「花」第2回:蓮・睡蓮


IMGP3215.JPG

2013年2月3日(日)7:52
東京都渋谷区神宮前 表参道「にいがたチューリップロード」にてチューリップを撮影
花言葉:博愛、名声

 

前回の記事から、私が撮影してきた花の写真とともに、花について私が思い・感じ・考えてきたさまざまなことをつづっています。

 

不忍池.jpg

 東京都台東区上野恩賜公園不忍池にて撮影
2011年8月23日付ブログ記事に掲載)

 

 さて、私は、花のなかでも、とくに、静謐な美しさをたたえた蓮の花が好きです。蓮は、水底の泥中の根茎から柄をのばし、水の面(おも)に大きく浮葉(うきは)をひろげると朝露を玉のように転がし、暑い夏の盛りには花の香匂う薄紅色や紅白に色づいた多弁花を咲かせます。蓮といえば、上野の不忍池の蓮が、私にとって一番馴染みあるものですが、蓮は、原産地がインド亜大陸(インド半島)とその周辺で、インド、スリランカ、ベトナムの国花でもあるとのことです。

 

 私は1991年5月、94年12月、96年4月、2000年11月、2008年2月の計5回、ベトナムを訪問したことがあります。1991年5月に初めてベトナムを訪れたときのエピソードをひとつ、後に述べます。

 

インド蓮.jpgこれは、私の親しい友人である日本画家 山田真巳画伯がインドで撮影された蓮の写真です。山田真巳画伯は、1996年から2002年までインド ニューデリーで過ごされた方です。私が2011年11月にインドを訪問した際(これは私の2度目の渡印で、1度目は2005年2月でした)、デリーのチャーナキャプリーにある日本大使館に、彼の大きな屏風作品が飾られていました。なお、山田画伯によれば、インドの国花は蓮ですが、一般的にインドでよく見られるのは睡蓮のほうであるそうです(蓮と睡蓮の違いについては、後に述べます)。蓮の可憐で清楚な姿を見ると、かつて何度も訪れたベトナムやインドでの楽しく心温まる時間が思いだされます。

 

バリ蓮.JPGインドネシア・バリ島 Nikko Bali Resort & Spaの門前の池にて撮影

 

また、2007年12月~2008年1月の年末年始休暇でインドネシア・バリ島を訪れた際に滞在したNikko Bali Resort & Spa(JAL HOTEL系列)の門前の池に咲いていた蓮の花も印象的です。バリ島には、インド仏教とヒンドゥー教が習合したバリ・ヒンドゥーを信仰している人が多く住んでいます。Wikipediaによると、ヒンドゥー教では、美しく、清浄な蓮の花は、気高く凛としたその立ち姿とともに、俗世の欲にまみれず清らかに生きることの象徴とされており、またこのイメージはのちの仏教にも継承され、仏の智慧や慈悲の象徴として、極楽浄土の象徴花『蓮華(れんげ)』と呼称されてきたそうです。また、蓮は、古来より和歌の世界でも『はちす(蓮)』の古名で詠み親しまれてきました。

小夜ふけて 蓮(はちす)の浮葉の 露のうへに 玉とみるまで やどる月影

 『金槐和歌集』源実朝

 

 また、蓮とよく似た植物に睡蓮があります(植物学上では蓮は「ヤマモガシ目ハス科ハス属ハス」、睡蓮は「スイレン目スイレン科スイレン属」)。蓮は水面より上に茎葉(けいよう)を伸ばし、花も水面より伸びたところで開花しますが、睡蓮は、葉が水面に浮かび、花も同じように水面に浮かぶという違いがあるそうです。睡蓮の品種のひとつである夜咲睡蓮は、エジプトの国花であり、インターネットで調べたところ、この睡蓮の香りは酔いに効果があるとして、古代エジプトで夜毎に開かれるパーティーで、女性の髪飾りとして使われていたそうです。パーティーに睡蓮を準備するために広大な睡蓮畑を所有しなければなりませんでしたので、睡蓮が富の象徴とされていたとのことです。

 

 睡蓮には、未(羊)の刻、午後2時頃開花し、午後6時頃眠るように花弁を閉じることから「ひつじ草」と名付けられたとされる品種もあります(実際には朝から夕方まで花を咲かせるそうです)。ひつじ草は、今上天皇第一皇女である紀宮清子内親王殿下(現黒田清子様)の皇室でのお印で、清子様の婚礼の際、引き出物として用意された有田焼の磁器製ボンボニエール(お菓子入れ)の側面には、ひつじ草のデザインがあしらわれたそうです(2005年11月16日読売新聞)。

 

 さて、睡蓮といえば、印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネ( 1840年~1926年)も睡蓮に憧れ、その連作は、彼の代名詞ともなっています。彼は、自宅の日本風庭園にある睡蓮の池をモチーフに、1899年から1926年に亡くなるまでの間に全部で200点以上の作品を残しました。上野の国立西洋美術館にある1916年作の睡蓮は、晩年のモネの睡蓮のなかでももっともすぐれたもののひとつとされています。また、静岡県熱海市にあるMOA美術館にも、1918年に描かれたモネの睡蓮の作品が展示されています。

◎ 国立西洋美術館蔵 1916年作「睡蓮」
◎ MOA美術館蔵 1918年作「睡蓮」

 

東大寺別当の北河原公敬氏は、蓮について、「泥の中で育ちながら、気品ある、香り高い花を咲かせます。…『どうせ汚れた世の中だから』と開き直って、成功のみを求めて貪るように生きるより、…一輪でもいいから美しく、かぐわしい自分の花を咲かせてほしい。」と述べられています(2012年10月22日付日本経済新聞夕刊)。

 

北京蓮.JPG

中国 北京市郊外 北京語言大学キャンパスにて撮影

(北京語言大学は、当事務所の中国業務グループ総代表兼北京代表処首席代表である萩原大吾弁護士が、2011年6月中旬より8月末まで中国語を習熟するべく勉学に励んだ大学です。私は、萩原君が在学中であった2011年8月24日(水)に同大学を訪問しました。詳しくは、2011年8月30日付ブログ記事をご覧ください。)

 

蓮も、睡蓮も、泥の中から成長し凛とした花を咲かせる清々しい姿が、いにしえから、世界各地で、人の心に心地よい風をそよがせてきました。蓮・睡蓮は、言葉を発しませんが、その姿を眺めていると、たしかに私たちに人間のあり方や生き方を問いかけてきているような気がします。

  

※ 先に書いたとおり、ベトナムの国花は、蓮の花です。

私が、1991年5月にベトナムを初めて訪れたときは、当時のハノイ国際空港は、国際空港とは名ばかりの貧相な空港でした。イミグレーションでは国際共通語である英語は使われておらずベトナム語・フランス語・ロシア語のみであり書類に書き込むにも戸惑いました。また、空港の設備が非常に粗雑な造りで、果ては空港内で使われているバスが日本で使われていた中古バスで、おそらく神戸市バスであったものと記憶しています。

ハノイ国際空港からハノイ市内のホテルに向かう小一時間、ハノイ国際空港があまりにも粗雑な造りであったことに落胆していた私の目に、車窓からたくさんの池に美しい蓮の花がいたるところに咲いているのが映り、そののどかな風景に感激しました。

その後、ハノイ工科大学にお邪魔して、副学長先生らとお会いした際に、池に蓮の花が咲く街道筋の風景についてお話したところ、副学長が、私が見たのは池ではなく爆弾の跡であるとおっしゃるので、とても驚きました。

私は、池だと思っていたものが爆弾の跡であると知り、30年にわたる戦争の痕跡をありありと見て、この状況に心が痛んだとお話ししました。すると、ベトナムの戦争の歴史は30年ではなく、「1030年です」との言葉が返ってきました。

30年にわたる戦争とは、1946年から1979年までに勃発した3つの戦争、インドシナ戦争(対フランス:1946年12月~1954年8月)、ベトナム戦争(対アメリカ:1960年12月~1975年4月)、中越戦争(対中国:1979年2月~同年3月)のことです。ベトナムはこれらの戦争にすべて勝利しています。そして、1000年の戦争は、中国との関係のものだそうです。

なお、ベトナムを越南といいますが、三国志に出てくる「呉・蜀・越」の「越」の南にいた人たちが、現在のベトナムに追いやられた後も、自分たちの国を越南と呼んだとする説もあるそうです。

私は、ベトナムの1030年というながきにわたる戦いを知り、ベトナムが、戦争という泥沼から生え、気高く咲く蓮の花そのものであることを思い知ったのです。

 

~ 今回の記事執筆にあたり、石草流生け花 家元後継 奥平清祥様、弊所上海代表処 元統括秘書 李国麗様、冷泉流歌壇玉緒会 伊藤幸子様、株式会社サンフローリスト 藤澤旭様山田真巳画伯草月流師範 栗生世津子様、ランドブリーズ 渡辺憲司様、株式会社ぷらう 代表取締役社長石川裕一様にいろいろとご教授をいただきました。ありがとうございました。

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