2016年5月13日のアーカイブ

2016.5.10コラージュ04.jpg

2016年5月3日(火)8時過ぎに中目黒公園にて撮影 上から時計回りに
椿 花言葉:「完全なる美しさ、至上の愛らしさ」
薔薇 花言葉:「嫉妬、友情」
ネモフィラ 花言葉:「どこでも成功」 アルメリア 花言葉:「思いやり」




第3回 注目すべきキャリア権(上)
(2008年1月21日転載) 

 


「知識労働者にとって仕事は生き甲斐である」(P・F・ドラッカー著『ネクスト・ソサエティ』)―この至言ほど、企業とそこで働く人びとに仕事の意味を示し、共感を得る言葉はないであろう。そして、このテーマを法的に説き起こしているとも言えるのが、「キャリア権」概念なのである。

 

キャリア(career)権は、労使関係論・雇用関係論はもちろん労働法学をも新たに基礎づける概念として、法政大学諏訪康雄先生が10年ほど前から構想されている画期的な権利概念である。現代では職業キャリアこそが働く者にとっての「資産」であるという視点から、キャリア権とは、職業をめぐる人間の自己実現の権利であり、「働く人びとが自分なりに職業生活を準備し、開始、展開することを基礎づける権利」であると定義されている(諏訪康雄「キャリア権の構想をめぐる一試論」日本労働研究雑誌468号<1999年>、「キャリア権は何をどう変えるか」同544号<05年>等参照)。

 

諏訪教授によれば、この権利は、理念としては憲法に根拠を求めることができるという。まずは憲法13条(幸福追求権)が最も根本的な基礎となり、さらには、22条1項(職業選択の自由)、25条(生存権)、26条(教育を受ける権利・学習権)、27条1項(勤労の権利と義務)等が根拠になるという。

 

素晴らしい着想と評価

実定法上も判例上も未だキャリア権という文言は登場しないものの、雇用対策法3条、職業能力開発促進法2条4号、男女雇用機会均等法2条、労働者派遣法25条等々では、キャリア権を念頭に置いた「職業生活」「職業生活設計」等の文言が用いられ、次第に具体的内容あるものとして展開されつつあるという。また、教育基本法3条、学校教育法21条10号等も職業キャリアを十分に意識した規定であるといえよう。

 

人事労務問題専門の弁護士として45年以上の経験を持つ私にとり、コロンブスの卵とでも言おうか、このいたってシンプルかつ明快なキャリア権概念には目から鱗が落ちる思いがした。

 

かつて、私は拙著「人事権の法的展開」(1987年有斐閣出版サービス刊)において、企業と労働者との労働契約関係を法律的に構成するには“組織法的な視点”が不可欠であるという理論を展開して人事権を構想した。これは当時は理解されにくかったかもしれないが、近年次第に認知されつつあると言ってもよいだろう。例えば、菅野和夫先生は「労働法(第7版補正2版)」66頁で、「労働契約による労働は企業という事業遂行の組織体の中で行われるので、使用者による労働者の組織的管理(いわゆる労務管理)が行われる。すなわち、使用者は、事業の効率的遂行のために労働の組織を編成し、そのなかに労働者を位置づけてその役割を定め、さらに労働の能力・意欲・能率を高めて組織を活性化するための諸種の施策を行う。これが、いわゆる人事権の中心的内容である」とし、組織法的視点の意義を説かれている。

 

キャリア権は、こうした構想に匹敵あるいは凌駕する素晴らしい着想であると評価し得る。総人口も労働力人口も既に減少局面に突入しているわが国においては、労働生産性を向上させることが喫緊の重大テーマである。企業における人事労務は、成果主義を前提としたうえで、改めて「集団主義」の意義を認め、連帯してチームワークで仕事をする利点を見直す必要に迫られている。個々の労働者の能力も組織としての業績も、相互に高め合いながら向上するためには、「組織法的理論」と「キャリア権」という2つの概念が共に必要不可欠となる。

 

思えば、私がキャリア権に直感的ともいえる大いなる納得感を抱いた遠因は、少年時代に読んだリンカーン伝にあるかもしれない。彼は大統領に選出されたとき、人事の推薦をしてきた者に向かって「あなたが推す人は卑しい顔をしているから登用できない」と極めて明快に回答したという。リンカーンは「責任ある仕事を為し遂げた経験は、必ずその人の容貌に表れる」と喝破し、“仕事が人を作る”という事実を端的に示した。

 

キャリア権概念は、仕事で得た経験知こそが、単なる財産に留まらず人格的な「資産」・法的保護に値する「資産」として評価されるべきであるとするが、この点こそが企業がキャリア権を意識しなければならない第一の理由であるといってよい。

 

諏訪先生に直接お会いしてキャリア権についてご教授賜り、私はそれまで自分が執筆等で展開してきた考え方への明解な理論付けを与えていただいたと感じ、得心がいった。

 

従属労働からの脱却

パスカルの言葉「人間は考える葦である」が名言として残っているのは、独創的に「新しく考えること」が非常に難しいからでもある。フットワークからヘッドワーク、そしてハートワークへと移行していく現代社会の状況をみるにつけ、単なる考える葦ではなく、それこそキャリア権という抽象的な概念ではあるが、それを認定して、様ざまな形で労働関係の規律を構想すべきであるという指摘は極めて優れたものである。

 

ところが、労働法学者は諏訪先生のこの素晴らしい着想に対し反応が鈍いというのが実情であるという。最近では幾人かの学者はこれに着目するようになったと伝えられるが、労働法学者の本流が、労働関係の根本的な価値であるキャリア権を無視あるいは冷笑し続けることは遺憾である。小生は、諏訪先生ご提唱のキャリア権の定立のために、ささやかなお手伝いをしたい。それは労働者の権利概念という小さな枠を超えて、日本の産業社会の発展に資するものと確信するがゆえである。

 

キャリア権が学会で注目されていないことは、使用者がキャリア権を忌み嫌う所以をともなっている。しかし、労働者の自立性を確立し、従属労働からの解放を目指すという労働法の根本理念の実現のためには、このキャリア権概念を認知していくことこそが、実は全勤労者のあるべき姿を実現する手法であり、そして、全勤労者の自立を促すことこそが、産業社会の生産性を高め、企業が社会的な役割を一層果たすことにつながるのである。キャリア権のこうした機能に着目すれば、使用者がキャリア権を積極的に肯定する努力をしてこそ初めて、日本の産業社会は新しい時代を迎えることができると言えるのである。

 

ご利用案内

内容につきましては、私の雑感等も含まれますので、真実性や正確性を保証するものではない旨ご了解下さい。

→ リンクポリシー・著作権

カレンダー

2016年5月
« 4月   6月 »
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  

最近の投稿

カテゴリー

月別アーカイブ

プロフィール

高井・岡芹法律事務所会長
弁護士 高井伸夫
https://www.law-pro.jp/

Nobuo Takai

バナーを作成