2016年10月5日(水)8:26 麻布十番2にてセンニチコウを撮影
花言葉:「色あせぬ愛、不朽」
第13回 管理監督者性問題の本質(4)
(2008年8月11日)
妥当性ある待遇とは
③待遇面についての判断
「管理監督者」のスペックとして、「待遇」がなぜ意識されるかについて述べなければならない。なぜなら、管理監督者性の判断はその「職務内容、権限及び責任」を明確にすることで足りるという反論もあり得るし、またそう考えることもごく自然であるからである。しかも行政通達や裁判例が掲げる管理監督者性の要件のうち、「職務内容、権限及び責任」「勤務態様」は、条文上の定義「事業の種類にかかわらず監督若しくは管理の地位にある者」(労働基準法41条2号)の内容として理解できるが、「待遇」については条文上何も規定されていない。
確かに「待遇」は管理監督者性の条文上の要件ではないが、管理監督者の職務・権限と密接なかかわりを有するので、極めて重要な要素となるのである。管理監督者としての待遇を受けていることは、それに見合う責任を負うことを意味し、責任を負うということは「職務と権限」を実態のあるものとして、管理監督者自身が意識することを意味するからである。
管理監督者の待遇問題で実際に問題になるのは、一般社員の残業手当を含む賃金よりも一部の管理監督者の賃金の方が低いケースがままあることを、どのように解釈し評価するかだ。
前回コメントした「日本マクドナルド事件」(東京地判平20・1・28)で裁判所は「店長全体の10%に当たるC評価の店長の年額賃金は、下位の職位であるファーストアシスタントマネージャーの平均年収より低額である」こと等をもって、「店長の賃金は、労働基準法の労働時間の規定の適用を排除される管理監督者に対する待遇としては十分であるといい難い」とした。こうした逆転現象は、管理職手当自体が抑制されていることや、優秀な一般社員の基準内賃金に残業手当が加算された結果起こるもので、賃金体系そのものに根本原因があると言える。
同事件のような訴訟が頻発しているが、それは賃金や報酬のあり方の妥当性の問題に帰結する。本来、管理監督者には一般の従業員と明らかに異なる権限と責任に相応しい賃金を支払い、一般従業員の賃金を切り下げるという方向で、日本企業の賃金体系を改める必要がある。
しかし、一方で、日本の企業は、管理監督者への昇進をもって固定給を一挙に引き上げることはできないシステムになっていることも理解しなければならない。企業は、①グローバル化のもとの激烈な競争に勝つためには人件費総額を抑制せざるを得ない、②急速に進む人口減少のなかで優秀人材の争奪戦に勝つには一般職の従業員の賃金を高くせざるを得ないという2つの事情があり、結果的に経営者の報酬も諸外国に比べて低く、管理監督者の賃金が相対的に低下せざるを得ないのである。
また、管理監督者と一般従業員に大きな格差をつけるような賃金体系を導入することは、日本の集団主義という民族性に照らして不可能と言ってよい。欧米並みの格差をつけようとしても、結局は各方面に気を遣い平準化されてしまう。その結果、現実の経営において管理監督者を優遇的に取り扱うことを甚だ困難にしている。
そのこともあり、本稿第1回から繰り返し述べているように自己犠牲の精神を有するものしか現実に管理監督者に選べないし、管理監督者になるにはその覚悟が求められるのである。
なお、この問題については、昇進における「同意権」等についての提言を次回行いたい。
私は各企業に管理監督者性の判断、助言をするに当たって、管理監督者全体の1~2割の者の賃金が一般社員の賃金を下回ることがあっても、それをよしとすることを念頭に置きながらも、管理監督者の賃金額のあり方の基本は、一般社員の少なくとも10%増しでなければならないと説いている。
もちろんこれは原則的な扱いではあるが、このことを通じて管理監督者が「名ばかり」の存在と言われないよう配慮することにもつながるのである。
管理監督者は職責上一般社員に比べ大きなストレスを受ける存在であるから、一般社員より余りにも低い賃金が通常である賃金体系では、やる気を失い働く意欲を喪失することはもち論である。法的にも標準的残業時間に伴う残業代を超えた管理監督者手当が支払わなければならないことは理の当然である。
問題は、管理監督者手当は個別に設定し難く、金額の決定に当たっては、平均実残業時間数をもとにしてそれに責任手当をも加算すべきであるという、慎重で真摯な態度が経営者側に求められる所以がある。それでもなお、所定残業時刻を待ってすぐ退出する者と、月100時間を超すような長時間残業をする者とが管理監督者に混在すればアンバランスが生ずるが、それは制度上やむを得ないと判断するしかない。
しかし、管理監督者である上位者がなぜこうした賃金のアンバランスな状況を受け容れているかと言えば、昇進こそ次への更なる昇進・ステップアップへの現実的可能性を生むからである。昇進は自己実現に向けての大きなステップとして体感することができ、更なる挑戦の始まりとして達成感と高揚感を味わえるからである。
賃金問題解決に向けて
それでは私が実務の感覚で考案した管理監督者性判断の一基準をここに紹介する。
行政通達や裁判例の示す管理監督者性の判断基準は数値等具体的なものではないため、現場の悩みは大きい。そこで、店長ひいては事業所長の業務遂行の程度を計り、管理監督者性が認められるかどうか、認められるとしてその賃金問題をいかに解決すべきか検討するために、私は、その統率する部下の賃金総額を基準とする次のような算定を各企業にお願いしている。
即ち、①アルバイトに関するあつれき・矛盾・葛藤等は、社員と比較して経験則上2分の1~3分の1程度であるから、管理監督者のアルバイトに対する気の遣い方も同様であるとの判断に基づき、アルバイト各人の賃金についてまずは2分の1~3分の1とした金額を出す。②そのうえで、当該事業所でのアルバイト人数分を合算する。社員もいればその賃金額はそのまま加算して、当該事業所の基準となる賃金総額とする。③そして、この賃金総額を当該企業の一般社員の平均賃金で割って社員何人分に当たるかを算出し、当該事業所の店長ないし事業所長が統率している規模をカウントするのである。
この算定方式により割り出された店長・事業所長の部下の数が、本社の管理監督者が扱っている平均の社員数の同数もしくはそれを超えた場合は、管理監督者性を認めるべきであると助言している。例えば、本社の課長が平均で社員5人を統括しているとすれば、店長としては社員5人分以上の賃金を管掌しているとなれば、管理監督者として評価すべきことになる。
このような現場の具体的感覚を裁判所に提言し続けることが、弁護士の役割の1つでもあろう。