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2015年5月12日(火)東京都目黒区中目黒公園にてバラを撮影
花言葉:「温かい心」「かわいい人」

 

 

 

6月12日(金)より、『Lawyer’s MAGAZINE(ロイヤーズマガジン)』2011年7月号に掲載された私のインタビュー記事<巻頭特集「Human History 弁護士の肖像」>を転載しています。

 

このインタビュー記事のなかで、私は、これまでの弁護士人生を振り返り、二人の恩師、新人時代からの血沸き肉躍る労使紛争を経て学び取った信条、現代リーダーシップ論、そして、若手法曹への助言などの一端について述べております。

 

この記事をお読みいただければ、各位の中には、同時代人として生きられた当時の喜びや悩みを感慨深く思い出される方、あるいは、これから待ち受ける極めて困難な時代への心構えとして活かしていただける方がいらっしゃるのではないかと考えています。6月12日(金)分よりお読みいただければと思います。

 

 

 

人事・労務分野の第一人者として

 

1973年に独立し、事務所を構えた。”反対尋問の名人”の面目躍如となったのは、ニチバン事件(※11)のときだ。
※11 1977年、東証一部上場企業・ニチバンの再建を、大鵬薬品工業社長・小林幸雄氏が引き受け、人件費圧縮とともに年間労働時間の延長策を採用したことに端を発した一連の裁判。

 

「経営危機に直面したニチバンの再建にあたり、人件費の圧縮に加えて年間労働時間を1865時間から2136時間に延長するという抜本的施策が採用されることになりました。私は、この労働時間問題などに関する裁判を多数引き受けたわけです。当時の合化労連ニチバン労働組合・佐藤功一委員長に対する反対尋問は30回以上に及びました。数年間にわたり、同じ命題を巡って私が質問し、佐藤氏が答えるというやりとり。佐藤氏は非常にまじめな方で、誠実に取り組んでおられた。ドラマのように次々と展開した尋問が、大変印象に残っています。裁判では負け続けたものの、その間、『倒産回避。会社再建のために』と社員の労働意欲は高揚し、体質改善が進展。社員の大半が『労働時間の延長策などの施策が会社再建にとって必要不可欠な処置である』という理解に達しました。東京地裁の裁判官は、『もとより、当裁判所は、債務者の積極的な経営政策をそれ自体として批判するものではなく、また、本件勤務時間延長実施の前後を通じて相当数の従業員が債務者の経営方針の転換、経営政策の積極化に協力的な機運を醸成していた、との債務者の主張を否定し去るものではない』とお褒めの言葉をいただきました。結果的に、会社再建に成功したということです」

 

また、青山学院大学の「恩給事件」は、人事・労務問題の専門弁護士として、深く印象に残るという。

 

「私は所長として経営者の立場にありましたが、同校の『恩給廃止の問題』については、自分で意見書を書きました。はじめは新しく入る教職員のみ恩給を廃止しようとしたのですが、それだけでは掛け金を払う人が少なくなり、受給者だけが増えていくことになる。すると大学は200億円を超える損金を計上せざるを得なくなる。そこで、恩給制度そのものを廃止することにしたのです。その決断後、しばらくたってから世の中で企業年金問題が起き始めました。私は、そのハシリの案件を担当したことになるわけで、先駆を成して企業年金問題に取り組み、裁判にならず恩給制度廃止を実現したということが、大変うれしいことでした。これは、大木金次郎先生という大人物が当時の理事長だったからこそ、解決できた問題だったろうと思います」

 

“会社側に立つ労働弁護士”は、それが企業であれ学校であれ、経営のトップと直接やりとりする立場にあり、事業体の存亡をかけて経営陣とともに歩む存在だ。そうした状況下では、”全人格”でぶつかってくる弁護士にこそ、経営者は信頼を置くものだろう。

 

また、法廷で対峙(たいじ)した弁護士の多くが、「髙井先生とは、どうもやりにくい。なにやら哲学的なことを持ち出してくるから」と苦笑いするらしい。

 

「小手先の論理を弄(ろう)し、上っ面だけで、裁判あるいは議論を終わらせないためには、人生観、社会観、すなわち哲学を持たなければならない。哲学とは、”人間愛”が根本ではないかと、私は思っている」と髙井氏。―労働問題は人格性の問題。人の心が読めなければ成功は望めない―人事・労務問題の専門弁護士として、何百社もの経営トップとタッグを組んできた髙井氏ならではの言葉である。

 

30年ほど前、髙井氏が「労働事件の特色とは」というインタビューに答えた内容(※12)を紹介しておく。
※12 『弁護士という職業』河合弘之著(三一書房・1982年5月初版発行)より引用。

 

「労働事件は永久闘争ではない。経営者も労働者もその企業の中で人格を実現・発展させ、その企業によって生活を確保する。どこかで労使紛争は解決しなければならない。そこが、金を取ってしまえば終わりという民事、商事の事件と違うところだ。相手をたたき殺す必要はなく、それはむしろしてはならないことである。訴訟に全力を尽くす中で正しい和解の機運を醸成しなくてはならない、これが労働事件の特色だ/労使は相容れない不倶戴天の敵といった考えは、こちらが包容力を持って接すれば氷解する(一部要約)」

 

また、信条を問われて「天下の大道を歩む。小細工は弄さない/経営には、論理と倫理がある。そこで働く労働者全体への責任がある。だから経営者およびその弁護士である経営法曹は大道を歩まなければならない。私は絶対に偽証をさせないし、訴訟で全力を尽くしたあとで和解の機会が熟せば、依頼者を強力に説得もする(一部要約)」と述べた。

 

「労働事件の捉え方も信条も、何十年たとうと骨子は変わりません。これは私の弁護士人生で一貫した考え方なのです。私はただ、30年かけてその骨子に枝葉をつけ、少しばかりの花を咲かせ、実をならせてきたに過ぎないと、当時のインタビュー内容を読み返し、あらためて感じています。思えば、これまでには反省することも多々ありましたが、私は、何事も常に真摯(しんし)に取り組むように努めてきました」

 

事務所を起こしてから常時30件以上の労働事件を抱え続け、1000件以上ものリストラ案件に携わってきたといわれる高井氏。2005年に東京地裁で和解が成立した日本無線の地位確認等請求事件(※13)において、2004年12月「僕が証人尋問できる時代は終わった。これが最後だから」と依頼者にことわりを入れて、法廷に立ったという。
※13 2004年に提訴。2005年3月に和解成立。

 

この最後の反対尋問と相前後して、高井氏の関心は本格的に海外に向かっていった。1999年に上海、2006年に北京で事務所を開設(※14)、中国進出を図ったのである。
※14 上海代表処、北京代表処。

 

「”人治主義”から”法治主義”への方向転換を迫られる中国。その将来の発展性に魅力を感じた」と髙井氏。2010年には「弁護士としての第一線の活動に区切りをつけたい」と、岡芹健夫弁護士に所長を譲り会長に就任。現在は、主に執筆・講演活動を通じ、経営者や働く人々に向けたメッセージを送っている。

 

続く

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