
2014年10月19日(日)東京都港区芝公園にてガーベラを撮影
花言葉:「燃える神秘の愛」「常に前進」
(10)心技体
心技体とは、「精神力(心)」「技術(技)」「体力(体)」のことであるが、私は66歳まで健康そのものだった。しかし、その66歳の時に1回目の脳梗塞を発症し、69歳の時に2回目の脳梗塞を発症した。そして、71歳の時に突発性難聴になり、現在は左の耳が聴こえず、右の耳は聴覚過敏症に侵されている。ようするに私は、病気に体が侵されており「体」が欠損しているのである。「技」とは私にとっては思考能力であるが、減退している。また、当然のことながら「心」も萎えてきている、というのが正直なところである。
以前、月刊ローヤ―ズマガジンで自分の人生の一端を述べたが(2011年7月)、弁護士の河合弘之君の書いた三一書房の「弁護士という職業」に当時の私のことが書いてあるが(1982年5月発行)、その中に『偽証しない、させない』という言葉を述べた。時には誘惑もあったが、私はこの言葉を貫いたのである。
私は、自身が信条として何十年も前に述べた事を実現するための努力を、71歳まで継続していた。具体的に言えば、既に述べた『偽証しない、させない』に加えて、『土日も働く』『国内旅行に行っても、海外旅行に行っても、飛行機の中で仕事をする』ということである。当時はそれを心意気として奮闘していたので、少しばかり弁護士としての華があったのではないかと思う。
ところで、「華がある」「オーラがある」「求心力がある」という言葉があるが、それらの本質は何だろうか。色々考えたが、結局は「幸せ感」ということになるだろう。「華がある」は、「美しくて、だれでも持っていたいと思うもの」と辞典では解釈されているが、その根本は「幸せ感」のように思う。私たちが女優や男優に酔っているときは、実は彼らが持つ「幸せ感」に酔っているのではないだろうか。弁護士たるもの、多かれ少なかれ、華があり、オーラがあり、求心力がなければならないし、それは多い方がいいに決まっている。なぜなら、クライアントは皆悩みをもっている。それゆえに幸せ感を与えることが大切だからだ。これが弁護士の営業の根本なのである。
以前、お客様から、「高井先生に相談をしに行った帰りは、事務所の入り口まで着く間に少し安心になり、市ヶ谷の駅に着くまでにまた少し安心になり、やがて会社の入り口に着くころにはすっかり安心している。段々と安心する度合いが強まっていくことが分かる」と言っていただいたことがある。これがまさに「幸せ感」を与えるということであろう。
お客様に幸せ感を与えるには、仕事に取り組む際に「思いを入れる」「心を入れる」ことが大切である。目の前の仕事を単なる作業と捉えて取り組んではならない。お客様のためにという姿勢で取り組まなければならないのだ。
ところで「思い」と「心」がどう違うかといえば、これは、私が労働の質的側面に着目して提唱している考え方であるが、「思い」はヘッドワークに、「心」はヒューマンワークに通じる点が異なるのである。主に手足を使う「フットワーク・ハンドワーク」の時代から、頭脳を使う知的活動がメーンとされる「ヘッドワーク」の時代に移り、現代は心を用いることが重要となる「ハートワーク」の時代となっている。豊かな想像力と良好なコミュニケーションによって相手の立場を十分に理解し、信頼関係に基づくつながりを形成することが求められているのだ。しかしさらに今後は、人間性が問われることとなる「ヒューマンワーク」の時代が訪れると予測している。
「ヒューマンワーク」とは、マニュアル経営と対峙する概念であり、人間性の原点に立ち返り、心身を限界まで尽くして、人として有する全機能をフルに働かせる労働を意味している。自分の限界に立ち向かうことで、自己の長所・短所と真正面から向き合う契機となり、人間としての本当の成長につながるのだ。無我夢中・一心不乱に人間の理想である「夢・愛・誠」を求め続ける働きこそが、民族や国籍をも超越した人類に普遍的な「ワーク」となる。これが「ヒューマンワーク」の行き着くところであり、労働においてはお客様が求めていることを提供し、「単なる」満足ではなく、「大いに」満足させることにつながり、お客様に幸せを実感させることとなる。即ち、心を入れて取り組むことが必要となるのである。
弁護士の営業の根本は、依頼者の法的トラブルをできるだけ早期に、かつ依頼者が満足を得られるような形で解決することである。そのためには説得の技術が必要だ。その説得の技術についていろいろ述べてきたが、結局は依頼者の得心を得ることなのである。すなわち依頼者が解決に向けて歩きだすことである。それが和解であれ、裁判の結果であれ同じである。それには、弁護士の依頼者への提案に対する意見から彼の本音を探るということである。いろいろと形を変えて提案しても本音がわからない時には、選択的提案をするといいだろう。A案かB案か、またはA案かB案かC案か、2つ3つに絞って質問しそれについての意見を表明してもらうことで、彼の本音の意見がにじみ出るものである。にじみ出たところに依頼者の得心へのきっかけがある。もちろん選択には「困難や代償は伴う。でも選択は人生の可能性を開く」(シーナ・アイエンガー、コロンビア大ビジネススクール教授、2012年8月4日朝日新聞beより)。このきっかけから提案を繰り返しながらきっかけの幅を広くし、依頼者の得心に近づけばいい。それは時間の経過とともにおのずから環境の条件が変わるから可能である。
弁護士として必要なことは、理性的であっても、温かく情が深い人間であるということである。それは、包容力とも言いかえることができるが、要は人の欠点を認める心が必要だということだ。相手を殺してはならないのである。どんな非情な相手であっても、相手を生き永らえさせなければならないのだ。こういった気持ちをもって対処しなければならない。
(11)良心
弁護士は血の通った人間でなければならない。人間愛に満ちていなければならない。人間愛とは、「人間が好きだ」ということから始まる。そして、それは他人を受けいれることから始まるのである。
弁護士の良心とは何だろうか?前述した『偽証しない、させない』という信条も良心の一つではあるが、そのほかには何があるだろうか?良心と職業倫理とは同一である、という説もあるが、その同一性は何によるものだろうか?『偽証しない、させない』という弁護士の良心があるなら、弁護するのに値しないとする事案の弁護をすることは弁護士として許されないのではないだろうか?欠陥がない人間はいないというが、逆にいえば評価すべきことを評価するのが弁護士なのではないだろうか。
隣人に対する大きな意味での愛情、包容といった基本的な資質と不断の自己陶冶の姿勢さえあれば、まさに弁護士の仕事は天職として意義ある仕事であり、精神的にも十分な満足が得られる仕事なのである。
併せて、「目的のために手段を選ばず」という言葉があるが、今はそのようなやり方では成り立たない。良心に背くようなやり方では、最終的な解決に導くことはできないので、目的のための最善の手段を選ぶことも忘れてはならないのだ。