2016年4月22日のアーカイブ

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2016年4月9日(土)14:19 長野県旧開智学校にて桜を撮影


 


第2回 格差問題の根本原因(下)
(2007年9月24日転載)


 

 

矛盾・軋轢を乗越えて

前号で指摘したとおり、自由主義社会はもち論およそどのような社会であっても、程度の差こそあれ「格差」は必ず存在する。そして、企業内における格差は、人の集団=組織につきものである矛盾・軋轢・相克・葛藤等を生み出す大きな要因となる。企業経営にとっては、これら“きしみ”を乗り越えて、いかに従業員全体に一体感を醸成し、企業理念・事業目的の実現に邁進する態勢を築くかが、人事労務上はもち論経営の最大のテーマであると言ってよい。それゆえ、企業は内なる「格差問題」に十分に意を用い、企業活力を削ぐような分裂を回避するシステムを構築しなければならないのである。

 

そこで、個々の「格差」の存在を前提とした上で、企業が活力を持ち続ける方策を探っていきたい。

 

企業組織の一体化を図るには、①「競争的解決」と②「協調的解決」という2つの対照的な選択肢がある。従来の日本企業の人事労務は、協調的解決を旨としてきた。その行き過ぎた現象が、年功序列主義やいわゆる護送船団方式である。これらは「協調」を重視する余り、競争を阻むこと自体をも目的化してしまい、組織に“ぬるま湯”状態を作り、日本社会の衰退の根本原因ともなった。その反動として、90年代半ば頃から、成果主義に代表される「競争的解決」が企業に導入されるようになった。成果主義は、個としての従業員らに仕事の成果を競わせ、積極的に格差をつけることで組織を活性化し、一体化を進めようとした。

 

しかし、企業活動には、従業員らが統一的意思のもとに団結して勝ち抜くことが必須であって、これは競争的解決である成果主義と必ずしも両立しない。組織が窮地に陥ったときに、「打って一丸となりこの難局を乗り切ろう!」と呼びかける経営者の言葉にこそ、企業の本質がある。つまり、「様ざまな対立の中で、肯定点を見出して前進し続けることが、新しい舞台に到達するための原点である」としたヘーゲルの言葉のように、競争的解決をとっても、結局は協調的解決を図らなければならないのだ。協調的解決を旨とした人事労務が破綻した今日、これからは競争的解決をも期さなければならないことは時代の必然であるとしても、双方の両立を目指す仕組みを実現しなければならない点に、特別の難しさがある。

 

その見直しのヒントは、日本の社会でかねて意識され発展してきた「どう道」の精神にあるように思う。武士道、柔道、剣道、華道、茶道等々に倣い、物事の在り方の本道を追究する姿勢を、企業における全ての分野に確立していくのである。この「どう道」という発想は、同質的かつ協調的な「和」を尊ぶ社会・組織に身を置きながらも、人間の成長の根源である「向上心」を存分に発揮させるための装置であると言える。そこには、同調性の中で道を究めるために技と精神性を磨き、他社とも競い切磋琢磨する姿がある。「どう道」とは、言わば「協調」と「競争」とが高次元で結ばれ一体となった世界である。そしてこの考え方は、競争的解決を旨とする現代社会でも十分通用するのである。企業においては、確固たる企業理念こそが、競争と協調を両立させる触媒となるであろう。

 

教育行政の無策が響く

さらに、いかなる職種・企業であれ、従業員各人に仕事に対する「誇り」と「志」を確立させなければならない。かつての日本人は、どのような職種に従事しようとも、自分の役割を立派に果たすことで企業や社会が成り立っているという誇りを持ち、自己実現していた。最澄の「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」という思想が、無意識のうちに人々の行動規範に取り込まれていたのである。ところが今は、「誇り」や「志」は失われ、仕事を遂行する態度にも「その場しのぎ」「事なかれ」「成り行き任せ」の姿勢が蔓延している。

 

フリーターやニートと呼ばれる層が増えたのは、仕事に対する誇りを教えずに放置したわが国の教育行政の無策の結果であるといってよい。幼少期から、「一隅を照らす」の思想を実践し、仕事に対する誇りを持たせることこそが教育の原点であり、そうした教育カリキュラムを実施することが、絶対的に必要なのである。

 

また、マニュアル経営やシステム経営に偏った日本の企業研修の方法では、矛盾発券能力はもち論、問題発見能力・問題解決能力・実行力がない人物ばかりが生まれる。これは、「どう道」のレベルとは程遠い。それぞれの従業員に誇りと志を育成するとともに、それぞれの独自性と総体としての企業文化を育成していかなければ格差問題は到底解決できないであろう。

 

個々の能力に応じて格差が生じるのは当然であることは、「公平・公正な評価」の重要性が一層高まることを意味する。「公平」とは企業内の秩序として適切であるということであり、「公正」とは社会的秩序において合理性を失わないということである。もし評価が正しく行われないのであれば、格差に対する怨嗟の念が生じて、従業員らはやる気・意欲を失うであろう。これまでの日本は、年齢や勤続年数という安易な基準を用いて納得感を得ようとしてきた。しかし、グローバル化が進み、知的労働の比重が高まるにつれて、年功序列的な基準は日本の発展を妨げる問題として認識されてきている。

 

では、評価の在り方を再分析し、公平かつ公正な評価システムを構築するためにはどうすればよいのか。それには、①まず評価は主観であると割り切り、客観的な評価など有り得ないということを明確に意識する。②そのうえで、その主観が恣意に亘らない公平・公正なものであるための方途を考える。主観から恣意性を排除し、判断の公平さ・公正さを担保するためには、司法制度が大いに参考になるだろう。ⅰ「法治主義」に倣い、「就業規則」等の規定類の内容を整備し、遵守する、ⅱ裁判の「合議制」に倣い、複数の人間が評価を行う制度にする、ⅲ裁判の「三審制」に倣い、不服申し立ての制度を作る、ⅳ裁判の「公開原則」に倣い、評価の透明性を確保する。

 

こうした工夫によって公平・公正な評価が得られれば、格差があってもそれを納得して受け容れ、働き甲斐・生き甲斐を感じながら、より生き生きと働くことができるのである。また、評価を通じて仕事に対する誇りや自分の技能・技術に対する独自性や優位性を確立していくことは、個人の努力のみに依拠してはならない。企業内でも、キャリア教育を熱心に実践して、職業人としての誇りや、これを支える独自の企業文化を形成するために、仕事の上(on the job)で教え込む必要がある。企業経営に携わる者は、「教育」と「評価」に時間を割き、費用と手間を惜しまないことが従来以上に重大なテーマであるという意識を持つ必要がある。

 

競争的解決か協調的解決かということに始まり、職業に対する誇りと技能と技術を究める「どう道」の視点や、評価の問題、キャリア教育の重要性について述べてきたが、これらの精神を貫徹することを通じて、格差問題を克服できる方途が初めて緒につくことになるだろう。

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