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2015年8月4日(火)7:54 ホテルニューオータニ庭園にて蓮を撮影
花言葉:「神聖」

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2015年8月10日(月)中目黒公園に行きましたところ、ススキが風にそよいでいました。
立秋を過ぎ、暑さまだ厳しいなかでも、少しずつ秋の花が咲いています。
秋の訪れと、季節のうつろいの早さを、しみじみと感じました。

 

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

 

「これからのリーダーシップ」
貧しくなる日本社会の中で新たな共同体経営を目指す
(『月刊公論』2011年7月号より転載) 


 

日本はこれから想像以上に貧しくなっていくと思います。人口減少はますます進み、国内市場は縮小し、国民の所得も、一世帯あたりの所得も減少の一途をたどらざるを得ないでしょう。まさに、「日本は国として美しく老いるべきだ」(経済評論家 故神崎倫一氏談『週刊新潮』1997年12月18日号掲載)という状況になってきます。こうした現実に、企業経営者そしてリーダーは、どのように向き合えばよいのでしょうか。日本の企業は今までのように個人の成果主義を旨とするだけでは立ちゆかなくなっているのであり、共同体を構成することの意義や必要性を自覚しなければなりません。私は、後輩弁護士たちに、こうした視点をも伝える努力をしていきたいと思います(髙井伸夫)。

 

 

「大義名分書の重要性」

いかに優秀なリーダーでも、自分ひとりの力だけでは、仕事の目的を達成することも、成果を上げることもできません。リーダーたる者は、役員・幹部(執行役員等)・幹部管理職・従業員等、組織全体を総動員してミッションを成し遂げる体制を、作り上げなければならないのです。

そのとき、彼ら彼女らにやる気を起こさせるための重要な方途のひとつが、「大義名文書」です。

「大義名分書」とは、文字通り物事の大義名分を書面化したものであり、経営側の人事・労務問題を専門とする弁護士として、私が実務の経験のなかから編み出したツールです。たとえば、裁判所は、整理解雇が解雇権の濫用とならないための要件・要素のひとつとして、「人員削減の必要性」を挙げますが、実際に紛争になった場合には、経営側としては「必要性」を述べるだけでは足りません。人員削減の断行によっていかに将来に展望が開けるかということについて、数字を含む裏付け資料を用いて「大義名分書」で明らかにし、さらに、「想定状況」「想定問題」「スケジューリング」等々の資料も精緻に作成することが、肝要なのです。そして、これらのツールは、あらゆる仕事の遂行の場面に応用できるものなのです。

リーダーは、「大義名分書」において、単に必要性を語るだけではなく、「この施策に展望あり」ということを、説得力をもって明示すべきです。いま取り組んでいる仕事は、本人のためだけでなく、同僚のため、組織全体のため、ひいては、世のため人のため、社会全体に貢献するものであるという将来に向けての大義名分を、書面で明らかにするのです。

リーダーからのこうしたアナウンスが為されることにより、各々が社会における自らの仕事の意義を再確認し、意欲的に取り組むことができるのです。日々の業務のなかでは、とかく目先の売上げや利益等に思考が偏りがちであるが、社会や共同体を意識することで、仕事の質は格段に向上するものです。

 

「契約社会から新たな共同体社会へ」

世界のほとんどの国は、異民族との激しい葛藤や紛争を経てきた長い歴史をもち、基本的に個人主義を旨としています。孫文(1866~1925)が、「外国の傍観者は、中国人はひとにぎりのバラバラな砂だという」(『三民主義』)と紹介したくだりは有名であるが、個人主義は中国に限ったことではありません。そして、個人主義の民族によって形成されるのは、厳然たる契約社会です。これに対して、日本は島国であるがゆえに他民族からの侵略を受けることなく現在に至り、集団主義となった稀な国である。まさに「和を以て貴(たっと)しと為す。忤(さから)ふこと無きを宗とせよ」(聖徳太子「十七条憲法」第一条)の精神が、日本人のDNAにすり込まれていると言ってよいでしょう。

契約社会は、権利義務関係を明確にして、そのうえで、契約関係により心の紐帯をはかり、無限の信頼ではなく、限界ある信頼を形成します。権利はとかく極大化し、義務は極小化する世界であるがゆえに、まず、権利と義務の明確化が必要になります。権利義務を明確にすることの本当の意味は、実は、責任転嫁を許さないことにあるのです。

日本の集団主義を旨とする契約書には、必ずと言ってよいほど「甲と乙は、信義に基づき誠実にこの契約を履行する。そしてこの契約に定めのない事項が生じたとき、又は、この契約各条項の解釈につき疑義の生じたときは、甲乙各誠意を以て協議し、解決する」の一条項を加えます。要は、何かのときには互いに歩み寄りましょうという基本姿勢です。ところが、たとえば個人主義の代表例である中国人の場合は、権利の極大化と義務の極小化を図ることがすべての局面における大前提ですから、契約で定めた代金を、何かと理由をつけて支払わないとしても、それは彼らが義務の極小化に努めた結果であり、民族性にかなった当然の言動なのです。

さて、契約書の本質は、このように契約における権利と義務の限界を明確にすることにありますが、日本に多く見受けられたいわゆる家族主義的な企業や家族的雇用関係は、信用から成り立ち、権利義務を規定せず、家族的な運営によって相互扶助を行い、ある種の共同体を構築していました。この共同体においては、無限の忠誠と保護とを、お互いに約束しあう関係が結ばれていたと言ってよいでしょう。つまり、権利義務が無限である点が、契約社会とは決定的に異なっていたのです。旧来の日本社会は、多かれ少なかれ、こうした傾向がありましたが、90年代後半から成果主義という考えが色濃くなるにつれ、契約社会へと転換する動きが主流になりつつありました。

ところが、日本経済が、発展しないどころか斜陽化し、沈没しつつあるなかでは、成果主義を旨とする経営もうまくいかなくなってきたのです。自国の経済の衰退を、日本人はなかなか認めようとしませんが、次のような統計をみれば、所得の激減は明々白々です。

日本の国民所得は、1997年には303万1千円であったが、09年には約266万円となり、この12年間で、97年のほぼ1・5カ月分の所得に匹敵する37万1千円も減少して、8分の7になりました(内閣府国民経済計算確報)。また、一世帯当たりの平均所得をみてみますと、94年には664万2千円であったが、08年には547万5千円となり、この14年間で、なんと116万7千円も減少して、6分の5に目減りしてしまったのです(厚生労働省国民生活基礎調査)。

こうした貧しくなりつつある社会では、まさに「貧すれば鈍する」で、信頼関係が失われてきます。ここに、日本において契約社会を超えて改めて相互扶助や共同体の意義が謳われる素地が出現したのです。

 

「人間関係尊重の視点」

これからは、経営においても敢えて人間関係尊重の強化をはかっていかなければならない時代となります。人間関係尊重の経営とは、構成員それぞれの希望・期待・成長を期することに、経営者、リーダーは配慮しなければならないということです。いま日本は、東日本大震災によって苦しんでいますが、それは、少子化という決定的な要因と相俟って、日本の将来を極めて危うくするものとして、心配されている。前述のとおり、国民所得及び一世帯あたりの平均所得が急減している現状では、これを回復させ、成長路線に戻すことは不可能に近い。この問題を解決するためにも、改めて共同体経営を意識しなければならないのです。

共同体では、子どもも、年寄りも、あるいは、失業した人等も、全体で扶養していくことが必要であって、個人の力ではなく集団の力によって乗り切る社会でなければ、日本を復旧・復興させることはできないでしょう。

これからますます貧しくなり、市場原理主義一辺倒では社会が立ちゆかなくなっている日本の現実をふまえれば、これからのリーダーシップは、より広義のリーダーシップにならざるを得ないことは、明らかです。言ってみれば、共同体をいかに円滑に展開していくかということですが、そのためには、これからのリーダーは、①組織や共同体の構成員それぞれの持つ「成長したいという希望」を的確に把握し、②リーダーが構成員それぞれを「成長させたいという期待」を具体的なビジョンとして描き、③さらには、構成員それぞれに応じた「成長」を実現することが必要になってきます。そして、構成員各々が自らの「成長」を実感できたとき、そこから、また新たな「希望」が生まれてくるのです。

こうした「希望」「期待」「成長」の好循環のプロセスを実現できるのは、より社会奉仕的かつ社会貢献的な共同体を構成することに熱心な経営者のみである。目先の利益だけにとらわれるようなガリガリ亡者は、これからの共同体の経営者としては全く機能しないでしょう。

現実に、ボランタリーのNPO組織がこの大震災で大活躍している所以は、この点にあると言ってよいのです。「極限的な状態で、人は、自分のためには頑張れないが、他者のためなら力を発揮できる」(木山啓子氏 認定NPO法人 特定非営利活動法人ジェン 理事・事務局長)という言葉の重さを、改めてかみしめたいと思います。

 

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