2015年9月14日(月)7:46 中目黒公園にてトレニア(紫)とサルビア(赤)を撮影
花言葉:トレニア「温和、愛嬌」サルビア「尊敬、知恵」
築地双六館館長
公益社団法人全国求人情報協会 常務理事
吉田 修
■二人の横綱の取材手控え
「髙井先生言行手控え」も残すところ3回になりました。これまでの些か堅い手控えから、先生との楽しい体験を紹介する手控えとして、先生と親しい二人の親方の取材を再録します。角界の頂点に立った元横綱の貴乃花と武蔵丸です。取材を通じて、横綱の素敵な人柄や厳しい稽古に裏打ちされた重みのある言葉に触れることができたことは一生の宝になりました。
今回は横綱貴乃花です。
※貴乃花 光司。第65代横綱。所属した相撲部屋は藤島部屋後に二子山部屋。現在は一代年寄・貴乃花で貴乃花部屋の師 匠。日本相撲協会理事(協会本部)で総合企画部長他。他にスポーツニッポン評論家(大相撲担当)。通算成績:794勝262敗201休 勝率.752、幕内最高優勝:22回、横綱在位:49場所(歴代4位)。2001年の5月場所で、14日目の大関武双山戦で巻き落としに敗れ右膝の半月板を損傷。出場が危ぶまれた千秋楽に強行出場。優勝決定戦では横綱武蔵丸を上手投げで豪快に下し、通算22回目の優勝を果たす。
小泉純一郎首相が、表彰式で内閣総理大臣杯を直接手渡し、「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!」と祝福したエピソードは有名。2003年 1月場所8日目限りで現役を引退。
本取材は2002年12月27日なので、横綱貴乃花が引退する直前の時期であったことになります。
■押されてもいいから自分の形を崩すな!
2002年の暮れも押し詰まった12月27日。高井先生のお誘いで二子山部屋の稽古風景を見学に参りました。日本の伝統文化に関心の高いネパーリアンシンガーのボビン君も一緒です。さて、高井先生と貴乃花の接点は何でしょう!気になりますよね。それはこういうことです。高井先生と貴乃花とは膝の治療先である某治療院の先輩患者と後輩患者の関係だそうです。こういう世界にも先輩後輩関係があるのかしらん?!しかし、それを有無を言わさず、力技で人間関係を築かれるのが高井先生の高井先生たる所以です。今では、横綱貴乃花が、尊敬の念を込めて「高井先生、高井先生!」と呼ぶ間柄で、ご夫妻同士のお付き合いとのことです。
さて、二子山部屋は、中野区の住宅街にありましたが、部屋の近くでゴミ回収車が火災を起こし消防車が来て消化作業中でした。このことは、後の横綱との会話に影響してくるのでした・・!早速、部屋の若い衆に招かれて稽古場に入りました。見学者は取材記者や部屋の馴染み、外国人家族など皆で20名くらいいました。その中に、乙武洋匡さんを見つけました。彼は大変身軽で、板の間をぴょんぴょんとジャンプして横綱に近づき、話し掛けていました。小生が助平心から「一緒に写真をとっていただけますか?」と乙武さんにお願いしたら、「ボクはいいですけど、ここは写真撮影禁止ですよぉ。」とたしなめられました。確かに「稽古中は私語と写真撮影は禁止」の看板がありました。乙武さん、大変失礼いたしました。
若い力士10数人くらいが、ぶつかり稽古や三番稽古をやる中で、貴乃花は静かに四股を踏み、鉄砲を繰り返しています。今日が稽古仕舞いなので、無理はしないのかなと思っていたところ、突然、しかしとても優しい声で貴乃花が「新堂(力士の名前)、押されてもいいから自分の形を崩すな!」と土俵上の若い力士新堂クンに声を掛けました。この瞬間、部屋の空気がピリッと引き締まりました。新堂クンは、次の申し合いでは、土俵際で踏ん張り抜いて相手を押し返していました。凄い!「押されてもいいから自分の形を崩すな!」・・・胸にじんと来る言葉でした。思えば、貴乃花の人生はこの言葉に象徴されているのではないでしょうか。マスコミに、ファンに、協会に、怪我に、種々の人間関係のトラブルに・・・押しまくられても自分の主張やペースを変えなかったので、今日の偉大な横綱があるのだと思います。この日稽古場には、先代貴乃花の二子山親方はおられず、実質的に貴乃花が部屋を取り仕切っていました。そうこうするうちに、貴乃花が土俵に上がり、ぶつかり稽古をはじめました。最初は若い力士に胸を貸し、ぶつかってきた相手に土俵間際まで押させ、相手を転がすという稽古です。相撲というのは、瞬発力を連続的に発揮して、相手の重心を崩すスポーツです。大きな身体の力士はすぐに息があがりますが、それを我慢して稽古をしなければ強くなれません。力士は皆ゼイゼイと喘ぎながら、髪を乱して相手にぶつかっていき、転がされます。最初は胸を貸していた貴乃花は、突然自らもぶつかり、転がされ、受身をし、背中に泥をつけていきました。横綱もこのような泥稽古をするものとは知りませんでした。誰も声を発することの出来ない緊張感で土俵が引き締まっていきました。
稽古が終わり、貴乃花からチャンコ鍋のお誘いがあり、2Fに上がりました。ちゃんこ鍋は若い力士がサーブしてくれます。まわし一枚の若い力士が汗をかき、髪を乱しながらも気を使ってくれる様は得もいえないタニマチ気分です。ちゃんこは、豚の出汁をベースに鰹や昆布出汁をまじえたとてもあっさりした味です。これに肉や野菜をたっぷりと入れて食べます。このほかにもキムチやサラダや鳥のから揚げや漬物などの大皿が並んでいますが、まあ、殆ど食べ切れません。
■“高貴”な会談!
我々がちゃんこを食べている間、お風呂上りの貴乃花は近くに座って、床山さんに丁寧に髪を梳いてもらっています。貴乃花が若い床山さんの方に話しかけました。
貴:お子さんは何歳?
床:5歳です。
貴:そうか。もう年長だ。可愛い頃だね。高井先生、この床山さんは先代からお世話になっています。この部屋には通勤して もらってるんですよ。本当にお世話になっています。
そこに、若い衆がフルーツスジュースとバナナを持ってきました。
貴:バナナは身体にいいんです。このジュースの賞味期限はいつ?賞味期限切れはダメだよ!
若:はい大丈夫です。来年3月末です。
やがて、高井先生と横綱貴乃花の「高貴な会話」が始まりました。
貴:高井先生!HP拝見しましたよ。何かあったら、先生宜しくお願いしますよ。
高:ははは。今日、来るときに清掃車が燃えていて手間取ってしまった。遅くなってしまって。
貴:先生、電話いただいたら、若い衆が清掃車を片付けに参りましたのに。ハハ!
高:今日で稽古は仕舞いなの?
貴:はい。今日が土俵収めで、明日が綱打ち、元旦は新年会と挨拶周りで、2日から稽古です。
高:稽古は誰でも見られるの?常連さんはいるの?
貴:記者の常連はいますが、後は自分の友人くらい。基本的に関係者以外は禁止なんです。
小生飛び入り質問:横綱が新弟子の頃、東北かどこかの巡業先で、稽古の後に農業用水路に頭から飛び込んだのをNHKで見ました。長い髪が流れになびいてとても綺麗でした!
貴:覚えていますよ。田舎の用水路はとても綺麗ですからね。
高:マスコミの取材は多いでしょう?
貴:今、一切断っています。協会から依頼のあったNHKだけは受けましたが。
高:髪の毛を梳くと身体にいいみたいだね。
貴:お相撲さんは髪の毛は商売道具のようなものですから、毎日整えています。自分は髪の毛は固い方で、新弟子の頃は髪を梳かれると痛くて寝られないくらいでした。場所中もどんどん伸びて、大銀杏も毎日切って揃えていました。でも髪は、昔より少なくなったかな。先生、髪の毛が固い人は助平だそうです。冗談ですよ。ハハ。
高:怪我が大変だね。年6場所はきついんじゃないの?年4場所がいいんじゃない。
貴:そですね。若い人にとって年6場所は大変でしょうね。ところで、先生の法律事務所は上海に事務所があるんですね。
高:そうだよ。一度ご夫婦で遊びにおいでよ。大相撲上海場所なんてないのかな。
貴:上海は行ってみたいですね。今年は韓国場所が予定されています。
高:海外ではどこが好きなの?
貴:怪我の治療に行ったパリは大好きです。何度でも行きたいです。
高:一緒に写真を撮れますか?
貴:もちろんです。もう少しで髪が整いますから。少しお待ちください。
かくして、高貴な会話を終え、記念写真を撮ったのでありました。
圧倒的に勝つことを義務付けられた横綱貴乃花は、ぶっきらぼうで不器用な人物ではないかと思っている方もあるでしょうが、さにあらず。気配りの細やかな、優しく、かつ責任感の強い好青年でありました。高井先生によれば、貴乃花の最も嫌いなのは「知ったかぶりをして、偉そうにする人間」だそうです。そのような人間は、国会にも、マスコミにも、実業界にも、横綱審議会にもたくさんいそうじゃないですか。横綱って本当につらいよ。先の横綱審議会の稽古総見の折に、稽古に参加しないで黙々と四股を踏む貴乃花を見て、境川元理事長が「稽古で負けても恥ずかしいことはないから参加しろ」と言ったそうです。寅さんじゃないけど、「それを言っちゃあおしまいよ!」というものです。大相撲のことを横綱の尊厳のことを一番深く考えているのが、横綱貴乃花です。今回の見学は、それを肌身で感じました。双葉山以来の最も神に近づいた横綱、それが貴乃花です。横綱があと何場所務めるかはわかりませんが、「ごちゃごちゃ言わんで、最期まで静かに静かに見守ることこそが大切なんだ」と、俄かタニマチ気分の小生は思うのでありました。
木枯らしを心に収め稽古仕舞い
(2003年1月13日 吉田)
■貴乃花の断髪式
2003年6月1日に行われた横綱貴乃花の断髪式に髙井先生ご夫妻とともに、参加させていただきました。奥様がお元気な頃であり、種々お気遣いをいただいたことを覚えています。
この時の横綱は30歳。目指すべき最高のキャリアアップを果たしたわけですが、満身創痍の凄まじいキャリア形成でした。髙井先生と共に、貴乃花のセカンドキャリアである親方としての成功を念じたのでありました。