2015年10月11日(日)12:38 東名高速初狩P.Aにてミヤマムラサキを撮影
花言葉:「尊い思い出」
7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。
私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。
これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。
ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。
地域の特色を発揮、グローバル化を目指す
密着型より地域振興型企業へ
(『月刊公論』2012年3月号より転載)
本連載は当初の予定どおり次回4月号が最終回です。連載の間に一層あきらかになったのは、日本の企業もヒトも、国外に果敢に出て勝負をしなければ生き残れないということです。そしてこれは、地域のあり方にとっても同じことなのです。
「地域密着型」は時代遅れ
各地の企業や組織が、何かにつけ「地域密着型」をスローガンにし始めたのは、いつの頃からでしょうか。私は10数年前から、講演でも執筆でも、「地域はどこも衰退していくのだから、それに密着していたら企業も一緒につぶれてしまう。これからは、『地域振興型』を標榜し、自らが地域を活性化させ、鼓舞することを目標にしなければならない」と繰り返し説いてきました。
地域密着型の発想は、完全に時代遅れです。日本全体が貧困化し、さらには少子高齢化により人口が減少し続けるなかにあって、地方にはこれら「貧困」「人口減少」問題がより強く影響し、いよいよ斜陽化し衰弱しています。企業が、地域で雇用を創出し、地域を発展させ、その結果、自立・自律した地域となることを目指すのであれば、地域とともに歩む地域密着型ではなく、日本全体および世界の市場を念頭において地域を牽引していく「地域振興型」であるべきです。
地域振興の実例
私が実際に高知市などの地元の方にお会いして話を聞いた地域振興型の成功例は、高知県馬路(うまじ)村のユズ産業です。馬路村は人口1000人ほどの小さな山村ですが、村の特産品であるユズをもとにして、営業努力と商品開発の苦労を重ねて、ユズの村として県内外に認知させることに成功しました。特産品というと、1980年、当時の平松守彦大分県知事(2003年没)が県全体に号令をかけて大成功をおさめた「一村一品運動」が有名ですが、馬路村は、村がこれを自律的に展開した例といえるでしょう。
馬路村は以前からユズの産地として有名でした。ある年、大豊作によるユズの価格下落・値崩れに困り果てた村の当局者が、需要拡大の方途を模索して商品開発に取り組んだことが、現在のビジネスの発端でした。そして、雌伏10数年間を経て、ユズの飲料水などの商品が売れるようになり、ユズの村として全国に知られるようになりました。いまでは、全国に販路を拡大し、ユズ関係の商品の売上は年間30億円、観光客は年間6万人にもなります。馬路村の成功は、地元の農協トップが強いリーダーシップを発揮したことが大きな要因であったといえます。このリーダーのもと村のブランド化をはかり、都会に売り込むことでお客の囲い込みに成功したのです。そして、馬路村は経済的にも独立が可能となり、近隣の市町村からの合併話に見向きもせず、独立独歩で運営しています。
地域振興の難しさと具体策
残念なことに、日本では、このような特産品による地域振興で成功した地域は極めて少ないといえます。むしろ、地域復興以前の問題として、経済の沈滞と人口減少が進み、町村や都市としての機能を失い、打つ手がないところがたくさんあります。都市のシャッター通りもその例です。ただ、米沢市在住の方から聞いた話の例によれば、伝統工芸・米沢織の工場が電機部品の工場に変わったりしているものの、それにより雇用の場が守られているという実情もあるようです。現実は厳しいですが、地域振興の志を掲げて奮闘する企業こそが地域のリーダーとしてふさわしい存在であり、成果をあげていくと信じています。
地域振興を具体的に推進する方策は何でしょうか。
第一に、馬路村のように、特産品・名物商品を開発し、徐々にであっても、拡大していくことが必要です。馬路村の特産品の発展の歴史を調べると、ユズ事業が花開くまでには多くの苦労がありましたが、日頃から問題意識をもって商品開発を地道におこなっていたからこそ、最終的には成果を得られたのです。
商品開発の根本は、消費者に喜ばれるものを目指すことです。そのうえで、地域の特産品の素材自体の魅力を活かした商品化を推進し続けることが重要です。インターネットの時代ですから、商品に魅力があり、発信力さえあれば、販路は日本全国、さらには世界へと広がります。そして、お土産や贈答品として多く用いられるようになれば(たとえば、米沢市であれば米沢牛など)、特産品は自然と広まってゆくのです。
観光への取り組み
地域振興の第二のポイントは、観光への取り組みです。
「観光」の語源は『易経』にある「国の光を観る。用て(もって)王の賓たるに利し(よろし)」との一節によるといいます。(須田寛著『産業観光読本』〔交通新聞社刊〕等を参照)。
観光スポットがあれば、それをいかに上手にマスメディアに売り込むかが重要です。いまは、テレビ番組やインターネットで紹介されることが集客の契機になりますから、取り上げられるだけの素材を発掘し、育むことが必要になります。
さらには、歴史上の人物や事象との関連で、観光客が紐解きたくなるような資料を提供できなければなりません。江戸時代でいえば、たとえば、米沢藩主であった上杉鷹山公は人気のある歴史上の人物のひとりですが、その理由は、鷹山公は、「なせばなる、なさねばならぬ何事も、ならぬは人のなさぬなりけり」という名言や、藩の財政再建と産業育成を成し遂げたことや、米国のケネディ元大統領やビル・クリントン元大統領に「もっとも尊敬する日本人政治家」と言われたことなど、魅力的で豊かな人間性を偲ばせるエピソードに彩られているからなのです。
産業集積について
地域振興型の第三のポイントは、産業集積でしょう。米国のシリコンバレーは、IT分野の産業集積地として世界的に著名ですが、日本各地でも、当該地域のささやかな事業が時代の変化に乗り遅れないように、次々と新しい産業を開発していくのです。それには行政(国・自治体)の力・地域の大学と研究者の力・企業の研究開発陣の奮闘が三位一体のごとく協同して機能することが何より重要になります。
ただ、いまの日本で産業集積の顕著な成功例を、私は寡聞にして知りません。製造業では、東京都大田区の金属加工等の町工場群が有名でしたが、グローバル競争の直撃を受けて沈滞したという報道に接しました。また、東京の渋谷にIT関連企業が集まった時期には、シリコンバレーをもじってビットバレーなどと言われた時期もありましたが、いまではどうでしょうか。私は業務でも原稿執筆でも現場に行くことを重視しますので、これまで日本全国を訪れてきましたが、いまの日本で産業集積に成功して活気がある地域をみたことがありません。
この点、経済産業省は、産業集積と同じような意味の「産業クラスター計画」(地域の中堅中小企業、大学、研究機関等によるネットワーク形成の取り組みに対する支援)なるものを、税金をつぎ込んで2001年度から09年度にかけて推進したといいますが、私は知りませんでした。日本の産業界の現状をみれば、この政策は、まったく成果を上げなかったということになるでしょう。
国際化について
さらに、地域振興を図るには国際化の視点も不可欠です。日本は人口減少の局面に入っていますから、市場は縮小の一途をたどるばかりです。
地域の特産品なり特徴を世界に積極的にアピールして、グローカル化を目指す必要があります。(グローカル〔Glocal〕とは、グローバル〔Global〕とローカル〔Local〕を掛け合わせた造語で、「地球規模の視野で考え地域視点で行動する」という考え方をいいます。)そのためのひとつの方途として、姉妹都市作りが効果的です。自分たちと同じような規模で指向性も似ている海外の地域と提携して、交流を深めるのです。たとえば、日本の温泉地であれば、海外で有名な温泉地と姉妹都市になることによって、自らの地域のグローカル化を推進することが可能になるでしょう。
国際化には、海外から多くの観光客を自分たちの地域に呼ぶことも大切な視点です。些か大げさに言えば、外国人観光客のほうが日本人より多くなることを期することです。もちろん、これは一朝一夕に実現できることではありませんが、努力し続けることが肝要なのです。