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2016年7月16日(土)7:22 中目黒公園にてクロコスミアを撮影
花言葉:「楽しい思い出、陽気」

 

 

第10回 管理監督者問題の本質(2)
(2008年7月21日転載) 

 

 

スタッフ職増加の背景

労働基準法が制定されたのは、今から60年も前の1947年(昭和22年)のことである。したがって、元々は当時主流であった肉体労働・フットワークを前提とする価値観に基づく規定であったことは言うまでもない。そのため、時代の変化に応じた度重なる法改正も弥縫策に過ぎず、フットワークからヘッドワークへ、そしてハートワークへと激しく移行していた産業社会・社会の質的変化(例えば製造業の著しい衰退)に対応しきれなかったというのが実情であり、事態と法理との乖離は必然の結果である。

このことは、管理監督者問題についても同様である。元来、労基法41条2号が労働時間規制の適用除外者として定める管理監督者は、ライン管理職が想定されていたが、事業構造の変化および事業内容の高度化・専門化に伴って、今では本社の企画・調査等に携わるいわゆる「スタッフ職」「スタッフ管理職」が急増してきていることは、周知のとおりである。

こうした変化に対応して、スタッフ職でも処遇如何で同規定の該当者である旨の行政通達をやむなく出さざるを得なくなっている(昭63・3・14基発150号)。

スタッフ職の問題は、特に自律的な労働時間制度(いわゆるホワイトカラー・エグゼンプション)につながる重要な議論であるが、この通達をめぐっての裁判例は今のところ見受けられない。ここに、スタッフ職に関する考察を展開したい。

いささか古い数字になるが、1979年から2004年にかけての期間、わが国におけるライン管理職の人数はほぼ50万人と一定であったが、スタッフ職を含む広義の管理職の人数は同じ期間で1・5倍増え、340万人に達したという(大井方子氏「数字で見る管理職の変化」『日本労働研究雑誌』2005年12月№545掲載)。

こうしたスタッフ職の増加は、実際には、ホワイトカラー人口および高学歴者数の増加やIT等の発達に伴う仕事内容の激変によって、管理職ポストが総じて不足してきたという背景があった(総務省統計局「労働局調査」、厚生労働省白書「労働経済の分析」昭和56年版ほか参照)。

つまり、人数に比して管理職ポストが減少したとしても、企業は雇用に当たり従業員に対して年齢にふさわしい処遇をせざるを得ない実際上の大きな要請もあって、30~40歳でも平社員のまま留まらせると社会的評価が極端に下がり、その結果働きがいを失わせることになる。このため管理監督者のみならずスタッフ職の著しい乱造の必要性が生まれ、真にそれらに相応しい者に限らず管理監督者の扱いをしていかなければならなくなったのである。

その結果、当然のことながら管理監督者等の賃金の低下をもたらした。石を投げれば全てがスタッフ職も含めたいわゆる管理監督者であるというような企業組織も存在するが、それにはこうした背景があると言ってよい。

これは平等社会の帰結でもあるし、そうしてこそ企業にとっては、生きがい・働きがいを見つける労務管理の真の目的を実現することができる。

こうした実情はあったが、ますます進行する業務の専門化に対応するために、スタッフ職を名実ともに充実させなければ企業の存続・発展はあり得ないという厳然たる事実が、スタッフ職の肥大化が進行してきたことの主要な理由である。

 

構造変化と「心の時代」

業務が専門化する中では、企業は、「専門職概念」を通常の管理監督者に比してより上位の概念として構想・構築しなければ、優秀人材を集めることはできず、企業としての生命すら失われてしまう。そして、この専門職は、単に人を管理監督する能力に長けた能力だけでは不十分で、本人が現場に身を置き現場の情報を収集したうえで、これに応え得る専門知識と技能に長けたプレーイング・マネージャーでなければならなくなったのである。

前回紹介したように、P・F・ドラッカーは管理監督者の備えるべき重要な要素として「人間としての真摯さ」と「教育的役割」を指摘したが、これはライン管理職を念頭に置くものであった。とすれば、スタッフ職には、この教育的役割を超越する“プロフェッショナルとしてのスキル”“専門知識・専門技能”が求められることになるのは当然のことである。

フットワークを中心とする産業が基軸であった時代にできた労働基準法は、ヘッドワークの時代に移り産業構造と相容れない法律になったが、ハートワークの時代にはこの乖離はいよいよ甚だしくなる。

ヘッドワークの時代には頭脳労働・ソフト産業が中心となり、研究・開発・企画等の仕事が重視されてきた。その結果として、労働時間制は「みなし労働時間制」や「裁量労働制」という新しい法制度を弥縫策として作らざるを得なくなった。

そして、社会のIT化・ソフト化により個々人の考える・思う・感ずる能力が重要になるがゆえに、人間としての自立と成長が求められ、その行き着く結果として、「ハート化」「心の時代」が招来・到来するのである。

そして、この「ハート化」の目標は「真・善・美」「人間としての良心」等々の世界にあるから、個々人が良心に目覚め、善意で気働きをし、それらを通じて成長への希求を一層強く求めることが、企業経営の根幹を支える要素となるのである。

 

確立されない評価基準

実は、企業においては既にこれらを念頭に置く組織が芽生え始めたどころか急速に成長し続けている。例えば、コンプライアンス部門の設立、職業倫理・企業倫理の重視を実現する組織、さらには企業による社会貢献・顧客満足度の向上を目指す組織の組成等々、それぞれの部署・担当者の定着等である。

さらに、人材競争・人材難の時代を迎えて、持てる人材の成長に大きな責任を課せられる人材開発部も企業において重要な地位を占めつつある。

ヘッドワークの所産は才能・能力によるが、その才能・能力は偏差値等その他諸々の測定概念でかなり明確になり得るが、ハートワークはその能力格差を捉える基準がなく、それを基盤にした確固たる評価基準が未だに確立されていない。つまり、ハートワーク時代には、心の在り方・持ち様という流動的で絶えざる変化に的確に対応できる能力、即ち捉え難い人間性を前提とするものなのである。

スタッフ職に求められる専門職としての能力も、まさにこうした社会と産業構造の変化に応じて変容し、需要が高まると言ってよいが、そこでは労働時間の長さ如何によって能力と成果の良し悪しを測定する基準とすることが、決定的にできなくなっているのである。

 

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