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2017年3月5日(日)8:32 東京都千代田区一番町にてエレモフィラ・ニベアを撮影
花言葉:「憧れの佳人」

 

 

ガブリエル橋口佐五衛門神父様 帰天

 

1月13日に、ガブリエル橋口佐五衛門神父(89歳)が帰天したとの知らせが、事務所にFaxで舞い込んだ。帰天とは、ローマ・カトリック教会の用語で、信者が天に帰る(死亡する)ことであり、同月16日に通夜があるというので、参列した。

 

橋口神父は1927年1月28日長崎県平戸市木ヶ津町生まれで、1941年4月に聖母の騎士小神学校に入られた後、1951年に聖母の騎士修道院にて終生誓願宣立(一生涯、修道会の会員として生きること)をされた。1961年にはローマ・ラテラン大学で学ばれ、1970年にはドイツへ派遣された。帰国後は、亀有修道院院長、赤羽修道院院長を歴任され、また、日本管区が設立された初期の時代に管区長を務められた。亡くなった際には、亀有修道院の協力司祭であった。

 

小生と神父が出会ったのは、神父が関町修道院にいらっしゃった2005年8月のことである。この時も管区長を務めておられた。

橋口神父は、我が妻孝子と長女真理子の葬儀を執り行ってくれたし、孫の愛実に洗礼を授けてくれた方である。2008年6月21日に妻孝子が亡くなったが、葬儀の後で、孝子が洗礼を受けたのはイスラエルのカファルナウム(カペナウム)の丘にある山上の垂訓教会であると神父に教えていただいた。孝子が生前に洗礼を受けた場所を見たいとの思いから、神父にイスラエル政府公認ガイド信夫兆平氏をご紹介いただき、同年12月27日出発31日帰国の日程で亀梨伸夫君と一緒にイスラエルを訪問し、山上の垂訓教会を訪ねた。なお、信夫兆平氏にはその後もご縁をいただき、当事務所の事務所報に2009年盛夏号から2010年新春号まで4回にわたりご寄稿いただいた。

神父には孝子の7回忌のミサも執り行っていただいたが、折に触れ孝子や長女真理子を始め小生の家族のために祈りを捧げてくださり、その心遣いは身に染み入るものがあった。神父の通夜を執り行った亀有修道院院長 藤澤幾義神父も橋口神父のことを「よく祈る修道司祭だった」と通夜でお話しされていた。

 

神父とは、昨年4月には、亀有で一緒にお花見をして、昨秋には紅葉狩りにお誘いすることを約束していたが、昨年の春に足を骨折して入院したままお会いすることなく亡くなってしまった。

本当に朴訥な神父で、長崎の美しい湾にたたずむ教会で人目につかぬようひっそりと祈りをささげていた隠れキリシタンを彷彿とさせる人物であった。

 

カトリックでは、人の死をキリストの死と復活の神秘との結びつきの中でとらえるという。人の死は、復活の命へと導く神の働きなのだそうだ。神父が死の闇を通り抜けられて、光の国に迎えられ、永遠に失うことのない真の幸せを与えられていることを祈らずにはいられない。

以上

 

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