2017年1月29日(日)8:13 千代田区大手町1にて寒桜を撮影
花言葉:「気まぐれ」
朝日新聞記者 高橋美佐子さんと小生のご縁
朝日新聞の夕刊紙面で2016年12月12日から28日まで全12回にわたり連載されていた「人生の贈りもの~わたしの半生 作家落合恵子氏」の記事を拝読していて、担当者欄に高橋美佐子さんの名前を見つけた。
この連載は、落合恵子さんが高橋さんに対して心を開いている様子が感じられる見事な内容であった。高橋さんを知る者のひとりとしてうれしかった。
事務所の記録をみると、小生が高橋さんと初めてお目にかかったのは、2006年5月のことである。
小生は株式会社ABCCookingStudioの法律顧問をしているが、おそらく2006年5月に、同社の創始者である志村なるみさんが朝日新聞から取材を受けられ、その担当記者であった高橋美佐子さんを志村さんからご紹介いただいたのであろう。高橋さんは溌剌とした爽やかなお人柄であり、そして、読者に何を伝えるべきか真摯に取材対象となる方に向き合い、使命感をもって仕事をしておられるという印象を受けた。
高橋さんは、朝日新聞入社後、長野支局、横浜支局を経験し、2000年から東京本社の社会部へ配属され、その頃、首都圏で働く20代~30代のOLをターゲットにした連載企画「口紅のささやき」などを担当しておられたそうだ。小生が初めてお会いした2006年ごろは、朝日労組本部広報部長も務めておられた。その後、名古屋本社報道センター社会グループ、東京本社文化くらし報道センターで生活面キャップを務められた。
(なお、2008年4月に小生が立ち上げた勉強会「キャリア権研究会」に、小生から高橋さんにお願いして、2年間にわたりご参加いただいたということもあった。)
2009年10月~11月にかけて、当時の夕刊一面の連載「にっぽん人脈記」に、「排泄と尊厳」というタイトルで署名入りの連載記事を書かれたことも、大変印象深いお仕事として記憶に残っている。介護問題とも密接に関連し、人間にとっての根源的かつ重要なテーマに正面から挑んだ力作であったと思う。また、取材班のひとりとして参画された2010年末の朝刊一面などの年間連載「孤族の国」では、単身世帯が急増する日本社会の実情に迫っておられた。高橋さんは、社会で弱い立場にある人の抱える問題を、独自の視点で丁寧に取材して読者に伝えることを、自らの信条とされているのではないだろうか。
2012年には東京本社デジタル編集局デスクに異動され、テレビ朝日CS2「ニュースの深層」でキャスターを務められ、2013年4月には、『週刊朝日』副編集長として朝日新聞出版へ出向された。異動のご連絡を受けた際には、放送や雑誌という新分野に果敢に挑戦される高橋さんを頼もしく思った。朝日新聞出版時代には、2年連続で東京大学情報学環境部「メディア論」(後期)にて講義を担当されるなど、活躍の場を拡げ、2015年に古巣ともいえる東京本社文化くらし報道部に異動され、現在は再び記者として活躍しておられる。
高橋さんは、同じく朝日新聞で記者をされている上野創(はじめ)さんと、上野さんが26歳でがんを発症された1997年に結婚された。高橋さんのご紹介で、小生は上野さんにお会いしたことがあるが、柔和な優しい雰囲気の好青年であった。再発や4度の手術を経て社会復帰を立派に果たされるまでには大変なご苦労があったことは、ご著書『がんと向き合って』にも綴られている。上野さんとともに歩み、上野さんを勇気づけた高橋さん。すばらしいおふたりだと思う。民間療法だといわれるかもしれないが、小生から、真夏に裸足で海岸の砂地を歩くこと、特に熱い砂地を歩くと良いとアドバイスをしたこともある。
高橋さんの妹さんは、ソプラノ歌手の高橋美千子さんである。高橋さんにご紹介いただき、2011年12月2日に開催した弊所年末講演会のコンサートでは、美千子さんに素晴らしい歌声を披露していただいた。アメージング・グレイスやアヴェ・マリアを歌い上げる美千子さんの美声がコンサート会場内に響き渡り、圧巻であった。
高橋美佐子さんは、現在は朝日新聞文化くらし報道部生活グループで記者をされている。様々な経験を経た彼女がこれから何をどのように伝えていくのか、今後も応援していきたいと思っている。
以上