2014年10月19日(日)東京都目黒区中目黒公園にてダリアの蕾を撮影
花言葉:「栄華」「優美」
※ 「労働新聞」2010年2月22日 第2766号「髙井伸夫弁護士の<人事労務の散歩道>」より転載
グローバル化のなかの『ヒューマンワーク』
「できるなら、どうか心をつくし、能力をつくし、また、これまで蓄えた力を全て発揮して、出し惜しむことのないようにしてください」(『吉田松陰名語録』より)―この言葉は、全力で仕事をすることを旨とする「ヒューマンワーク」の本質を端的に表すものである。
私が今、「ヒューマンワーク」という概念を敢えて提唱して必要性を訴えるひとつの理由は、企業のグローバル化現象が急激に進み、企業間競争が激しくなっていることにある。グローバル化の進展の中で、各企業は多様な人材を抱え、多様な価値観、多様な民族性や国民性を統率したうえで、より大きな成果を生み出さなければならなくなっている。例えば、「集団主義」の日本人と「個人主義」の外国人のように根幹の部分で相容れない者同士でも、グローバル化のなかでは同じ組織で共に働き、互助と牽制の適切なバランスのもとで成長し成果を上げなければならず、その円滑なマネジメントのために、各企業は「ワーク」についてのグローバルな共通認識を構築する必要に迫られている。
企業のグローバル化に伴う人の問題では、①相互理解促進のために、対面コミュニケーションと電子メールによる効率化をバランスよく行う、②組織における価値観の多様性を尊重する、③共存共栄を図る人道的な行為を尊重する等に留意すべきであるが、その際の基盤となるのが「ヒューマンワーク」なのである。この概念は、損得勘定や利害関係ではなく、フェイス・トゥ・フェイスの関係が生み出す人間性への共感を最も重視する。
「フットワーク」の時代には、体力や手先の器用さ等の違いが企業や国の発展に格差をもたらした。そして、思い方・考え方・感じ方の斬新さが求められる「ヘッドワーク」の時代には、そうした能力は各民族の得手・不得手の特質やDNAレベルによって差異があり、格差が生じた。そのため、肉体労働や頭脳労働の段階では各民族の差異が強調され、共通点は見出しにくかった。
ところが、「ハートワーク」ではまさに人間としての「真・善・美」や「良心・善意・連帯心」が重要になるため、民族間の違いは比較的小さくなってくる。ただ、「良心・善意」のあり方は、各民族性によって尺度の違いが大きいといわざるを得ないし、余りにも繊細すぎる表現や技巧的な手法は普遍性を失い、民族性や文化が異なる相手には通じない。
この点、「ヒューマンワーク」では、“人間らしさ”そのものが問われる。大きな困難に直面したときでも、逃げずに肉体と知力の限界まで気力をふりしぼって頑張る姿こそが、あらゆる垣根を越えて胸を打つのである。全人間性をかけて「血と汗と涙の結晶」を育くむべく「夢・愛・誠」を求める真摯でピュアな仕事ぶりが、様ざまな差異を超えて普遍的な価値観をもたらし、顧客獲得にもつながる。そして国際的企業の行動規範に必ず登場する“integrity(高潔・誠実)”もまた、多様な背景を持つ人々に共通に適用できる概念として、「ヒューマンワーク」の重要な要素となるであろう。
全ての違いを乗り越えて共有できる概念をいかに組織の中に定着させ得るかが、企業がグローバルに発展するためのカギであり、そのための大きなヒントが「ヒューマンワーク」なのである。