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2015年7月30日(木)7:14 東京都芝公園にてひまわりを撮影
花言葉:「崇拝、熱愛」 

 

社会が激しく変動する中で新しい時代に対応するには、「アイデア力」がなければ生き残ることはできない。言い換えれば、「発想の自在さ」ということだ。発想の自在さは、これまでの経験などに基づくこともあり人によって差があるが、往々にして単なる思い付きから始まるもので、本能によるものである。ただ、この思い付きを理論化しなければ、仕事として実行し得ない。つまりは、本能と理性を結合させるということだ。この力が「アイデア力」あり、以下(1)~(12)で述べるお客様の開拓にも繋がっていくのである。

 

(1)人脈の広げ方

人体図を見ると、血液が体全体をめぐっている血脈が存在する。この血脈は何によって流れているのかというと、心臓ではなく脳にある自律神経である。生まれたときから血液は全身を回っているのであるが、人間が血液を意識するのは、心臓の鼓動を感ずる時であり、手首の脈に指を当てて拍動を感ずる時である。この時に血液が全身に回っている瞬間を意識するが、それとは正反対に死の時は心肺が停止する。これは、先程述べたように、血液の流れを促している脳の自律神経が止まるということなのである。医者に、折々胸に聴診器を当てて鼓動を確認したり、脈診をしてもらったりすることがあるが、それは全身に血液がめぐっていることを意識するということが健康を保つ秘訣だからであり、血液を感じることは、本当に「生」を意識することができる。

さて、これを人との繋がりである人脈の形成に置き換えてみると、本来人間は生まれた時からたくさんの人に囲まれて生きている。しかし、人脈とは、誰しもが本来的に生まれ持っている人とのつながりや絆を意識して、それを活動させていくことで生まれるものなのだ。

「人間関係を深めていくのは畑を耕すのと同じである。畑において、何度も鍬や鋤を入れて耕していく作業は、一回やればそれで終わりという性質のものではなく、何度も何度も、繰り返し鍬や鋤を打ち込むことによって、盤根錯節(物事が複雑に入り組んで解決し難いこと)した木の根っこやら石やらを取り除いて深く掘り、土壌を柔らかくしていくものである。作物を作付けできる状態を保ち続けるためには、定期的に何度も何度も耕していく必要がある。

  そしてこれは人間関係においても同じで、一回会えばそれでおしまい、というものではなく、繰り返しの接触を心がけ、関係性を深く堀っていくことこそが肝要である。」これは、私の親しくしているあるビジネスパーソンの言葉である。人脈とは、地層が積み重なるように、あるいは年輪が刻まれていくのと同じように、長期間、時間をかけて、それこそ一生をかけて形成する、その人物の 生態系、「生きること」そのものであると思う。

そして、人脈を勝ち得るために人に人脈をつないでもらうには、まず自分の人脈を紹介することから始めなければならない。よく、他人の人脈ばかりあてにして、自分の人脈は教えない人がいるが、このような人はケチな人、こすっからい人と評価され、結果的に人脈が増えないこととなる。自分の人脈を教えるということは、結局は他人のために寄与するということである。相手がお客様であり、人脈を教えることでお客様の営業活動に資すれば、それが「顧客満足」に繋がることとなるだろう。

 

オリンピックをみていると、日本の選手は全員周りの人に「支えられて戦った」とか「勝利した」とコメントする。弁護士も同じく周りの人に支えられないといけない。しかし、支えてもらうことを期待するのではなくて、自分自身を磨かなくてはならないということである。血と汗と涙の結晶を求めてこそ、光り輝き、皆さんが応援してくださるのだ。

また、弁護士は自分の営業だけに関心を持つのではなくて、お客様の営業のことを思いやらなければ真の営業とはいえず、成果に繋がらない。ギブアンドテイクの世界であり良く言えば支え合い、絆の世界なのだから。

 

(2)友人、知人等の紹介

知人・友人の紹介で仕事を受けた場合、一番困るのは敗訴等、結果が思わしくなかった時である。知人・友人は紹介した責任から、面子がつぶれたと思い、また、こちら側は後味が悪く感じ、知人・友人関係が崩れてしまって修復できないことがある。知人・友人関係がその後に破綻することを予測しないで、軽率に仕事を引き受けると、長年培った関係が破綻に瀕してしまいかねないのである。だから、知人・友人からの紹介案件については、よく吟味してから引き受けるかどうかを検討しなければならない。

また、親族から紹介されて弁護士として案件を引き受けることがあるが、友人・知人から引き受ける時よりも慎重にならなければならない。特に、依頼者側は勝利するものと思っており、親族であるということから甘えもあって、敗訴した場合の反動が通常よりもきつくなる。敗訴によって親族関係が破綻するということもよくあることである。

恩師などのどうしても断りきれない人から仕事の依頼を受けた時には、正当な評価は期待できないであろう。そして、敗訴が濃厚な場合には、いよいよ引き受けることが難しくなる。そんな時には、親しい弁護士に依頼して共同受任することが一番良いであろう。一人で引き受けて敗訴してしまっては、面目が立たないからである。

 

(3) セカンドオピニオン、サードオピニオン

セカンドオピニオンという言葉は、医療診断の世界の言葉で、専門・聖域領域とされてきた医師の権威主義的・独占的判断への疑問を解消するひとつの手立てとして生まれたそうだ。患者側がもつ一種の医師不信のように受け取られがちだが、現在では、医学の専門分野の細分化が進んだ結果、医師の側もセカンドオピニオンを望むようになってきたそうである。私は、弁護士にもセカンドオピニオンが求められる時代になったということを10年ほど前から意識している。法律の細分化・専門化にともない弁護士も専門化が進み、特定の分野で高い見解・見識を示さないと、クライアントから信頼を得られない状況になってきたからである。たとえば、私はメンタルヘルス関連の案件を処理するにあたって産業医のみならず専門医である精神科医等の助言も極めて大切にしてきたが、いただいた医師の意見に敬意を払うことはいうまでもない。弁護士としての判断だけではいかんともしがたい状況ゆえに、専門家の力を借りているのだから当然であろう。

  医師や弁護士など専門的職業人の世界に限らず、ひろくビジネスの世界でも、同じことがいえるが、自分が専門の分野の新しい知識や情報を吸収することが重要なのはもちろんだが、それだけでは足りず、セカンドオピニオンをお願いできる人との縁を大切にすることも必要である

ただし、誤解してはいけないのは、肝心なのは、「自分自身の勉強」と「自分はファーストオピニオンである自覚」である。ファーストオピニオンという言葉はあまり使われないが、あくまで最初に下す判断の正確さ、適切さを確認するためにセカンドオピニオンがある。言いかえれば、セカンドオピニオンとは、ファーストオピニオンを充実させるためのものであるということだ。

なお、セカンドオピニオンの意見でも足りないと思った時には、さらにサードオピニオンを求めるのもよいだろう。複数の意見を比較検討して、自分なりの判断を下すことが大切だ。いずれにせよ、最も危険なことは、自己過信・自信過剰であるということである

 

以上

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