2013年10月4日のアーカイブ

【歴訪記】5月26日(日)静岡


20131009.JPG2013年9月28日(土)東京都大田区南馬込にてネムノキを撮影
花言葉「歓喜」

 

 少し前のお話ですが、5月26日(日)に静岡を訪問いたしました。

  同日午前10時50分頃、静岡駅に到着しました。熱海発の「こだま」から降り、株式会社スポーツショップアラジン代表取締役 清水重雄様にお出迎えいただき、改札口でお会いしました。

  静岡駅南口近くの有料駐車場に止めてあったフォルクスワーゲンの「ゴルフ」に搭乗し(小さな車ですが、清水様の経営されているスポーツショップ等の小売業を経営する者は、大きな車には乗ってはいけないとの先輩の教えに基づき、小さな車に乗り続けているのだそうです)、ホテルセンチュリーを右手に見ながら、静岡駅の北にある清水様が経営されているスポーツショップ「アラジン静岡店」に向かいました。

 東海道本線を境に、北が葵区、南が駿河区で、旧清水が清水区だそうです。

  

<静岡のいま>

 さて、清水様に静岡の経済についてお尋ねしたところ、興味深いお話をお聞きしました。1609年から、徳川家康公は、内政を江戸の秀忠公に行わせ、自身は外交を駿府城で行うといういわゆる二元政治体制をとり、朝鮮国との国交回復、拉致されてきた朝鮮の人々のうち帰国を希望する人々の送還等を行ったそうです。この頃(いまから約400年前)は、静岡(駿府)には10万人が住んでいたそうです(静岡商工会議所報『Sing』2013年6月号「駿府静岡と私〔第15回〕」徳川宗家十八代当主徳川恒孝様のエッセイより)。当時の江戸には15万人の人が住んでおり、海外と比較すると、ロンドン、パリが7万人程度という時代であったそうですから、世界でも有数な大都市であったのです。

  しかし、そのような華やかな歴史があるにもかかわらず、いまの静岡は停滞しています。静岡県の西部地区にはホンダ、ヤマハ、スズキ等の大企業を擁しているものの、東部の衰退ははなはだしく、東部は農村地帯、あるいはそれに近い状態にあるのだそうです。国を治める中心地が、時の為政者によって激しく動く典型ともいえるでしょう。私は、5月12日(日)に伊豆半島の戸田を訪問しましたが、戸田はひどく寂れていました。戸田は東海道本線から離れてしまっており交通の便も悪いですから、開発の可能性は一層少なくなっているのではないでしょうか。

 

 <静岡駅~アラジン静岡店>

 さて、駿府城を過ぎ、安倍街道を北上したのち、間もなく土手通りを通過しました。これは、徳川家康が薩摩藩に命じて、駿府平野を安倍川の洪水から守らせるために作らせた防波堤だそうです。家康が薩摩藩の財政を苦しめるために命じて作らせたものでもあるそうですので、明治維新の際、どうして薩摩藩が討幕の中心藩になったのか、うなずけるものがあります。

  右手に浅間山を見ながら、アラジン静岡店に到着しました。静岡では、平地にもイノシシが出没するそうです。また、今回は浅間山付近には訪問しませんでしたが、浅間山のふもとの旧家は、2000年程の歴史が証明されているものもあるそうです。

 20131003.JPG

アラジン静岡店前にて記念撮影

 

<アラジン静岡店~七八(なや)寿司>

 途中、日本でも有数な商店街である呉服町に入り、伊勢丹の角を右折するとすぐ、札の辻跡(ふだのつじあと)の碑がありました。ここで停車し、その碑を見ました。幕府の政策や法令、禁制等をかかげた高札場があった場所であったことが「札の辻」の地名の由来とされているそうです。しかし、呉服町も、旧家が家業継続に見切りをつけ不動産業に方向転換したそうで、ドラッグストアーが幅を利かせ、呼び込みまで現れる始末で、呉服町のDNAが消滅しつつあるのだそうです。

  また、徳川家康が全国に設けた「金座・銀座」は、ここ静岡にもありましたが、その名残を「静岡市葵区金座町」(金座)、静岡市葵区両替町(銀座)という地名に残しています。近くには金座稲荷神社という神社があるそうで、ここは金座の守護神として、お金の神様として崇敬されてきたそうです。

  その後、昭和30年代繁栄を極めたシネマ通りを通過し、日本を代表するサッカー選手である「カズ」「キング・カズ」の愛称で親しまれている三浦和良さん、のお父様・納谷(なや)宣雄様が経営していた(現在はカズの叔父様が経営しているそうです)日本で一番古いとされているサッカー専門ショップ「goal」を右手に見ながら、再度、呉服町を通過し両替町に出て15代将軍・徳川慶喜公が明治初期20年あまり過ごした2000坪の庭園、浮月楼を右手に通り過ぎました。清水様によれば、徳川慶喜公は自転車に乗り、清水の次郎長に会いに行ったそうです。

  そして、納谷宣雄様が経営されている「七八(なや)寿司」へと向かいました。

 

 

<七八寿司で納谷宣雄様と懇談>

 七八寿司の店内に入り、納谷宣雄様と初めてお会いし、カウンターで短時間ご懇談させていただきました。納谷様という珍しい姓についてお聞きしたところ、元大相撲力士で本年1月に他界された大鵬(本名・納谷幸喜)と同じで、いずれも北海道石狩の出身であるとのことでした。

 

さて、弁護士間の競争が激しさを増しているいまの時代において、当事務所として、常に新しい変化にも即応できる態勢をとらなければと考えています。そのひとつとして「スポーツ分野」への進出が考えられますが、納谷様にスポーツ分野の弁護士業についてお尋ねしたところ、いまの日本ではスポーツ関係を志す弁護士は非常に少なく、また、依頼者側も、自分の会社の顧問弁護士を使うのが常であり、専門弁護士は使わないとのことでした。このお話をお聞きし、チャレンジしてみる価値は十分あるのではないかと思いました。

 

 七八寿司では、静岡名産である生シラスと金目鯛のお寿司を一貫ずついただきました。なお、静岡にうなぎ屋はたくさんありますが、うなぎは本年2月に環境省が、絶滅の恐れがある野生生物を分類した「レッドリスト」のなかで、極度の不漁が続くニホンウナギを絶滅危惧種に指定したそうです。レッドリスト自体は法的拘束力はないそうですが、今後、漁獲量規制がかかる可能性があり、そうなるとうなぎの商売が成り立たなくなってしまうでしょう。うなぎ屋は、苦肉の策で、あなごを利用してうなぎ風のどんぶりを提供しているところもあるとのことでした。

 

 次回も引き続き静岡での思い出をお話します。

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