「花」第1回:はじめに


20130201.JPGのサムネール画像2013年1月27日(日)14:03
東京都八王子市南浅川町 うかい竹亭にてサザンカを撮影
花言葉:困難に打ち勝つ、ひたむきさ

 

 ここに一輪の花があります。物言わぬ花ですが、ただ存在するだけでまわりがぽおっと明るくなり、気持ちがやわらぐのを感じます。花とはそういうものです。

 

私が花の写真を撮るようになったのは、2011年4月にブログを始めるにあたり、文章だけではいかにも殺風景だろうから何か写真でも載せようかという軽い動機からでした。試しに花を撮ってみたところ、それまで日々忙殺されて忘れかけていた花の美しさ、愛おしさ、可憐さに改めてひかれるようになり、毎日の朝の散歩で花を撮り続けることが日課となったのです。そして、少しずつ花についての勉強も始めました。日々撮影した花の写真を一年をとおして見返すと、春夏秋冬の移り変わりを自然と感じ取ることができます。今回のブログから、十数回にわたって、私が撮影してきた花の写真を中心として、花について私が感じ・思い・考えてきたさまざまなことをつづります。

 

 『種の起源』で著名なイギリスの自然科学者のチャールズ・ロバート・ダーウィン(1809年~1882年)は、1879年に友人に宛てた手紙の中で、「花を咲かせる植物の化石が、なぜある時期に突然、登場するのか、わたしにはその理由がわかりません。…この謎がすっきり解明される日が待ち遠しく思えます」と綴っています。花を咲かせる植物を顕花植物と呼ぶそうですが、顕花植物がいつ地上に登場したのかは、現時点では正確には判明していないとのことです。ただ、1億3000万年前の地層で発見されたものが現時点で最古の化石であり、これ以前に花が地上に存在した証拠はみつかっていないそうです。顕花植物が誕生した時期は、現在でも謎に包まれているそうですが、赤や黄、オレンジ、ピンク、紫や白といった色彩や、それぞれの花のもつ香りは、地上に艶やかさをもたらしたに違いありません(参考:『137億年の物語』クリストファー・ロイド著、文芸春秋)。なお、花は植物の進化の過程であり、花の各器官は葉が変形したものであるそうです。この考えを最初に示したのは意外にもドイツの詩人、文学者のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年~1832年)であり、彼は自然科学にも造詣が深く、1790年に著した『植物変態論』のなかでこの考えを展開していたそうです。

 

 さて、現代の遺伝学によれば、チンパンジーからヒトが枝分かれしたのは、700万年前から400万年前であるといわれています。顕花植物は、遅くとも1億3000万年前には存在していたとすると、ヒトが誕生したときには、すでに地球上では花が咲いていたことになります。なお、インターネットで調べたところ、ネアンデルタール人(約20万年前に出現し、2万数千年前に絶滅)の埋葬跡の周辺の土には、少なくとも8種類の花の花粉や花弁が含まれており、これがネアンデルタール人が死者に手向けた花であるとすれば(異論もあるようです)、これが最も古い花と人とのかかわりの記録ということになるそうです。

 

 IMGP2848.JPG

(2012年12月2日
神奈川県横須賀市佐島「地魚料理 はまゆう」にて彼岸花を撮影)

 

 このように、遠い祖先の時代から、花に囲まれて生活をしている私たちは、花がもつ美しさ、香り、花の四季折々の色鮮やかな彩りに、癒されています。春に咲く淡紅色の沈丁花、夏に咲く淡い桃色の蓮の花、秋に咲く赤・白・黄の色とりどりの彼岸花(秋の彼岸ごろから開花することが名前の由来だそうです。また、彼岸花の有毒性から、食べた後は「彼岸(死)」しかない、という由来であるとする別説もあるそうです)、冬に咲く真綿・薄紅・薄紫のシクラメンに至るまで、花はいつでも、見るたびに、ホッと安らぎを与えてくれます。布施明の「シクラメンのかほり」(作詞・作曲 小椋 佳)という歌が、私は好きです。実際にはシクラメンは、ほとんど香りがしないでしょうが、そんな指摘はヤボというものです。清楚なシクラメンの姿に、美しい恋の匂い立つような思い出を重ねる主人公には、ほのかな香りが確かに感じられたのではないでしょうか。

 

CIMG0527.JPG

(2011年4月2日 東京都千代田区国立劇場前にて桜を撮影)

 

 さて、私がいつごろから花に興味をもつようになったかは、定かではありません。戦前、小学2年生のときに、三重県桑名郡古浜村に疎開した時に目に映った、田園の鮮やかな紅紫色のレンゲや、川原に紫色のアザミが咲く原風景が、私の一番古い花の記憶です。そして、敗戦を迎え、疎開先から名古屋市へ戻ったとき、家の庭に植えられていた沈丁花の香りに愛着をもったのを覚えています。その後、1958年頃、武蔵野の奥の平屋建ての家に住み、小さな庭ではありましたが花木等を植え、夏に咲く百日紅(さるすべり)や、白い大手毬、小手毬、黄色い連翹(レンギョウ)、黄色や橙黄色のキレンゲツツジの花に目を楽しませたものでした。1985年7月に、今の住まいである東京都港区に引っ越した折には、庭に一本の桜を植えました。この桜は堂々と育ち、毎年、春の訪れとともに、私の人生の盛りを彩ってくれているかのように咲き満ちて、春の霞の大空を桜花(さくらばな)に染めています。こうして振り返ってみると、無趣味な私にとっても、花は生来の憧れであり続けたのです。

 

 ~ 今回の記事執筆にあたり、石草流生け花 家元後継 奥平清祥様、冷泉流歌壇玉緒会 伊藤幸子様、フラワーショップ華曜日 荒川智彦様に、ご教授をいただきました。ありがとうございました。

ご利用案内

内容につきましては、私の雑感等も含まれますので、真実性や正確性を保証するものではない旨ご了解下さい。

→ リンクポリシー・著作権

カレンダー

2013年2月
« 1月   3月 »
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728  

最近の投稿

カテゴリー

月別アーカイブ

プロフィール

高井・岡芹法律事務所会長
弁護士 高井伸夫
https://www.law-pro.jp/

Nobuo Takai

バナーを作成