2014年12月28日(日)10:38 東京都北区王子五丁目で撮影
バラ(花言葉(薄オレンジ):「無邪気」)
第1回 高井先生言行手控え
築地双六館館長
公益社団法人全国求人情報協会参与
吉田 修
2002年(平成14年)12月28日
二子山部屋・横綱貴乃花の稽古見学
右から高井先生、ボビン・バジュラチャルヤ氏、私
(ボビン氏については高井先生の2011年9月6日付交遊録参照)
■高井先生との出会い
昨年末、高井先生より「これまで色々な場で様々な主張をしてきた。長年の付き合いの中で覚えていることをキーワードを含んだ文で寄稿してほしい」とのお願いがありました。高井先生には、およそ30年間、公私にわたってご指導をいただきました。このような雑文拙文であっても、少しでも先生へのご恩返しが出来ればと思いお引き受けした次第です。
高井先生は、私が長年勤めていましたリクルート社の顧問弁護士でいらっしゃいました。最初の出会いは、日本リクルートセンターがリクルートに社名変更した昭和59年の9月だったとお聞きした覚えがあります。
当時の田中寿夫常務から高井先生に「関連会社のリクルートフロムエーが詐欺商法の会社の求人広告の掲載を断ったところ、広告契約の債務不履行によって、人を採用できなかったことによる得べかりし利益等を求めた損害賠償訴訟が起こったので、是非対応をお願いしたい。」と申し上げたそうです。
この当時既に、高井先生は労務分野で最も著名な弁護士のお一人でした。特に、「反対尋問の名手」として評判が高く、裁判官が先生の反対尋問をわざわざ法廷に見学に来ていたそうです。これはなかなかあり得ないことです。
さて、高井先生は仕事を引き受けるにあたって、必ず依頼者の職場を実地見学されるということで、同社の本社を訪れ、社風、職場風土、経営幹部の人となりを肌感覚で把握されました。これに限らず、高井先生の当該事案の現場を踏まえ、そこから発想する現場主義(Here&Nowのリアリズム)はあらゆる場面で垣間見られます。先生の大胆で斬新な発想は、数多い現場のシーンと徹底したロジカルシンキング、そして卓越した記憶力が、灰色の脳細胞の中で生物学的化学反応を起こした賜物なのです。そう感じておられる読者の方も多いのではないかと思います。
私が最初に高井先生にお会いしたのは、昭和62年頃だと思います。お引き合わせいただいたのは、赤羽良剛さん(当時リクルート事業部次長、現ブレーン・フォーラム株式会社 代表取締役)でした。
(つづく)