2015年2月のアーカイブ

第2回 高井先生言行手控え


 

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※()内は花言葉

<上段左>2015年2月4日(水)8:07 目黒区上目黒1丁目にて撮影 
チューリップ(思いやり)
<上段右>2015年2月8日(日)7:21 港区六本木5丁目にて撮影 
椿(控えめな優しさ)
<下段右>2015年2月12日(木)7:56 文京区湯島神社にて撮影(当日は「湯島天神梅まつり」が開催中) 
梅(高潔、上品)
<下段左>2015年2月11日(水)8:12 目黒区中目黒公園にて撮影 
アカツメクサ(豊かな愛)

 

 

築地双六館館長
公益社団法人全国求人情報協会参与
吉田 修

 

 

■労働は人格実現の場である

 

私が髙井先生に最初にお願いした仕事はご講演でした。平成元年(1989年)1月のことです。半年間で全国7回もの講演を開催しました。このように密度高く講演をお願いしたことには理由がありました。当時はバブルの絶頂期でありましたが、リクルートは創業以来の二つの危機を迎えていました。一つはリクルート事件です。今では、「リクルートの関連会社である不動産会社の未公開株が賄賂として譲渡され、贈賄側のリクルート社関係者と、収賄側の政治家や官僚らが逮捕され、政界・官界・マスコミを揺るがす、戦後最大の贈収賄事件」とされていますが、当時は新聞報道がどんどん拡大する中で、どこが終着点であり、果たして夜明けは来るのかという不安が社内中を充たしていました。もう一つは、求人情報誌の規制問題です。求人情報誌が入職経路として大きな役割を果たしてくるにつれて、広告と実態が異なるというトラブルも目立つようになってきた中で、一部の労働組合や弁護士が中心となって、求人情報誌の規制を強化する動きが出てきたことです。

 

1989年6月には堀内光雄労働大臣が「リクルート事件の労働省ルートの発端となった求人報誌の法規制問題について内容が不明朗な広告が出る恐れもあり、求職者に不利にならないような秩序ある枠組みを考える必要がある。法的規制も含めて検討し直してみたい」と述べ、自主規制となっている現行制度を見直す姿勢を示しました。これに対し、1985年以来、求人広告の自主規制に懸命に取り組んできた社団法人全国求人情報協会は強い危機感を持ち、以降、今日に至るまで求人広告の適正化に取り組んできたという背景があります。

 

さて、このような社会情勢の中で、髙井先生に就職情報誌事業に携わるほぼすべての従業員に向けて、「就職情報誌の現状と今後のあり方」という演題でお話をいただきました。この講演録(写真)は、今読み返しても、示唆と洞察に富み、求人広告メディアに携わる者の職業倫理に強く訴えかける内容です。今回から数回にわたって、この講演録から髙井先生のお言葉を紹介したいと思います。

 

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最初に「労働」とうものの本質について言及されました。一般の辞書では、労働は「からだを使って働くこと。特に、収入を得る目的で、からだや知能を使って働くこと。」と説明されています。これを先生は講演の冒頭で明快に定義付けられました。「労働は人格実現の場である」と。以降のお話を要約すれば以下の内容になります。

 

「労働契約においては、労働者は労務を提供し、企業は労働者に賃金を支払います。労働者から提供される労務は、労働者の精神・身体と切り離すことができないという意味で、労働者の人格と密接不可分の関係にあります。つまり、働くことは、人間性の表現であり、自己実現でもあります。その労働契約を結ぶことをお手伝いするのが求人メディアです。

 

もしも、求人メディアの広告の内容が事実と異なっており、それを信じて入社した労働者がいた場合、

 

  1. 求人広告の間違いは、労使の信頼関係を壊し、労働者の精神・人格を深く傷つけることになります。
  2. 救済を求められても、もはや現状復帰することはできず、代替物の提供もできません。それゆえに、求人広告の審査の責任は重く、苦情対応はハードになります。だから、信頼される求人メディアを作ることが大切なのです。」

 

会場は水を打ったように静まり返っていたことを覚えています。

 

労働の本質については、古今東西、多くの経済学者や政治家が語っています。

 

  • カール・マルクス:人間の労働力が商品の価値を決める。
  • 高橋是清:「人の働きの値打」をあげることが経済政策の根本主義だ。
  • トマ・ピケティ:資産によって得られる富のほうが、労働によって得られる富よりも早く蓄積されやすく、それが貧富の差を生む。

 

 

労働について、経済理論ではなく、人間賛歌の哲学として捉えておられるのが髙井先生なのです。

(つづく)

 

 

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※()内は花言葉
<上段>2015年1月28日(水)14:36 港区赤坂1丁目にて撮影
水仙(私のもとへ帰って)とプリムラ(永続する愛情)
<下段左>2015年1月28日(水)14:37 港区赤坂1丁目にて撮影
バラ(魅惑)
<下段右>2015年2月1日(日)7:38 渋谷区代々木5丁目にて撮影
ジャノメエリカ(博愛)

 

お客様は困っていること、分からないこと、気掛かりなこと、を必ず持ち合わせている。それらを聴いて、解を与える、方向性を提示するのも説明責任の一つである。誰しも完全無欠なことはないのであるから、不利益なことを早く話してもらい、そうすることで、防御・攻撃方法がより進化する、すなわちお客様にプラスになるということである。そして、それによってお客様が納得する、安堵する、ストレスが軽減する。これが、弁護士の仕事として大切なことである。

弁護士はお客様のために働かねばならない。しかし、顧客の立場だけを考えて弁護士は活動してはならない。弁護士は法的な立場から顧客の利益を考えるものである。即ち、弁護士はリーガルマインドがあってはじめて、弁護士たる仕事ができる。お客様のためにとは、「自分自身のリーガルマインドに沿って対処すること」である。

現代社会はリスクに満ちている。特に企業は、多くのリスクを抱えているのが必定で、これらの緻密な分析・検討なくしては経営が成り立たない。企業から依頼を受けた弁護士は、多かれ少なかれビジネス上の判断にも関わりを持たざるを得ない。しかし、リスクを考えて何事も違法と言いがちな弁護士が多い。リスクを取らない弁護士が多いということである。それはそれで、弁護士として存在する意味はあるが、お客様にとっては満足できない弁護士である。弁護士はリスクがあるのかを見極め、そのリスクを乗り越える工夫をしなければならないということである。それは、取れるリスクと取れないリスクを分別するということでもある。取れるリスクとは、状況を変化させて今あるリスクを失くすために、新しい条件を設定するなり、リカバリーショットを打つなりすることである。お客様は法的トラブルをかかえているが、弁護士がリスクを回避することのみに汲々としていては、お客様の発展はない。リスクを取ってこそ今以上に有利な立場になるからである。これを取らないということは、クライアントの満足を得られない。弁護士に依頼するからには今以上に優位に立ちたいというのがお客様の心理だから、リスクを取らない弁護士はそれに応えられないということである。故渡辺美智雄氏は官僚を前に「大事(だいじ)は『七分の道理、三分の無理』で成る。君たちは道理を徹底的に追求しろ」と檄を飛ばした。弁護士も、無理と思える現実のなかにも価値観の変容を察知する鋭敏な感覚を磨き、お客様のためにリスクを乗り越える気概を持つべきである。

「ハイリスク・ハイリターン」という言葉があるが、大きな危険を冒すほど大きな利益が期待できるという意味である。「ノーリスク・ノーリターン」では、競争には勝てない。なぜなら、リスクのない競争はあり得ないので、リスクをとらないのであればそもそも競争の場に上がってすらいない。競争社会の中で生き残っていこうと考えるのであれば、リスクを冒すのは、いわば当然のことだ。例えば、訴訟において敗訴しそうな時に依頼者に和解を促すのも、それに当たる。そして、依頼者が和解の勧めを受けなかったとしても、最終的には弁護士の信用を強めることとなるだろう。リスクを冒すときには、苦渋の決断を迫られることもあるが、闘いなくして進歩はあり得ず、競争社会で生き残ることもできない。ところが、今の若い世代は、ノーリスクを志向しているように思えてならない。昨今の大学生の就職活動の状況にも反映されているように思う。ノーリスク・ノーリターンでは、進歩も展望もないのであるが、ノーリスクを望めば、その進歩も展望もないというリスクがあることのパラドックスに気付いていないのである。

 

 

 

「ボスの条件」(5)引き際の見定め


 

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2015年1月18日(日)朝7:45 東京都港区芝公園 芝東照宮にて撮影
<梅の花>花言葉 「高潔」「上品」  (白)「気品」

 

※「労働新聞」2011年7月25日 第2834号「髙井伸夫弁護士の<人事労務の散歩道>」より転載

 

「ボスの条件」(5) 引き際の見定め

 

 

昭和の名横綱栃錦と大鵬が、横綱に昇進したときから常に引き際を頭に置いて精進したというエピソードは、よく知られているだろう。角界のトップに登りつめた横綱としての重責を一身に引き受ける強い覚悟があったからこそ、彼らは雄々しくそして輝いていたのだ。

 

企業においても、社長や幹部に就任したときに引き際を意識しておかないと、晩節をけがすことになる。引き際の見定めの基準の第一は、心身の健康が保たれているかということである。健康に不安のある者は、トップとしての激務に耐えられず責任を果たせない。第二は、トップやリーダーに就任したときに設定した目標が達成されたかということである。目標達成の目途がたったら、新しい目標を掲げる者にリーダーを引き継がなければならない。第三は、年齢である。いまの時勢からすれば、せいぜい75歳が限度で、できれば60歳前後で引き際を決断するのがトップの役割であろう。今年上半期の社長交代で、新社長の50歳代の比率が前年比5ポイント増という報道があったが(2011年7月8日付日経新聞)、これは企業がいかに激烈な競争にさらされていて、トップに若さと体力が要求されるかを物語るものだろう。

 

要するに、トップには新陳代謝をはかる義務がある。そうしてこそ企業は、社会の激しい変化についていける。「頭の良い者や力の強い者が勝ち残るわけではない、変化に対応する者だけが勝ち残る」というダーウィンのものとされる言葉は、企業のトップ人事についてもそのままあてはまる。

 

さて、新陳代謝をはかるためには、トップは後継者を選定し、育成していくことが必要になる。

 

トップにとって、後継者は見つけ難いものだが、時代の流れに対応するためには、無理をしてでも、後継者を見いだし、育成しなければならない。そして、トップの交代について、社会的な認知を受ける努力をしなければならないのである。

 

引き際は、前述のとおり「心身の健康」「目標達成」「年齢」の三要素をかけ合わせて、トップが自分自身で決心しなければならない。後継者が見当たらないときに、とかく交代を躊躇しがちであるが、後継者はトップの地位につけば意外に育つ場合が多い。それゆえ、さほど心配する必要はない。

 

仄聞した某社の例を、反面教師として紹介しよう。既に90歳台半ばである社長が、自分がかわいがっている者を社長に就任させるために、自らは代表権のある名誉会長に就任し、いわゆる情実人事を行った。新社長は経験も能力も不足しているため、社内では納得感が得られないという。一定規模以上の企業で人事が言わば私物化されるこうした例は、いまの時代には非常に珍しいが、これもトップが引き際を決断しないことが産んだ悲劇である。まわりの者は、社長の退任をなかなか進言できないものである。

 

そして引き際の重要性は、事業についても同様のことが言える。たとえば、企業が中国・アジア諸国等に進出して事業を始めたとしても、撤退を常に意識していなければならない。トップは、そこでの事業展開が自社にとってマイナスであることを直感した時点で速やかに引かなければ、取り返しのつかないことになる。これもトップの下すべき重要な決断のひとつなのである。

 

以上

 

 

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左上から時計回りに([ ]内は花言葉)
ボケの花[早熟]、コエビソウ[真の友情]
(2015年1月11日<日>7:30 東京都目黒区中目黒公園)
ニワナズナ[美しさに優る値打ち]、マーガレット[秘密の恋]
(2015年1月11日<日>8:00 渋谷区東1丁目)

 

 

 

※「労働新聞」2011年6月27日 第2830号「髙井伸夫弁護士の<人事労務の散歩道>」より転載

 

自己研鑚と組織の維持

 

「(日本の相次ぐ首相交代をさして)このような指導力では、震災や原子力発電所の事故など危機に対応することは不可能だ」「小国でも強い指導力があれば国は強くなる。逆に国が大きくても政治が弱ければ国は衰退する。その典型が日本だ」これは、中国の清華大学現代国際関係研究院・閻学通院長が、6月2日に北京市内で行われた講演で述べた言葉である(2011年6月3日付日本経済新聞)。

 

私は、この閻院長の指摘にひとことも反論できない。そして、「一国の政治は国民を映し出す鏡にすぎない」(スマイルズ『自助論』)というように、政治のレベルは国民のレベルそのものであるから、国民を埒外として政治家だけを批判することは、潔しとしない。

 

既に政界を引退された某有力元国会議員の秘書の方が、「中選挙区制になってから、国会議員間の競争がなくなり議員が勉強しなくなったように感じる」旨述べていたが、選挙制度の運用面はともかく、日本の政界も社会全体も、あるべき競争や切磋琢磨のなかから、ボスとなるべき人材が選りすぐられ登り詰めていく試練のプロセス・修羅場体験が忌避されていることは、深刻な事態として受け止めなければならない。さらに、海外留学・海外赴任に極めて消極的になった日本の風潮は、多様な価値観のなかで厳しい競争を勝ち抜く強靱さを、日本人から失わしめている。これからは、どの分野の仕事であれ、海外経験が一層重要になることは言うまでもない。

 

さて、ビジネスの世界で優秀な働きをされている方々に、良きボスの条件とは何か、ボスとしてどのようなことに心掛けてこられたかとお尋ねしたところ、「自分を磨き続ける」「自ら研鑽・勉強を怠らない」「博覧強記を目指す」など「研鑽」「勉強」にまつわる回答が目立っていたのは、予想していたとはいえ重要な点である。リーダーシップを発揮し活躍している人は、決して自分の地位に安住することなく切磋琢磨を好み、よく勉強している。

 

また、「人間としての徳」「部下の成長を願う」「部下の人間性の尊重」「部下の話をよく聞く」など、部下への配慮の重要性に関する回答も多かった。良きボスは、実力主義の厳しさを熟知し、常に研鑽を積み、部下には人間的な温かさを示して信頼関係を醸成し、組織としての機能を心掛けているのである。

 

かつての終身雇用を旨とした時代とは異なり、実力主義・成果主義になればなるほど、組織の一体感は阻害される。個として能力の高い社員を「ソバ粉社員」、調整活動だけに携わる社員を「つなぎ社員」と呼ぶなら、実力主義のもとではソバ粉社員が評価されるが、ソバ粉社員が多くなればなるほど、一方で組織にきしみが生じる。自らの力を過信して、同僚や同志や組織を無視する悪しき個人主義の蔓延が、その典型例である。

 

組織のきしみを克服するには、上に立つ者は、組織性を維持することに敢えて腐心しなければならない。それには、部下それぞれの専門的知識の統合されるべき方向性を示すリーダーシップと、部下の専門的知識と知恵を連携させるマネジメント力が強く要求されることになる。自己研鑽は、自分自身の能力や資質だけに向けられるべきものでなく、組織との調和を強く意識してなされなければならないのである。

以上

 

 

 

 

 

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