2015年10月31日(土)8:11 渋谷区広尾1にてネリネを撮影
花言葉:「また会う日を楽しみに、忍耐」
築地双六館館長
公益社団法人全国求人情報協会 常務理事
吉田 修
■元横綱武蔵丸の取材手控え
高井先生の横綱対談第二弾は元横綱武蔵丸です。
※武蔵丸 光洋
第67代横綱。現在は年寄・武蔵川。得意手は、突き、押し、右四つ(かつては左四つ)。幕内成績:706勝267敗115休、幕内在位:73場所、優勝:12回、座右の銘:我慢して、努力すれば、人間絶対に成功できる。 ハワイ出身。高校時代はアメフトのディフェンスラインとして活躍し、プロ選手とし嘱望されていた。14年間で通算連続勝ち越し55場所(歴代1位)、外国出身力士最多の幕内706勝(引退当時、2014年1月場所2日目に白鵬が更新)外国出身力士最多優勝回数12回(引退当時。現在は白鵬が保持)などを記録した。
■一度も負け越しのない空前の力士
2013年12月7日に高井先生のお誘いで、武蔵川親方(元横綱武蔵丸)ご夫妻・部屋の4人の力士・マネージャー・金谷美術館鈴木理事長ご夫妻と食事会を行いました。実は高井先生と角界の親方を訪ねるのは、2002年二子山部屋の横綱貴乃花の稽古見学以来11年ぶりです。ゆえに、シリーズその②なのです。
平成23年2月、第57代横綱三重ノ海の引退に伴い、弟子である武蔵丸が武蔵川の名跡を継承、本年4月に新小岩に部屋を設立されました。武蔵川親方(武蔵丸)は幕内優勝12回、ハワイ出身で、現在は帰化し「武蔵丸光洋」が本名で現在42歳(当時)。人柄は温厚で明るく、とてもユーモアがおありで、日本と奥様を愛し、相撲を愛しておられます。現役時代は、アメフトの技術を応用した安定感のある突き押しを武器に、幕内時代は対戦相手を土俵際まで吹っ飛ばす事もあったほど。 入門前に痛めた怪我を除けば、大きな怪我も無く安定的な成績を残し、時代は貴乃花、若乃花、曙など実力者がひしめく中、14年間で通算連続勝ち越し55場所(歴代1位)などを記録しました。
特筆すべきは、初土俵から横綱昇進まで一度も休場が無く、また入幕から引退まで皆勤して負け越した場所が無いという空前絶後の記録です。あの若貴や曙ですら一回以上は皆勤での負け越しを経験しています。
お弟子さんはみな若く、一番上位の武蔵国(フィアマル ペニタニ君)でもまだ序二段です。女将さんは今はタレント&歌手の小錦のバックフラダンサーを務めていた方です。明るく、とても気遣いのある超美人の奥様です。高井先生が角界関係者のパーティーで女将さんを見て、「この人は面白い!」と直感して、親方ご夫妻との親交が始まったそうです。武蔵川親方は、いつものおとぼけキャラ丸出しで弟子にも優しく、自分の食事を度々弟子に分けておられました。武蔵平(森宗順平君)は、広島の広陵高校出身で甲子園に2度出場した投手です。残念ながら、肩を壊して角界入りしました。甲子園投手で相撲取りになった人はいないのではないでしょうか。頑張ってほしいものです。
■我慢して努力すれば必ず成功できる
高井先生と私が武蔵川親方に質問する形で楽しい会話が進みました。
Q:横綱になるには何が必要ですか?
A:すべてだよ。何か一つ欠けても横綱にはなれない。我慢して人間努力すれば、必ず成功できる。
Q:稽古では弟子に胸を貸しておられるのですか?
A:そう。 毎朝ぶつかり稽古やってるよ。弟子が少ない分、稽古の生産性が高いんだ。
Q:確か入幕以降、一度も負け越しがなかったと思いますが?
A:よく知ってるね。入門してからでも1度しか負け越していないよ。
横綱になった力士で、幕内以降全部勝ち越したのはボクだけよ。何回も優勝するより難しい。
Q:お酒を一番飲んだのはどれくらいですか?
A:ヘネシー16本だよ。現在は控えているけどね。お酒を飲むと筋肉が固くなり、翌朝の稽古に影響が出てしまう。
Q:食事は日に2回ですか?
A:そう。朝食べると稽古で全部吐いてしまう。特に、夏の名古屋場所の稽古は大変だ。朝食べていなくても吐いてしまう。
でもボクは一度も吐いたことがないよ。これも自慢。
Q:最近、ハワイ出身力士が少ないようですが?
A:外国人力士は各部屋に一人だけと制度が変わった。この影響が大きい。後は給料の価値の違い。
モンゴルでは1万円あれば、1年暮らしていける。入幕できなくても帰国すればリッチになれる。
ハワイではそうはいかない。
Q:以前アームレスリングの世界チャンピオンに勝ちましたよね?
A:そうそう。はじめてやったので、最初はこつがわからなかった。 2回やって1回勝った。
チャンピオンはそれまで無敗だったので驚いていたよ。一緒に世界を回らないかと言われたけど断った。
Q:吉田さん、後援会入ってよ。
A:わっ、わかりました・・・!
(がぶり寄りで親方の勝ち。後援会に入ることになりました。)
“まことに小さな部屋が開化期を迎えようとしています”(どっかで聞いたような・・・)
皆様、是非武蔵川部屋の応援をよろしくお願いします。詳しくはWEBで。
シリーズ③は11年後の2024年です。私の郷土島根県の力士である隠岐の海が親方になった頃に、まだまだ元気溌剌であろう高井先生とご一緒に訪問したいと思います。
湯気が立ち汗が冷たい寒稽古(修)
(2014年1月13日 吉田)
■北の湖理事長のご冥福を祈ります
この原稿を書いている時に、北の湖理事長の訃報が飛び込んできました。
北の湖は私の1つ歳上であり、同時代を歩んできたことになります。横綱在位当時、子供が嫌いな物として「江川・ピーマン・北の湖」と言われるくらいに強い横綱でした。昭和56年の夏場所の千秋楽で大関の千代の富士が北の湖を破って14勝1敗で2度目の優勝を果たして横綱を掴んだシーンは今もよく覚えています。北の湖は、それ以降も2回優勝し、昭和60年両国国技館のお披露目のあった初場所で引退しました。
北の湖は、引退間際に「観客から、“頑張れ!”と言われて情けなかった」と述懐しいるほど、強かった横綱でした。北の湖理事長のご冥福をお祈りします
■力士の健康管理の問題
1980年から2002年までに亡くなった幕内経験力士100人の死亡時の平均年齢は63.6歳だったそうです。この値は2002年の日本人男子の平均寿命の78.07才より15才近く短命と言うことになります。力士の平均体重を下げるなどの施策で、内臓疾患と足腰や間接の怪我を抑制することが必要なのはないでしょうか。大相撲に多くの若者が入門し、両親も安心して子供を預けることができるようにするには、協会の現役及び退職力士の組織的継続的な健康マネジメントが求められます。これは力士のリクルーティング上の本質的な課題です。北の湖理事長が主張していた「土俵の充実」は「身体の充実」からにほかなりません。プロ野球やプロゴルフにはシニアの大会があります。大相撲も是非にと思うのですが、課題は多いようです。
(武蔵川親方と奥様)
(武蔵川部屋の皆さんと集合写真)