右上から時計回りに
2016年5月14日(土)10:50上信越道横川SAにてラベンダーを撮影 花言葉:「繊細」
同じく横川SAにてユリオプスデージーを撮影 花言葉:「円満な関係」
2016年5月20日(金)8:01芝公園にてヤマボウシ撮影 花言葉 :「友情」
第10回 美術の価値
(2015年10月26日より転載)
秋といえば文化であり、とりわけ美術に親しみたくなる。
自らには備わっていないもの=美を求めて、人は美しいものに憧れを抱くのである。それが高じて美術収集家になる人もいる。私の場合、単に展覧会で鑑賞するだけではなく、世界各国旅した折に、その土地で気に入った絵画を100~150ドルほどの手頃な値段で購入することを楽しんでいる。
私が最初に絵に興味を持ったのは40年ほど前に池袋にあった古道具屋をある企業人から紹介されたことがきっかけだった。
その後、1989年に伊勢彦信氏らとともに日米美術協会を設立して活動したり、月刊誌『にっけいあーと』(現在は廃刊)に43回におよぶ連載「法律税金相談」を書いたりして(1990年4月~1993年10月)、自分なりのやり方で美と交わってきた。虚心坦懐に絵と向き合い、画家の世界にひたる楽しみは、何ものにも代え難い。芸術家の真骨頂は、魂を込めて何らかのメッセージを鑑賞者・大衆・社会に伝えることにこそある。風景画でも人物画でも抽象画でも変わりはない。画家の魂とメッセージが見る側にズシンと届き、受け止めた側の魂がこれに呼応したとき、両者の間で幸福なコラボレーションが成立したといえるだろう。
芸術家の表現活動が命がけである以上、見る側もそれを意識して鑑賞したいものだ。芸術家の命は果てても、すぐれた作品は残り続けるのである。
今年、没後15年を迎えた久住三郎(くずみ・さぶろう)君(1946~2000年)との思い出はたくさんある。私が孫田・高梨法律事務所のイソ弁時代に担当した顧問先企業が彼の実家で、まだ学生だった彼と面識を得た。優しく礼儀正しい青年だった。
彼は、慶應義塾大学法学部を中退して東京藝術大学美術部日本画家専攻に入学したという珍しい経歴を持つ。私は彼の人柄も作品も好きで、学生の頃から応援していた。彼は藝大で大学院、助手を経て、43歳でニューヨークに渡った。日本画家としてニューヨーク体験を持つ者は当時ほかにはいなかった。彼の作品は美しく静謐さをたたえるものだが、自身の内側からわき出る、やむにやまれぬ思いが形になったと感じさせる凛とした迫力を持っている。私は彼の魂とメッセージを私なりに受け止めたと思う。彼が初めての個展を開いたニューヨークの画廊「Vorpal Gallery」の主人は、彼の作品をボッティチェリの画風になぞらえたりもしていた。
現在私の手許にある作品「燃ゆ」(1998年)は、彼の絶筆だという。まさにこれからというときの、早すぎる別れだった。上野の森美術館・別館ギャラリーで催される「没後15年久住三郎」(11月17日~23日)で彼の作品にまた会えることは、この秋のうれしい再会である。
ところで、仕事で会社を訪問した折に、素敵な絵にふと気付くことがある。また逆に、私どもの事務所の絵の入替えに気付いてくださる方もいる。仕事の場であっても自然に絵画に接する機会を作るのは、メンタルヘルスのうえでも大切なことである。美とは均衡・バランスのとれたものであり、働く環境でも仕事自体でも、バランスを心がけることが総じて好結果をもたらす。緊張感とリラックス、厳しさと優しさ、競争的解決と協調的解決というように、相反する事象のバランスをとることが、私たちの日常で求められる仕事の美学なのかもしれない。