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2016年2月13日(土)15:48 永田町2-9にてシネラリアを撮影
花言葉:「いつも快活、喜び」 

 

 

第4回 格差問題
(『労働新聞』平成27年5月4日より転載) 

 

「経済学者は20年たたなければ何もわかりません」「今日の経済学者は、1300年ごろの神学者に似ています。教条的すぎます」「今日、有効な経済理論は存在しません」等と断じたのは、かのドラッカーである(『実践する経営者』より)。

 

こうした言葉は、経営の専門家から見た一面の真理といえるだろう。しかし、もしドラッカーが昨今の世界的ブームであるトマ・ピケティ著『21世紀の資本』を読んだら、どう評価したであろうか。文学作品のなかに社会情勢を読み込み、200年余のデータを丹念に調べ上げた手法は、教条的とされなかったのではないか。奇しくもピケティは、米国の経済学者について「数学への偏執狂ぶりは、科学っぽく見せるにはお手軽な方法だが、それをいいことに、私たちの住む世界が投げかけるはるかに複雑な問題には答えずにすませているのだ」等と同書で述べている。

 

同書への批判的立場もあると聞くが、資本主義社会では格差が生じるのは当然であり、資本主義が発達すればするほど仕事の合理化が進み、同じ収入を得るための仕事量が増えるという経験則を、長期的に資本収益率(r)が経済成長率(g)を常に上回り(r>g)、格差を生み出すと分析・実証した彼の業績に、素直に敬意を表したい。

 

フランス革命は自由・平等・博愛を掲げた。しかし、自由と平等は相反する概念であり、両者を結び付ける役割を博愛が担っているといってよいだろう。フランス人であるピケティは、自由競争により生じる格差を博愛の理念で克服し平等を実現することに腐心して、同書を著したのではないか。

 

私が格差問題を論じ始めたのは2007年であった(本誌掲載「四時評論」07年秋号)。当時はいわゆるワーキングプアが社会問題となり、製造業の派遣労働が解禁され始めた頃である。この論稿で自由主義・資本主義・自由競争の下では格差は決してなくならず、今後も拡大し続けるという趣旨のことを書いたが、今でもこの考えは変わらない。行き過ぎた不平等や貧困が固定化しないためのセーフティネットとして有効な社会・経済政策の実行が重要であり、貧しくとも将来への希望が持てる制度の策定が必要なのである。

 

格差問題は、最低賃金法等が射程とする所得格差にとどまらず、教育格差、医療格差、情報格差等々、多岐にわたる。日本の将来を思えば、特に子どもの貧困、教育格差への対応が急務である。いわゆる子ども(17歳以下)の貧困率(所得が国民の平均値の半分に満たない人の割合。子どもの場合はその子が属する世帯を基に算出)は、13年に過去最悪の16.3%であった(厚労省)。企業間のみならず人材間のグローバル競争も始まっている現状では、個々が身に付けるべき教育レベルは大学院程度へと移行している。となると、貧困状態にある子どもは、将来への希望を全く見出せなくなってしまう。

 

人事・労務の視点では、正社員と非正規労働者の所得格差の見直しが重要である。1年を通じて勤務した民間の給与所得者の平均給与は正規473万円、非正規168万円(13年・国税庁)で、3倍近い差がある。本年2月時点では非正規が減少し正社員への転換が進む動きがあるが(労働力調査)、今後は分からない。身分の違いではなく、仕事の成長に応じて処遇する制度を構築しなければならない。要は、博愛をいかに実定法化するかということなのである。

 

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