2012年12月12日 午後0:52
静岡県熱海市 親水公園にてガーベラを撮影
花言葉:熱愛、崇高美
10月5日(金)付記事より、「リーダーについて」をテーマに連載を開始しております。本連載は、私が、50年間にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、感じ・考えたことの一部です。ブログ読者の皆さまに、リーダーのあり方について考えていただくための一助になれば幸いです。
企業や組織の人事・賃金制度を策定するにあたって、経営者がもっとも心を砕くのは、評価基準の問題であるといっても過言ではないと思います。かつては、年功型賃金制度のもと、賃金は原則として年齢や勤続年数に比例してほぼ上昇するものでした。しかし、バブル経済の崩壊および日本経済全体の斜陽化と歩調をあわせるように、日本では1990年代後半より成果主義の考え方が強く意識されるようになりましたから、限られた原資を、いかに従業員の士気に結びつくように分配して、業績の向上につなげるかという点において、評価基準の問題が従前にもまして重要になってきたのです。
人事権は、さまざまな法規制(解雇規制、均等待遇原則、女性の機会均等、不当労働行為の禁止、等々)や、労働協約、就業規則、労働契約などの規制の範囲内で、使用者が一方的決定権限として有するものです(菅野和夫『労働法(第10版)』弘文堂93頁等参照)。それゆえ、評価基準の構築も、上記の規制を受けることを前提としつつ、基本的に使用者の裁量の範囲に属するものといえます。各企業や組織では、それぞれにあった評価制度を策定し、処遇を決めています。
では、「評価の本質」とは何でしょうか。成果主義といえども、評価者の恣意性を排除するために設けられた客観的な数値のみでは評価は完遂できず、主観的な判断による領域も多いという事実を、評価する側が自信をもっていえることが重要であると思います。そして、部下が評価に不公平感を抱かないようにするためには、評価者の立場となる場合が多いリーダーが、常に公正、公平、公明を心掛けることが肝要です。
加えて、今はヘッドワーク・ハートワークの価値が重んじられるソフト化社会ですから(ヘッドワーク・ハートワークについては、3月2日付記事『縁(その4)』をご覧ください)、考え、思い、感じることや、心のありように価値がおかれる時代でもあります。つまり、数字で表すことのできる成果はもとより、数字では表現しにくいような実績も含む、より良質な成果をも、評価者たるリーダーはしっかりと把握していなければなりません。
さらに、私は、評価とは、その者を、全人格的に360度の角度から見るという意識で行わなければならないものであると思います。一生懸命に仕事に取り組む姿勢と、そこから生まれる成果の広がりを、最も重要な評価対象とするべきであると思います。別の表現をすれば、「態度」「能力」「成果」の3要素が、評価の対象となります。それぞれの要素にどのようなウエイトづけをして考課要素を設定するかは、経営者の判断如何ということになります。そして、とりもなおさず、これらの評価対象は、主観的評価によらざるを得ない部分も大きいのですが、リーダーが公正、公平、公明を旨として評価を下すことが、なによりも部下の納得感を高め、士気をあげることにつながるのです。
リーダーの評価に部下が不満を抱くと、彼ら彼女らの仕事への意欲が減退し、組織にマイナスの影響を及ぼしてしまいます。それを防ぐためには、「あの人の評価なら納得!」と言われるような、信頼感を持たれるリーダーを目指さなければなりません。
なお、グローバル化とインターネットの進化は雇用のあり方を大きく変えようとしています。マスメディアで取り上げられているように、日本のグローバル企業でも、国境を越えてより良き人材を登用するために、世界共通の人事制度を構築する動きが急です。これは、少子高齢化による人口減少が進むわが国では、国内だけでなく世界中から有能な人材を発掘しなければ、国際競争に生き残ることができないという企業の危機感のあらわれともいえます。これからは、どのような規模の企業でも、グローバルな評価基準のあり方を念頭に置かなければならない時代になっていくのではないかと思います。
(リライト 加藤・宮本)