2016年10月2日(日)8:47 千代田区六番町にて彼岸花を撮影
花言葉:「あきらめ、独立」
第14回 管理監督者性の本質(終)
(2008年8月18日)
管理監督者問題の本質についての論稿を終えるに当たり、今後のあるべき労働法制をも念頭に置いた提言を行いたい。
都市銀行・金融機関の管理監督者についての行政通達(昭52・2・28基発104号の2、同基発105号)が、労働基準法41条2号の管理監督者にスタッフ職も含まれることを是認した時点で、労基法は死文化し破綻が決定的になったと言ってよい。
なぜなら、社会の変化によって労働の態様が多様化した結果、労基法の規定では現実の雇用社会に対応できないことを、行政自ら認めざるを得なかったからである。即ち、通達によってスタッフ職の管理監督者性を肯定したのは弥縫策にすぎず、適法な抜本的解決を図るには法改正によるしかない。
なお、管理監督者についての新しい規定を策定するに当たっては、グローバルな視点を忘れてはならない。そうでなければ世界から取り残され敗退していくことが目に見えている。
良心と善意が考課対象
本稿第1回で引用したとおり、ドラッガーは管理監督者の要件を「人間としての真摯さ」と「教育的役割」としており、私もこれに賛同するものである。そこで、管理監督者の権限と責任を一体化した概念を構築し、それを受ける形で待遇を考えるという例を提唱したい。
(ア)まず、この概念の基本は、時代の潮流であるハートワークを旨として「真摯さ」と「役割」を合体させたものでなければならない。即ち、管理監督者に求められるのは、裏切らない・ごまかさない・嘘をつかない態度であり、せこい・狡(こす)いなどと言われない公正な姿勢である。そして部下である一般社員よりも高度の「誠実さ=忠実度」、そして指揮統率を担う役割に相応しい積極性・責任感が求められる。
これらの権限を受ける形での新しい概念を構築して「考課表」を作成・実施し、この結果により待遇を考えることになる。ここでもハートワークを旨とするから、考課要素は「良心管理」「善意管理」「成長管理」を念頭に作成されることになる。
(イ)その名称はともかく、管理監督者の待遇として「役割手当」(仮称)を法的に導入する。自己犠牲の精神で業務に勤しんでいる管理監督者には、温かい理解と愛情を以って報いる必要があるからである。
「役割手当」の構成は、大きくは(1)管理監督者としての平均的な「時間外見合い分」と(2)「責任手当」の二本立てとする。
「責任手当」の内容としては、前述の権限と責任の内容を踏まえて、①「指揮統率する役割」、次に②「教育的役割」が挙げられる。そして 、「教育的役割」の中には、(a)部下に目標を掲げさせる役割、(b)部下に気付かせる役割(コーチング)、(c)部下を評価する役割がある。さらに第3の要素として③「顧客満足度への役割」が挙げられよう。顧客の意向の変化の兆しをいち早く捉えて最前線の情報として咀嚼し、店舗・事業所等のヒト・モノ・カネ・組織のイノベーションに向けて対応を献策する。
このように「責任手当」のウエート付けを正当に行うことによって管理監督者としての意識を持たせ、管理監督者として機能させていく。
なお、管理監督者としての存在性と意欲を喚起すべく法的にこれらを整備しても、管理監督者に就任した者が能力不足等不適格者として降格されれば、心が病み、あるいは時に絶望するに違いない。そうすると、管理監督者への昇格は任命制ではなく「志願制」を認め、さらには「異議権」や「同意権」を認めることが必要となろう。そもそも、広く手を挙げさせる志願制を導入すれば、「キャリア権」にもつながる(拙稿「注目すべき『キャリア権』」本紙2655~2667号参照)。
ある者を管理監督者にする場合に、本人が「異議権」を行使することを認めると、会社は異議を申し立てられたら書面で回答する義務を負う。異議を申し立てる方も、書面で行わなければならないことになる。そうなると、管理監督者に昇進させるに当たって、使用者側は予め慎重な吟味が必要になる。後日になって異議の理由を付加することはできない。
インターバル制に注目
また、本人の同意を必要とすると、その場合にも同意を拒むには然るべき理由を書面によって明らかにさせる。そして拒否されても命令できるかどうかについて「同意権の濫用」という法的問題となる。同意権の濫用は、今までは集団的労使関係で論じられてきたものであるが、個人との関係では論じられておらず、企業等の組織法的視点から今後探求する必要がある。
なお、「異議権」「同意権」等は厚生労働省が推進している「ワークライフバランス」論にもつながる。「私生活を大事にする人は、同意権の下に人間としての機能を発揮することができる」のである。「ワークライフバランス」の思想が強まるに連れて、「異議権」「同意権」は必要不可欠な労働者の権利として認知されていくであろう。
さて、意欲的に業務に勤しむ者であればあるほど、経営者も管理監督者も、仕事から完全に離れる時間を作るのは難しい。なぜなら、ハートワークの時代においては、常に、変化とその対応に戸惑う心の動きの中で仕事をしなければならないから、非労働時間といえどもハートワークを完全には停止し得ず、「常在戦場」であることがこれに拍車をかける。こうした状況を乗り越えて上手に仕事とプライベートの切り替えを実行できれば、本人の能力開発にもつながる。その結果、ハートワークの時代における人材としての賞味期限を延ばすことにつながる。
一方、新たな労働時間制においては報酬を以って補償するという方向だけではなく、インターバル時間を積極的に導入すべきである。ハートワークになればなるほど、心身、特に心は破綻する危険があるからである。
実際には、このシステムは現実の労使関係において、タクシー等自動車運転手の拘束時間と休息期間が告示によって定められている他には未だ成果らしいものはないが、非常に重要なテーマである。
例えば、民放労連はこの制度について30年ほど前から主張しており、同労連冊子「2008年春闘方針」にも、「1日の勤務終了から次の勤務開始まで最低12時間のインターバルをとることをルール化させます」という項目を掲げている。
ところで、実態を詳細に調査したわけではないが、およそ弁護士等の専門家集団の事務所では、労基法どおりに時間外割増賃金を支払っている事務所は皆無であると言ってよいだろう。少なくとも、私は寡聞にして知らない。
そうしたなかで、勤務弁護士の労働時間の長さを踏まえた働きの成果を、各経営者たるボスがいかに判断・評価し賃金に反映させているかと言えば、各人の「勤務度の濃淡」を評価の基準の大きな要素としているのである。弁護士事務所に限定して言っても、一般にはそうした方式によるしか支払うことはできず、このことは何も使用者側弁護士のみならず、労働者側弁護士の事務所も同様である。要するに、報酬にこだわらないことが弁護士としての誇りでもあると言ってよい。
本稿第1回の結びでも述べたように、このことは単に資格者だけの問題ではなく、プロ人材全てに通ずることである。厚生労働省はこれをなぜ勇気を以って認めないのか。その事なかれ主義の姿勢には、遺憾という程度を超えて、情けなささえ感ずる。行政とは本来、日本の未来を切り拓くという思想のもとに国の根本的なあり方を論ずるべきである。
企業においては、お金に吝(しわ)い存在に対して、経営者はもち論のこと管理監督者さらにはおよそ同僚社員・一般社員も違和感を抱き反発し、さらには疲労感、ときには苦痛感・嫌悪感さえ持ち、要するに“嫌われ者”として扱うということが、人間関係の根本であることを知らなければならないのである。いかに仕事上数字を上げる者でも、周りから忌み嫌われる者は、部下から尊敬され目標とされるべき管理監督者像とは著しくかけ離れている。こうしたことが、行き着くところ管理監督者の選抜基準となり、評価基準ともなっているのである。
経営者へ「自戒」求める
この稿を閉じるに当たり、ご参考までに私の指導方法を書いておこう。私は、日々、全ての弁護士が起案した全書面、その他秘書等所員が作成した全資料について、目を通して赤を入れる(補正を加える)のが常である。このことを通じ所員の指導教育方針の基礎としている。
そして、週1回、それぞれの弁護士が作成した「週間総括報告書」をもとにして、若手弁護士と打ち合せを行う。それは早朝のわずか10分間程度のことに過ぎないが、困難な案件や成果を確認する。各弁護士は、報告書を作成する過程で自分の案件を顧みることが習慣化すると言ってよい。
この習慣こそが、若手弁護士に、反省点をもとにした改善への努力を自覚させ、各人の業務の姿勢・仕事ぶりに良い影響を及ぼし、成長の糧になっている。それぞれの管理監督者は、工夫して後継者を育てることに熱意を持たなければならない。
管理監督者に自己犠牲を求める以上、経営者は、管理監督者がいてこそハートワークが成り立つことを肝に銘じ、愛情をもって彼らに接しなければならない。自らがまさに自己犠牲の精神で社業に勤しまなければならないのである。
同時に、従業員の成長ということを掲げ、そのことを日常的に心掛けていかなければならない。管理監督者にもそのような資質を求める以上、経営者はハートワークにおいてより優れた者でなければならない所以はそこにあり、利益追求主義であってはならない根本である。これは何も企業であるがゆえではなく、およそ人間として当然のことなのである。「名ばかり管理職」ではなく、「名もある管理職」が企業で存分に活躍できるよう経営者の自戒が強く求められている。