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2016年4月3日(日)18:43 港区赤坂1桜坂にて撮影
花言葉:「純潔、優れた美人」

 

 

 

第8回 専門的職業人
(2015年8月24日より転載) 


このところの憲法9条と安保法制をめぐる議論に接し、自分が初めて憲法を学んだ学生時代に思いをはせた。私は1956年に東京大学に入学し、法学部の学生として宮沢俊義先生の講義を受けた。その後は試験勉強以外に深く学んだことがないから、憲法について解説する能力はない。どの分野でも、専門的に研鑽を重ね思索を深めた人の見解に敬意を表するべきであり、素人が我見を通すのは極めて危険なことである。

 

今年7月発行の東大法学部「NEWS LETTER」№16の巻頭言では、東京大空襲直後の1945年4月1日、当時の学部長南原繁先生が新入生に与えた訓示が紹介されており、胸を打つ。そこには、厳しい状況に置かれても信念を貫く専門職の矜持がみえる。すなわち、「政治・法律にはそれぞれ固有の科学的真理が横たわるのである。それを無視し、あるいは軽視して事を行うときに、いつかは真理自身によって報復される日が来るであろう。…政治・法律のそれぞれの専門の科学的真理の探究に冷静に従事せんことを、まず勧告するものである」。

 

professionalという語は、宗教に入信する際の宣誓を意味するprofessに由来するという。中世ヨーロッパに存在した唯一のprofessional=専門職は聖職者であり、彼らは学者、法律家、医者でもあった。当時のprofessionalの仕事の根底には、次の3つの基準があったという。①正式な技術的訓練とその訓練を裏付ける認定制度があり、訓練を通じて特有の文化を継承している、②専門的技能を身に付けている、③専門的仕事が社会的に責任のある用いられ方をし、かつ専門職に就く者が倫理的に仕事をすることを保証する団体機関がある(参考=ジョアン・キウーラ著『仕事の裏切り~なぜ、私たちは働くのか~』翔泳社)。

 

「餅は餅屋」の言葉どおり、物事にはそれぞれ専門家があり、素人はその技量にはかなわない。まして知の時代ともいえる現代は、科学技術が飛躍的に高度化し、ITは利便性の向上と同時に複雑化し、経済・文化・技術等のグローバル化が急展開している。国や民間企業での施策の立案・実行の場面でも科学的知見と根拠が必要となり、求められる専門的知識の量も質も格段に高まった。ここにこそ、現代における専門職の重要性を謙虚に再認識すべき所以がある。

 

専門的職業人としての責任を果たすには、訓練を重ねて高度な技量を身に付け、常に新しい知識や情報を習得し、顧客を満足させる結果を出さなければならない。賞味期限切れの能力では好結果を出せるはずもなく、常に勉強をし続けなければならない宿命を背負っている。かのマックス・ヴェーバーは、「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である」(『職業としての政治』岩波文庫)と述べ、専門職が知識や技能の以前に備えるべき人間性の問題を指摘した。

 

専門職の端くれとして私が心掛けてきたのは、知識と技能の研鑽はもとより、鳥の眼=俯瞰、虫の眼=細部の探究、魚の眼=全体の流れの把握、を適宜発揮することである。そして、心眼(しんがん)こそが求められると肝に銘じてきた。心の眼を大きく見開き、「夢・愛・誠」「真・善・美」「道義・道理・道徳」「良心・私心・邪心」の基準のもと自律的に任務を果たしてこそ、信頼される真の専門職なのである。

 

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