2015年5月17日(日)15:20
東京都千代田区清水谷公園にてガザニアを撮影
花言葉:「豪華」「栄光」
築地双六館館長
公益社団法人全国求人情報協会 常務理事
吉田 修
■詞は飛び書は残る
前回まで、1989年に行われた髙井先生のご講演「就職情報誌の現状と今後のあり方」からそのポイントを抜粋してご紹介してきました。髙井先生のお言葉には、求人情報提供事業の本質と果たすべき社会的役割について、厳しくも期待感に溢れた強いメッセージが込められています。現在、このご講演を記憶しているオーディエンスは殆どいないでしょう。
髙井先生は艱難辛苦の日々を忘れやすい凡夫のことを見通しておられ、7回にわたる講演を講演録としてまとめるよう当初からご指示がありました。先生がよくおっしゃる「詞は飛び、書は残る」の通りです。その結果、四半世経った今でも色褪せることのないコンテンツをネットを通じて広く共有できるようになりました。
■第一次「就職情報誌(求人メディア)の法規制」問題
本論とかけ離れない範囲で述べておかなければならないことがあります。それは、就職情報誌(求人メディア)の法規制」問題です。1980年台は、若年層の求人難時代を迎え、多くの求人情報誌紙が創刊されました。同時に、求人広告への苦情も増加し、社会問題化してきました。求人情報ビジネスを非難するマスコミ報道も見受けられるようになりました。
このような社会情勢の中で、1985年に社団法人全国求人情報誌協会(全求協)が設立されました。高井弁護士の指導により、協会設立から読者の苦情相談窓口の設置、倫理綱領・掲載基準の採択まで、わずか9箇月で行っています。業界の緊張感と切迫感が伝わってきます。これが求人広告の自主規制のはじまりです。一方で有効求人倍率は、1987年0.7倍、88年1.01倍、89年1.25倍、90年1.4倍、91年1.4倍・・・と急上昇を続けていました。求人広告件数は増え続け、苦情も増えるというスケールデメリットが生じ、遂には、1989年9月に堀内労働大臣が「就職情報誌の法規制について、労働省内で研究を進めており、この問題にはしっかりした対応が必要だ」との発言がありました。自主規制路線を必死で歩んできた全求協の危機感はピークに達しました。
■職安局長通達により、法規制でなく、自主規制に
この求人情報誌の法規制問題については、1990年11月に労働省が中央職業安定審議会に民間労働力需給制度小委員会(民需小委)」を設置し、検討を開始しました。1991年1月には、同委員会は全求協をはじめとする民間の求人情報提供事業者団体のヒアリングを行い、全求協は「自主規制が実効を上げており、法規制は不要である」旨の意見要望書を提出しました。その後、時間をかけて審議検討が行われ、1989年9月の堀内労働大臣の上記発言から6年後の1995年8月に労働省職業安定局長通達により、求人広告は法規制ではなく自主規制を継続していくことが確定しました。今日にも生きる重要な通達ですので、ここに全文を掲載いたします。
平成7年8月 労働省職業安定局長通達「文書募集を行う事業主に対する適正化指導等について」(全文)
先の見出しに、“第一次” 「就職情報誌(求人メディア)の法規制」問題としたのは理由があります。今日、“第二次”ともいうべき法規制問題が出来(しゅったい)しているからである。この問題については改めて述べる機会があろうかと思います。
(つづく)