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右上から時計回りに
2015年10月3日(土)9:44 千代田区一番町にてムラサキシキブを撮影 花言葉:「上品、聡明」
2015年10月7日(水)10:25 横浜市日吉7にてマリーゴールドを撮影 花言葉:「嫉妬、悲しみ」
2015年9月28日(月)7:59 中目黒公園にて百日草を撮影 花言葉:「絆、幸福」

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

日本企業が海外で成功するには
優秀な人材を尊重し現地での良心経営をおこなう
(『月刊公論』2012年1月号より転載) 

 

私が初めて中国・上海に事務所を構えたのは、1999年5月です。当時はアジア通貨危機の真っただ中でしたが、勇気をもって国外への一歩を踏み出しました。人も組織も企業も、同質性や集団主義を旨としていては、進歩はありません。異質なものと出会い、悩み、克服して絆を強める努力をすることが、自らを高めることになるのです。

 

「日本流の押しつけは厳禁」

「なぜ私が(1999年5月に)中国に進出したのかというと、この国際化時代に国内の業績のみをこなしているのでは、近い将来、一人前の事務所ではなくなると感じたからだ。もちろん、このようなことを目指したところで、自分の時代にすぐ大きな実りがあるとは思わない。しかし次代には、目線の高さを世界に合わせなければ、間違いなくドメスティックな法律事務所になってしまうだろう、という思いに駆られたのだった。」(拙著『中国で成功する人事労務の戦略戦術』講談社2002年10月刊より)

これは、私がいまから9年以上前に出した本の「はじめに」からの抜粋です。当時の思いは、いまではより一層強まっています。

企業が海外進出する際に、第一に心すべき基本は、日本での姿勢や行動パターンをそのまま海外の企業に投影してはならないということです。日本ナイズされた企業運営は、現地の人々に受け容れられないことが非常に多く、軋轢を生みます。

私が中国・上海に事務所を開設した1999年の当時ですら、中国には、トマトを食べるときに砂糖をかける風習があり、時代遅れと感じた日本人も多かったと思います。また、ビールは常温で飲むのが通常で、冷やすことは、まずありませんでした。

かつて、日本人が、「冷たいビール、冷たいビール」といって中国で大騒ぎした時代がありましたが、それはまだ中国の文化度が低く、冷たいビールになじんでいない時代のことです。当時の駐在日本人は、ビールは冷えているのが当然だと横柄に振る舞ったということも仄聞します。

これらは中国の実例ですが、ことほどさように、現地の風習と日本人の行動パターンとは大きく異なっていたのですから、日本の企業のシステムをただちに現地に適用することは正しいことではありません。

第二に留意すべき重要なことは、何にせよ、邪心をもって現地企業に強制する姿勢は許されないということです。日本側の都合だけで、現地の従業員をいいように手なずける姿勢をもってはならないのです。

私は、日本から大連に進出したりんごの菓子の製菓会社を2000年に訪問しましたが、中国人従業員による親しみを込めた出迎えの光景を見て、不覚にも涙ぐんでしまいました。

同社の大連工場の日本人リーダーは、まさに善意のかたまりの人で、中国人従業員と心の交流を実現していました。彼が、日本から来た客人を迎えるときには、中国語の歌ではなく、日本語の歌で迎えたほうが心がやすまると中国人従業員に説いたときにも、日本ナイズが目的ではなく、客人を心底思っての言葉であることが十分に伝わったからこそ、中国人従業員は日本語の唱歌を熱心に練習して、私たちに披露してくれたのです。20~30人の女性従業員が一生懸命に唄ってくれた「うさぎ追いし、かの山。小鮒釣りし、かの川…」(ふるさと)の響きは、私にほんとうに快く響きました。

日本人同士でも、善意に基づく行為か、悪意による行為か、あるいは邪心にみちた行為かによって、受け取る側の印象は当然異なりますが、これは中国人にとっても同様です。要するに、現地の人々には良心をもって接することが肝要であって、日本式システムを当然のごとく導入するスタイルは、現地では成り立たないのです。

こうした彼我の民族性の違いを意識して日本の企業は海外進出しなければならず、違いを無視しては、労働生産性をあげることも、活力を得ることも不可能といってよいでしょう。人事制度において特に留意すべきは、日本人は集団主義で、中国はじめアジア諸国は個人主義であるという違いです。個人主義の国では、成果主義が当然ですから、日本流の年功序列の人事制度はまったく受け容れられません。

 

「『元』で生きる時代」

さて、日本企業は、このような現地化への努力があってはじめて発展するのですが、その根本は、中国人と同じ生活をするという次元のものでなければならないと思います。私は上海で高級ホテルを利用することをよしとせず、いわゆる二流ホテルを定宿としていました。台湾人の経営する青松城大酒店というホテルでしたが、それなりに行き届いたサービスを受けました。もちろん日本人専用のホテルはありましたが、私はあえてそこには泊まりませんでした。

ところが、日本から派遣されてくる管理職は五つ星ホテルにしか泊まらないことを豪語したような時代もありました。それは、中国人に対する妙な優越意識でしたが、今では日本はそうした状況ではなくなってしまったことは、ご承知のとおりです。

いまは「円」で生きる時代ではなく、「元」で生きる時代です。これは、日本人であるがゆえに高い賃金をもらうという固定観念が通用しないことを意味します。具体的には、中国に派遣される日本人は、中国人の幹部と同レベルの賃金でなければなりません。さらには、役職格差も解消しなければなりません。

人格・識見・手腕・力量等々において優秀な人材は、国籍を問わず当然に幹部に登用されるという姿勢がなければ、優秀な現地の人材は集まらないのです。

中国で日本企業よりも欧米企業のほうが格段に人気が高いのも、欧米企業は積極的に現地化を進めており、現地の人材の幹部登用が当然であることが最大の魅力であるといってよいでしょう。日本人というだけで高い賃金をもらうような悪弊を打破する努力が、今後なお一層必要になってくるのです。

シンガポールも注目すべき国です。グローバルな視点で企業活動に利点があることから、日本企業がここに拠点を移しつつあります。私の顧問会社でも実際にそうした動きがあります。私は、1997年に、シンガポールのマウントエリザベス病院という、当時、東南アジア最大といわれた病院を訪問しました。この病院では、受診者に希望医師を募って医師の人気投票・ランク付けを行い、医師を定期的に入れ替えているとのことでした。

つまり、下位の医師を雇い止めし、新しい医師を採用するのです。日本の集団主義的な人事制度では考えられないことです。

 

「多くの日本ファンを作ろう」

仕事をとおして知り合った現地の人々の人間性を十分に尊重し、自分は現地の人と友達になるのだという思いをもって、現地で事業を展開することが必要です。

2011年10月末、私は10回目の台湾訪問を果たしました。台湾の産業育成と近代化に大いに貢献した日本人としては、後藤新平と新渡戸稲造が有名ですが、台中で、私はもうひとりの功労者を思い起こすことになりました。私たち一行を案内してくれた高雄市のバスの運転手さんが、現地のダム建設に尽力した日本人・八田與一の墓前に、立派な花束を供えてから、ハンドルを握ったのです。私は彼の姿を見て、心揺さぶられる思いがしました。現地の人の敬愛を集めている日本人がいることの晴れがましさと、そこまで現地にとけ込んだ八田與一の志の高さ・良心の見事さに胸打たれたのです。企業の海外進出も、基本は同じではないでしょうか。

 

「現地での実体験をいかすセミナー開催へ」

私は、2012年に「アジアの情勢を見る」(仮)というセミナーを立ち上げて、経営者の皆様の意識改革をはかることを企画します。

私は、実際に現地に足を運んで、これまでさまざまな見聞を拡げてきました。ベトナムには10回、フィリピンには5回、ミャンマーには4回、インドには2回等々、経済視察団等を組んで、行ったことになります。アジアの情勢を知らなければ、これからの企業経営はできません。このセミナーでは、各国の実情に詳しい論客を外部から招聘することを考えております。ご期待ください。

 

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