語抄訳〕言志四録』PHP出版より)。他人に優しく、自分に厳しくあれ、という教えで、大変すてきな言葉であると思います。これもまた、自己研鑽の一面であるといえるでしょう。

 

(リライト 加藤・宮本)

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