右から時計回りに
2016年5月4日(水)13:03西早稲田1にて鈴蘭を撮影 花言葉:「再び幸せが訪れる」
2016年5月3日(火)8:14中目黒公園にてカーネーションを撮影 花言葉:「無垢で深い愛」
2016年5月3日(火)8:08中目黒公園にて昼咲月見草を撮影 花言葉:「無言の愛、自由な心」
第4回 注目すべきキャリア権(中)
(2008年1月28日転載)
法政大学諏訪康雄教授が提唱されるキャリア権の概念が、前回紹介したように社会的にも法的にも急速に認知されてきている背景には、仕事に対する意識の変化がある。つまり以前は、とにかく就職すること・職業に就くこと自体が資産であると考える傾向が強かったが、現在では、自らが興味や関心をもって本気で取り組むことができる、即ち自己実現できる分野でのキャリア形成を目指し、人材としての価値をより高めようとする意欲が強くなってきている。ソフト化の時代には、組織内雇用そのものへの固執より個々人自身のキャリア展開が志向される傾向が強まるのである。
こうした変化は、企業にも社会全体にも成果主義的な評価が定着し、組織の中にあっても「個」としての能力が問われる時代になったことの反映である。どの世界での成果を上げて競争を勝ち抜くには非常な努力が必要となるが、「志」に支えられたパッションとも言えるような強い気持ちがなければ努力を継続して仕事をやり抜くことはできない。そしてこのパッションは、仕事への興味や関心や使命感等の内面にこそ支えられるものなのである。
人脈一覧表で内実探る
職業の選択にあたって、興味や関心を持てるか否かという基準が重視されるようになったことに伴い、キャリア権が一段とクローズアップされていくことは間違いない。仕事へのモチベーションが短距離走のエンジンであるとすれば、キャリアは長距離走のエンジンなのである。
日本のプロ野球選手のメジャーリーグ(MLB)への進出が顕著である。プロフェッショナルとしてのパッション、モチベーション、自己実現欲求からみても当然であり、日本のプロ野球界が選手のキャリア形成というものを軽視してきた結果とも言える。プロフェッショナル度が高い職業ほど、キャリア権は使用者のコントロールの枠組みをたやすく超えていく。併せて、本人のキャリア形成に関する客観的なアドバイザー機能が一層求められることになる。
例えばMLBの例で言うと、球団と選手との契約交渉には選手の代理人が必ず登場して、選手のキャリアアップをサポートする。松井秀喜や松坂大輔らの代理人は、本人の能力やチームへの貢献可能性を把握しMLB球団と条件交渉しつつ、彼らの語学習得や子ども教育への配慮までするという。これからは、日本のプロ野球のみならず日本の企業においても、MLBでの選手の例のようなキャリアのサポーター・アドバイザーの存在が必要になってくる。
また、キャリア権は企業における全ての労働関係の事象において展開されるべき基本的な論理である。諏訪先生が論文等で判例理論にも言及されながらキャリア権との関連性を解説されているのは「就労請求権」「配置・配置転換・出向・転籍」「年次有給休暇」等であるが、もちろんこれらにとどまらない。労働関係の基本的項目だけに限っても、(1)採用、(2)評価、(3)人事異動、(4)解雇等の局面でも問題となり得る。
(1)採用について
「採用」においては、①採用内定取消、②試用解約、③採用差別禁止等がキャリア権の問題と関連するが、ここでは採用の端緒である応募者からの提出書類に着目してみる。
日本の企業では、新卒採用と中途採用を問わず応募者に履歴書の提出のみ求めるのが通例であったが、近時では中途採用の場合には履歴書のほかに職務経歴書も提出させるのが普通になっている。職業キャリアを意識しての現象であり、職務経歴書の内容が採用・不採用を決するほどの重要な役割を担いつつある。そして職務経歴書にとどまらず、「人脈一覧表」の提出を求める企業もある。この試みは、経歴の中で「どのような人と交流・協働しながら、どのような価値貢献を果たし、結果としてどのような人の信頼を得たか」ということの重要性を意識するのみならず、応募者の職務経歴の真実性を探索する意味もある。要するに本人の単なる履歴ではなく、内実としての職務歴を承知しなければ、応募者の業績・人柄への信頼性の有無を正しく判断できない。採用内定取消等について詳述する紙幅はないが、それらはまさにキャリア権と直接にかかわりを持つものである。
「首切り」による断絶
(2)評価について
人事労務の基礎的概念である「評価の公正さ」如何は、キャリア権の侵害の有無という観点から判断されるべきである。
この点に関する海外の具体的事例として仄聞したのは、1980年代の西ドイツ(当時)の例である。従業員が円満退職で転職する際にはその者の職務経歴について、「どのよな仕事に就き、成績はどうであったか」等の証明書を元の企業が本人に交付し、次の企業では同じ職種でのキャリアが同様に認められる制度を国が保証していたという。次のキャリアを求めての転職が珍しくなくなっているわが国でも、こうした制度は検討に値するであろう。
その他の「評価」についても、キャリア権が機能している場面が数多くある。
(3)人事異動について
人事異動権の濫用について、現在の判例も学説も企業の業務上の必要性を判断する際に労働者の家庭事情等を斟酌するというパターンが定着している。しかしそれはあまりに矮小な世界である。人事異動権についても、労働者のキャリア権との対比において業務上の必要性の有無をまず論じるべきであるというのは、極めて正当な理論である。
米国等諸外国の例であるが、社内の空きポストが出ると、まずは社内で公示して社内からの希望者を募集することを企業側に義務付ける制度が確立しているという。これはキャリア権の発露の一場面として、わが国でも即実行可能なシステムであろう。この場合、本人の自己責任がキャリアアップの基本であるが、本人の希望を人事部門に自己申告させ、空き席の有無および人事部による適性判断でこれに応え得る人材と評価できる場合には、まさに自己実現への第一歩に近付くことになる。
(4)解雇について
解雇は「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」(労基法18条の2)は権利の濫用として無効になることも、キャリア権が大きく機能する事象であるといってよい。
日本人は解雇されることを「首を切られる」と慣用的に表現する。労働者にとって労働契約の解消がまさに「死」に値するという意味が込められているのだろう。そしてこれをキャリアの観点からみると、解雇によって本人のキャリアが今まで生きてきた組織内で断絶・中断されることはまさにキャリア発展を決定的に阻害する行為であり、実態を的確に示す表現であると言える。かくして組織を離脱することが「首切り」=キャリア断絶にならないような社会的仕組み作りが必要とされている。