2013年3月1日のアーカイブ

「花」第4回:季節を彩る花々(2)


IMGP3379.JPG2013年2月23日(土)13:55
東京都文京区小石川3丁目付近にて撮影
花言葉:愛、美

 

 2月1日(金)付記事より、私が撮影してきた花の写真とともに、花について私が思い・感じ・考えてきたさまざまなことをつづっています。花といえば、「花鳥風月」という言葉があるとおり、日本では、古来より、花のある美しい自然の風景や風情を重んじてきました。今回は、前回に引き続き、私の好きな花の香りと、花についての和歌、俳句も少し織り交ぜながら、季節ごとにお話します。

 

 真っ先に春を呼ぶ梅の花については、前回の記事でお話しましたが、梅の花に続いて、桃の花、杏子(あんず)の花、桜の花がつぎつぎにほころび、麗しい春の訪れを私たちに告げてくれます。

 

 関東では桜よりも少し早く咲く桃の花には、ほとんど香りがありません。桃の香りというと、桃の果実の甘く瑞々しい香りを思い浮かべてしまいますが、実際には全くしないとのことです。桃の鮮やかなピンク色を目にすると、かつて、地方に出張に赴く際によく通った、中央自動車道等の車窓からみえる山梨県南アルプス市の桃源郷の、富士山を背景に、桃の花々がのどかな春の空に映えた風景が懐かしく思い出されます。桃の花の控えめな美しさは「桃李不言下自成蹊」(桃李もの言わざれども下おのずから蹊を成す:桃や李〔すもも〕は言葉を発することはないが、美しい花と美味しい実の魅力にひかれて人々が集まるから、その下に自然と道ができる。桃や李は、徳のある者のたとえで、優れた人格を備えた人のまわりには、その人を慕って自然と人が集まってくる、という意味)の言葉があるとおりです。なお、この言葉は、成蹊大学の学名の由来となっていると聞きます。

 

 このように、君子を説くひとつの象徴となる桃の花は、同時に、女性らしい花でもあります。桃の花、実、葉について、その瑞々しさを女性にたとえた詩「桃夭」(若々しい桃、という意味)が中国最古の詩集『詩経』に収録され、古来中国から結婚式の席上好んで詠われてきたそうですし、日本でも、上巳(「桃の節句」)が、女の子の厄除けと健康祈願のならわしとして広く親しまれています。2月22日(金)に、今年12月6日(金)ホテルグランドパレスで開催を予定している当事務所の年末講演会の打ち合わせをホテルオークラ東京で行いましたが、本館ロビーでは雛祭りのお雛さまが飾られ、桃の花も活けられていました。私の娘や、孫の初節句を懐かしく思いだしました。

 

 ※ 「桃夭」(『漢詩名句辞典』鎌田正・米山寅太郎著、1980、大修館書店より抜粋)
   桃之夭夭 灼灼其華(桃の夭夭たる灼灼たり其の花)
   
~ 若々しい桃の木には、色あざやかに花が咲き乱れている
   
之子于帰 宜其室家(之の子 于に帰〔とつ〕ぐ 其の室家に宜しからん)
   
~ そのように美しい適齢期のこの娘がお嫁に行ったら、
      その家庭に調和して、立派にやってゆくことであろう。

 

ホテルオークラの桃の花.JPG2013年2月22日(金)15:30 ホテルオークラ東京本館にて撮影
左から株式会社クレース・プランナーズ代表取締役 正門律子様、私、
コントラバス奏者 大槻健太郎様

 

 

 ところで、私は、少年時代からロマンあふれる古代史に大いに関心を持ちつづけてきました。古代史にまつわる文献をよんでいると、花と人とのいにしえからの深いつながりを実感することがあります。たとえば、邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡で、2009年に確認された大型建物跡から、2000個を超す桃の種が見つかったそうです。桃は、古代中国の神仙思想(道教思想の基礎となった思想)で、不老長寿や秩序を象徴する女神、西王母(せいおうぼ)の食べ物とされ、邪気を祓う神聖な植物とされてきたそうです。日本には弥生時代に伝わり、弥生時代の遺跡で、祭祀に用いられたとみられる桃の種が広く出土されているそうです(参考:2010年9月17日付日本経済新聞)。花と古代史については、いつかまたブログで書きたいと考えています。なお、この思想にもとづいて、邪気の象徴である「鬼」を、桃から生まれた桃太郎が退治する「桃太郎」のおとぎ話ができたといわれているそうです。

 

 また、杏子の花といえば、「日本一のあんずの里」として世に名を馳せてきた長野県千曲市の倉科・森地区が有名です。例年4月上旬頃に開花し、遠くから見ても里全体がうっすらと色づいているのがわかるほどだそうです。今春には、できれば山梨県南アルプス市、長野県千曲市どちらも訪問したいと願っています。杏子の種は、種の中の核(仁)にせき止め、のどの痛み等の薬効があるとされ、「杏仁」と呼ばれ、漢方で用いられているそうです。中華料理のデザートである杏仁豆腐も、薬用の杏仁とは少し違うものの、同じように薬効があるとされているそうです。

 

 また、杏子の林を杏林(きょうりん)といい、「杏林」には医者という意味があります。これは、三国時代の呉(222年~280年)に生きた董奉(とうほう)という名医が、治療代をとらない代わりに、病気が治った人には、杏子の苗を植えさせたところ、いつしか杏子の木が茂る大きな林ができたという中国の故事「神仙伝」(西晋・東晋時代〔265年~420年〕に著されたとされています)に由来するもので、杏林大学の学名、杏林製薬の社名の由来になっていると聞きます。

 

 また、桜の花については、日本では「花」といえば特に桜の花を指すほど、日本を代表する花です。桜については、また別の機会に詳しく述べたいと思います。

 

 晩春の花としては、4月頃から咲き始める山吹の花が好きです。山吹といえば、太田道灌(1432年~1486年)の山吹にまつわる伝説が有名です。ある日道灌が鷹狩りに出かけた帰りに蓑を貸りるために貧しい民家に立ち寄りました。しかし、その家に住む少女が、蓑ではなく山吹の花を差し出したので、道灌は怒って帰りました。後日、家来から「七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞあやしき」(兼明親王、後拾遺集)という歌になぞらえたのではないか、との話があり、道灌は己の不知を恥じ、この日から歌道に精進するようになったそうです。この歌のとおり、山吹は、明るい黄色からオレンジの中間の色(これを山吹色と呼ぶそうです)の花を七重、八重に折り重なるように咲かせ、春の終わりをはなやかに彩ります。

 

 そして、春の宵は過ぎ逝き、惜別の感傷にひたりつつも、次の季節、夏がめぐりきます。夏の花でいえば、まず、5月頃に開花する橘(たちばな)の花は、「さつきまつ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする」(よみびとしらず・古今和歌集)という有名な和歌があるとおり、爽やかで清々しい柑橘類(シトラス)の香りがします。橘は、昔から日本に自生していた日本固有の木ですが、いまや自生地は少なくなり、絶滅危惧種となっているそうです。

 

 梅雨時、つまり旧暦の五月雨の頃の花でいえば、白から黄色に変化する花を咲かせる梔子(くちなし)の香りに魅力を感じます。梔子の学名の種名「jasminoides」は「ジャスミンのような」という意味があるそうで、その名のとおり、甘いジャスミンの香りよりも一層甘く、やや、ふくらみを持たせたような深い香りが印象的です。梔子の花言葉はいくつかあるようですが、そのなかのひとつである「喜びを運ぶ」という言葉がぴたりと合う素晴らしい芳香です。雨上がりには特に香りが増すそうで、「薄月夜 花くちなしの 匂いけり」という正岡子規の歌がありますが、雨続きで気持ちがふさぎがちな梅雨も、このような情景に出逢える季節と思えば、とても楽しみで待ち遠しい気分になるものです。

 

梔子.JPG

2012年6月26日(水)東京都千代田区北の丸公園にて
雨上がりの梔子を撮影

 

 また、梅雨を代表する花として、忘れてはならないのが紫陽花です。私にとってもっとも忘れがたい紫陽花の思い出は、箱根登山鉄道沿線に咲く見事な景色です。私は、1973年(昭和48年)1月に事務所を開設してからしばらく後、数年間、休日に、たびたび強羅に勉強に訪れていました。その行き帰りの箱根湯本から強羅にむかう車窓からは、左右の線路わきに寄り添うように咲き、五月雨に鮮やかに映える愛らしい姿を眺めることができました。その鮮やかな花景色は、穏やかなリズムで進む登山列車と一対になって、いまも瞼に焼き付いています。

 あじさい.JPG

2012年6月17日(日)東京都千代田区千鳥ヶ淵交差点付近にて撮影

 

 夏の茶事で茶花としてよく用いられる木槿(むくげ)の花も魅力的です。

夏7月頃から秋10月頃までの長い間、白、紫、赤などの美しい花をつけます。「デリケートな美」という花言葉にもあるように、一輪摘んで生けたとき、その花の姿はとても繊細な美しさで見る者を魅了します。そして一夜でしおれてしまう儚さに、「もののあはれ」の美を感じます。

 

槿.JPGのサムネール画像

2012年8月5日(木)東京都千代田区清水谷公園にて撮影

 

このブログでも、私が撮影した木槿の写真を何度か掲載しましたが、なかでも、2011年9月23日(金)から25日(日)にかけての高知での旅の道中で、9月24日(土)に大方町上川口にある「朝鮮国女の墓」を訪ねた際に咲いていた白とピンクの木槿は格別です(木槿は、韓国の国花であるそうです。詳しくは2011年10月4日付「歴訪記」記事をご覧ください)。

 

掲載用 坂高麗ザエモン.jpg また、この3月9日に、小生の10年来の知人が結婚されます。私は、東洋古美術の専門美術商「浦上蒼穹堂」で、結婚祝いにふさわしいものを浦上満様に手配していただき購入し、その知人にお贈りしました。茶の湯には、「一楽、二萩、三唐津」という言葉があります。その作品は、萩焼の坂高麗左衛門(先代〔12代〕坂倉新兵衛氏〔1949年~2011年〕)のもので、木槿の花が描かれています。文禄・慶長の役(1592年~1598年)の際、朝鮮半島から毛利輝元によって萩に連れてこられ、兄の李勺光と共に萩焼を創始した朝鮮人陶工の李敬(1586年~1643年)を初代とする坂高麗左衛門の作品に、朝鮮半島ゆかりの木槿が描かれていることに胸を打たれる想いがいたしました。

 

 木槿のほかにも、暑い夏の日には、1958年頃、武蔵野の奥の平屋建ての家の庭で百日紅(さるすべり)が鮮やかに咲き誇っていた光景が懐かしく思いだされます。夏のうだるような暑さのなかでも懸命に花を咲かせる姿が、青年であった私を勇気づけてくれたことを憶えています。「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅」(加賀千代女)、「杉垣に 昼をこぼれて 百日紅」(夏目漱石)、「炎天の 地上花あり 百日紅」(高浜虚子)など、晩夏の季語として、多くの俳人、歌人に詠まれています。

 

 百日紅.JPG

2012年9月16日(日)東京都港区芝公園にて撮影
残暑厳しいなか咲く白い百日紅

 

 次回の記事では、秋、冬の花についてお話ししたいと思います。

 

~ 今回の記事執筆にあたり、川口彩子様、石草流生け花 家元後継 奥平清祥様、冷泉流歌壇玉緒会 伊藤幸子様、草月流師範 栗生世津子様株式会社エール 代表取締役社長 丹澤直紀様、株式会社光彩工芸 取締役 深沢信夫様、ランドブリーズ 渡辺憲司様にいろいろとご教授をいただきました。ありがとうございました。

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