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2016年7月10日(日)7:31 中目黒公園にてグラジオラスを撮影
花言葉:「忘却、勝利」

 

 

 

第9回 管理監督者問題の本質(1)
(2008年7月14日転載) 

 

 

世間の耳目を集めた「日本マクドナルド事件」判決(東京地判平20・1・28)の影響もあり、近時様ざまな分野において管理監督者問題が議論されている。しかし、「名ばかり管理職」という余りにも印象的なフレーズのせいか、残業代の支払いの有無だけが大々的に取り上げられ過ぎている。本稿では、3回にわたって、本質的な視点から管理監督者問題の分析を試みたい。

まず、管理監督者とは何かという問題から説き起こす必要がある。条文には管理職という文言はなく、管理監督者とある。一般的に用いられる管理職とは、管理監督者の通称であろう。

条文の定義としては、労働基準法上の労働時間規制の適用除外を定める同法41条2号で「事業の種類にかかわらず監督若しくは管理の地位にある者」と規定、また労働組合の自主性を図るために一部の者を組合員資格から除外する規定である労働組合法2条1号で「役員、雇用解雇昇進又は異動に関して直接の権限を持つ監督的地位にある労働者、使用者の労働関係についての計画と方針とに関する機密の事項に接し、そのためにその職務上の義務と責任とが当該労働組合の組合員としての誠意と責任とにてい触する監督的地位にある労働者その他使用者の利益を代表する者」としている。

 

人間としての真摯さを

多人数の集合体である企業は、構成員各々が共感・協調して機能しなければ組織体(互助と牽制とその上に立っての成長を期すことに本質があるもの)としての業務を遂行し得ず、企業としての価値がない。個々の多種多様な人材を統合し、一定の成果を上げるための共感・協調を実現して協働体制を構築するなかで必要とされたのが、経営者と管理監督者なのである。

合理性を企業の背景として通すこと=「理を管する」ことがそうした協調・協働体制の基盤であろう。集団はとかく情緒的支配に刹那的に流れていく。それをセーブし、理性的コントロールを行うのが、管理監督者の役割である。その一方で、集団を動かすには情緒的・感性的な側面もなければならない。理に頼り過ぎては無味乾燥のものとなり、およそ人に対して感動を与え得ないからである。

構成員の共感・協調を育むためには、管理監督者は率先垂範して業務を遂行することから始めて部下らを教育・指導し、育てる必要がある。

ドラッカーは言う。「経営管理者であるということは、親であり教師であるということに近い。そのような場合、仕事上の真摯さだけでは十分ではない。人間としての真摯さこそ、決定的に重要である」と。さらに「最も一般化した経営管理者についての定義は間違っているばかりか破壊的である」「誰が経営管理者であるかは、役割と期待される貢献によってにのみ定義される、何よりも経営管理者を他の人から区別するものは、教育的な役割の有無である」と喝破する(傍線は筆者/P・F・ドラッカー『現代の経営(下)210~223頁『第27章優れた経営管理者の要件』参照』)。

ここで注目すべきは、ドラッカーが、「地位」「給与」よりも「人間としての真摯さ」「教育的役割」こそが、管理監督者たる所以であるとしている点である。彼は、管理監督者は単に仕事ができるだけでは足りず、情熱をもって部下に対する育成、即ち教育・指導等々が決め手であるということを言いたかったのであろう。要するに、教育的機能を果たしてこそ、管理監督者たる素地を具有すると言ってよいのである。

さらに、人には「人の上に立ちたい」という本能があるが(それは向上心のひとつの表れであろう)、それは下の者に慕われてこそ初めて可能になる。上の者が下の者を引き立ててくれるという要素があってのことであり、それは、ドラッガーの言う教育的役割と同義である。

下の者から慕われるためには、上の者が下の者の面倒を見る等、まずは「自己犠牲」を厭わない姿勢を持つことが必要である。自己犠牲を具体的に言えば、第一に組織において成果を上げ組織として成長を図り続けること、次にそれにかかわりを持ち自分を支えてくれる個々人の成長を図ることである。そうして、自己犠牲を払っている者は昇進させ部下を持たせるが、その一方、自己犠牲を厭う者に対しては昇進させないどころか降格させ、ついには淘汰していかなければならないのである。

また、報酬についても、部下よりも控えめの報酬でもよしとする姿勢でなければならない。要するに、自己犠牲のうえに初めてリーダーシップ、ひいては信望が生まれるのである。

 

戦って勝てる組織とは

企業体のトップである社長は、素晴らしい業績を上げてこそ初めて然るべき報酬を得る資格を獲得する。それゆえに、業績を上げられない経営者・管理監督者は、淘汰されなければならないことになる。ここにこそ、「人事管理」の本当の意味があるのである。

これらの一般論を具体的に展開すれば、産業構造の変革により業務がソフト化し、グローバルな競争の激化にさらされている企業において、管理監督者は従来以上にマネジメント的視点を持つことが要求される。加えて、個々人の自主性が重んじられる社会的風潮を背景に、管理監督者には下の者に対して取り締まり的な高姿勢ではなく、人間的に接する姿勢が求められるのであり、監督的機能よりも管理的機能を果たす方が重要になってきているのである。

「日本マクドナルド事件」は、ファーストフード店の店長が労基法上の管理監督者に該当するかどうかが争われた事例であり、一般企業とは多少状況を異にするであろうが、管理監督者と労働時間制の問題は、各企業において日常的に見受けられるテーマである。それは、実は管理監督者の処遇は極めて低いことに起因すると言ってよい。

確かに、管理監督者がそれ相応の処遇を受けていないという側面は否めない。しかし、企業という組織体は上位の者の自己犠牲の上に成り立っているという先の論述とともに、企業は競争に勝たねばならない宿命を負っている。その結果として管理監督者の賃金が割り食っていることのみに議論を収斂させるのではなく、組織に貢献したいという心意気とタフな精神力が、今後管理監督者の要件として強調される必要がある。管理監督者が賃金と処遇でしか繋がっていない企業は、戦って勝てる組織でなく、敗退の途を辿ることは必定である。

 

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