2013年6月27日(木)東京都芝公園にて撮影(撮影:高井伸夫)
高井先生にお声かけいただき、先日(6月10日)、18時より21時過ぎまで「銀座 徒然茶寮」にて知性コミュニケーションズ代表の小石原昭先生を囲む会に同席させていただきました。
参加者は以下の通り。
▼ザ・ウィンザー・エンタープライズ株式会社 代表取締役社長の窪山哲雄様
▼社団法人日ロ貿易協会会長の佐藤哲雄様
▼日本システムウェア株式会社 取締役会長の多田修人様
▼画家で、日展の評議委員、示現会常務理事を務めていらっしゃる成田禎介様
▼CONEX ECO-Friends株式会社 代表取締役社長の布施田次郎様
▼作家で、明治学院大学経済学部特命教授の山田真美様
そして
▼高井伸夫先生
高井先生と長年親交を温めてこられた小石原先生は、1951年に河出書房に入社され、1954年に27歳の若さで若者向け新総合雑誌『知性』を企画、編集長を務められました。
1957年に河出書房が倒産後は、先生が中心となって同年に知性社(現・株式会社 知性アイディアセンター)を創立。
爾来、日本最初のPRジャーナリズムを創造・発展させてこられ、文化人・知識人をシンクタンクとして新しい情報産業を創成されてきた方。
小石原先生とは一昨年の11月、インド旅行にご一緒させて頂きましたが、決して清潔とはいえない現地の列車に何時間も揺られ、タージマハルを訪れられたこと、ホテルの朝食バイキングで朝から何皿も(机に置ききれずに、隣の椅子に置かれるくらい)たくさんの食事を持ってこられ、さらに完食されたことなど仰天することがたくさんありました。
岸信介元首相が80歳を過ぎ、朝からステーキを食していた、というエピソードを思い出しました。
その後も、小石原先生は、海外には頻繁にお出かけになられているようで、今年の1月~3月にかけても、ペルー、チリ、ウルグアイ、アルゼンチンと南米を周遊されたそうです。
さらに今月(7月)はスイス、来月(8月)はイギリス、9月にはベルギー、ルクセンブルク、12月にはカリブ海と世界を漫遊されるとのこと。
86歳にしてますます精力的に活動していらっしゃる姿を拝見し、
「50,60鼻垂れ小僧、70,80働き盛り」
という言葉を思い出した次第。
この言葉は
「90になってお迎えにきたら、百まで待ってと追い返せ」
と続くのですが、先生に限っては90、100になってもそのまま変わらず働き続けていかれるように思われます。
小石原先生も、高井先生も、あるいは高井先生からご紹介いただいた多くの方とご縁を頂くことで70歳、75歳、80歳といった年齢のイメージを覆されるたび、都度、自分の未来が延長されたような気がして嬉しい心持ちがいたします。ますますお元気に、末永く最前線で活躍して頂きたいと心から念じております。
話は変わりますが、この会では例によって、多様な背景を持たれた皆さまが参加されていたこともあって、さまざまなテーマが話題に上りました。
アベノミクスについての見解から、古代史について、過去に訪れた名店や陶磁器の話を交えたグルメ談義など。その他、高井先生の法廷技術の話(もう少し詳しくお聞きしたかった)や、同じく多方面・他方面の人に対する巻き込む力にまで話は広がります。
すべての話を引き取り、最後に小石原先生が
「目に見えない経験を重ねることで企画力が身につけられる」
「好きな事だけをやって生きていけるのが一番楽しい」
「生まれ変わっても同じ生活をしたい」
「毎日が最高の一日」
という言葉が印象に残ると共に、私もかくありたい、と感銘を受けました。
終始、笑いの絶えない楽しい会でありました。
小石原先生、高井先生、ご出席なされた皆さま、ありがとうございました。
(有限会社セカンドステージ 代表取締役 鮒谷 周史)