2017年6月1日のアーカイブ

  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第14回目です。
  • 第14回目は、ジャーナリスト莫邦富様です。

 

 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第14回)■ ■ ■ 

ジャーナリスト 莫 邦富 様 

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[莫邦富様 プロフィール]莫邦富先生

作家・ジャーナリスト。1953年中国・上海生まれ。上海外国語大学卒業後、同大学講師を経て、85年に来日。日本にて修士、博士課程を修了。95年、莫邦富事務所を設立。知日派ジャーナリストとして、政治経済から社会文化にいたる幅広い分野で発言を続け、「新華僑」や「蛇頭」といった新語を日本に定着させた。また日本企業の中国進出と日本製品の中国販売に関して積極的にアドバイスやコンサルティングを行っており、日中の経済交流に精力的に取り組んでいる。

『蛇頭』、『「中国全省を読む」事典』、翻訳書『ノーと言える中国』がベストセラーとなり、話題作には『新華僑』、『鯛と羊』、自分自身の半生を綴った『これは私が愛した日本なのか』、『中国ビジネスはネーミングで決まる』などがある。2002年から2011年にかけて朝日新聞土曜版にて連載コラム「mo@china」が掲載された。

現在、ダイヤモンド・オンラインにて「莫邦富の中国ビジネスおどろき新発見」、時事通信社の時事速報にて「莫邦富の『以心伝心』講座」、プレジデント社『プレジデント』にて「本の時間」(新刊書評)などのコラムを連載中。

莫邦富事務所HP:http://www.mo-office.jp/

 

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 高井伸夫 
  • 高島さつき(秘書)

取材日:2017年4月27日(木)14:30~  於:日本工業倶楽部会館2階ラウンジ

 


高井

さて、鄧小平先生は日本に来て、松下電機などを見学して日本を学べと言いました。鄧小平先生はなぜ日本に学べと言ったのですか?

 

莫邦富様

鄧小平先生は1978年に日本に来ました。78年以前の中国は言いかえれば、よくも悪くも、毛沢東時代の余韻がまだまだ残っていた時代です。当時、私の給料は45元(注:1978年当時の為替レート 1元=122.98円、45元=5534円程度)です。あの頃、クレジットカードのことも知りませんでした。外国人専門の友誼商店と呼ばれる店で、ある外国人がすごい買い物をしていたのを見ました。私の年収以上のものを買っていたのです。そこで小さい札みたいなものを出して会計をサインして済ませていたわけです。あれが噂のクレジットカードかと思い、その威力に目を見張りました。

ですから当時の中国にとって海外との認識の差は非常に大きかったものです。鄧小平先生は以前フランスに留学したこともあるので、とりあえず海外を見た経験を持っていた。これは非常に重要なことです。毛沢東自身と、毛沢東と共に革命をやっていた人たちは、ある意味で生活が厳しくてどうしようもなくて革命に参加したわけです。革命後は政府の高官になったりしていますが、海外のことは知りませんでした。鄧小平先生は少なくとも海外を知っているので、松下電器を訪問したり、新幹線に乗ったりして背中を押されたのを感じたという感想をもったことは、非常に当然でした。

鄧小平先生は海外について、ある意味で他の中国の指導者よりも敏感に反応しています。しかも謙虚に見ようという意識があったのでしょう。鄧小平先生の考えは非常にシンプルです。松下電器のような工場を中国にも作りたい。工場を作るには、人を派遣して工場の運営の仕方を学びたい。新日鉄製鉄所を見たら、それも中国に作りたいと言い出す。鉄イコール国の実力だと思ったからです。

新幹線は、さすがにそれに手をだすその実力は当時には、まだなかったと思います。しかし新幹線のスピードに対する彼なりの認識があったと思います。

私は比較的早い時期に日本を訪問しました。初めて日本を訪問したのは1981年です。大阪グランドホテル(注:2008年に閉館)に泊まりました。当時は自由行動が認められていなかったので、朝早く起きて、出発する前の時間を利用してホテルの周りを1人で回りました。ホテルを出たら地下街に入る入口があったので、降りてみました。誰もいなかった。地下道で自分の足音が響くほど静かでしたが、地下鉄が到着した途端に、たくさんの人が電車から降りてきました。出勤の時間が近づいてきて、女性のハイヒールの音、つまりハイヒールの踵が地面をたたく音がしますが、その音に陶酔しました。

 

高井

なぜ、ハイヒールの音に陶酔したのですか?

 

莫邦富様

足音が、速いんです。トトトトト、その後中国に戻り訪日のエッセイに書きました。これが先進国のスピードだと。朝、トトトトト、と。当時中国の歩く速度はゆっくりしていました。今はハイヒールの音にはもう感動はしませんが、当時はかなり感動しましたよ。鄧小平先生もおそらく同じ様に、このスピード感に、ある種の陶酔というか、刺激を受けたのではないかと思います。

当時の中国は、門戸を開放して、外国の文化や技術を受け容れる準備ができていなかったのです。だから、あの頃のスローガンは「窓を開けて世界を見よう」というものでした。窓です。ドアではありません。外を見ようということです。窓を開けて外を見ようとすると、アメリカやヨーロッパは遠くて見えてこない。一番見えやすいのは近くにある日本でした。

なぜ私が日本語を選んだのかと言いますと、外国語を覚えれば、将来、詩を訳せるという思いもありましたが、もう一つ別の理由もありました。ちょうど1972年に日中国交正常化、1973年に初めて上海でラジオ日本語講座が開設されたのです。そのテキストを取った時にひらめきました。英語、ロシア語は勉強する人がたくさんいた。これまで日本語を専攻した人は、いたとしても非常に少なかったはずですので、みんな0からのスタートだった。ですので、今から日本語を覚えていけば絶対メリットがあると思いました。

大学を卒業して1978年改革開放時代が訪れた時に、期待していたそのメリットがすぐに出てきました。「窓を開けて外を見よう」というスローガンですが、実際には、外国語の書物、新聞を通して、色々な情報を吸収するのです。しかし、当時の中国はあまりお金がなかったので、外国の新聞は、ニューヨークタイムズでも、ワシントンポストでも全部船便でした。

 

髙井

「窓を開けて外を見よう」として、得られるアメリカ、ヨーロッパの情報は船便だった。船では遅いですよね。

 

莫邦富様

新華社が使用する一部は航空便でしたが、他は船便でした。アメリカの新聞が中国に着くのに最低1か月以上かかりました。それに中国とアメリカとの間を行き来する船もそんなに多くはなかった。一方日本の新聞は10日間くらいで入ってきました。朝日新聞や日経新聞を読んで面白い記事を参考にしながら原稿に書いて、中国のメディアに送る。そのメディアに掲載される頃に、アメリカの新聞がようやく届くのです。時間差がかなりありました。

ですから、中国の最初に見ようと思っていたその外、つまり外国は日本でした。鄧小平先生はフランスを訪問して改革開放をやろうと決意したのではなくて、日本を訪問して改革開放路線に突入したのです。

 

高井

莫邦富先生は日中経済交流はハードからソフトへとおっしゃっていますが、ハードからソフトへ、そのソフトの次は何ですか。

 

莫邦富様

78年頃から、中国は外の世界をよく見るようになったわけです。日本人1千人と中国の1千人が持つものなどをよく比較していました。例えば、テレビは何台持っているのか、洗濯機はどれくらいか、車は何台かなど、全部羅列して中国のそれと比較して、そして中国がいかに遅れていたのをよく指摘していました。こうして家電の生産ラインなどを導入していきました。いつの間にかこういった比較はしなくなりました。ハードの比較はだんだん意味がなくなってきたからです。いまの中国では、ハード関連のものについては、質がよいかといった問題はさておき、とりあえず揃いました。

当時の中国では一回の海外の出張で持ち帰る家電に制限があり、大きいのが1つ、小さいのが2つと制限されていました。日本を訪問する中国人は帰国の際、カラーテレビ1台、ラジカセ1台、カメラ1台といった感じで中国へ持って帰った。

全部ハード関連の製品です。今は、日本を訪れた中国人の多くはドラックストアやスーパーで、日用品を買います。日本に来る目的も、だいぶ変わりました。当時は家電の生産ラインなどを導入するためといった商談でした。今は、技術を入手しよう、企業を買収しよう、あるいは日本の環境保護の政策を勉強しようとして、来ています。目的も旅行、医療、留学、あるいは住宅を買う、といったものに変わりました。全部ソフトのところに流れています。

ハードからソフトへだけではなく、もう一つ、大きいものから小さいものへ。こまごましたものになります。さらに外から中へ。以前服を買うとしたら、コートやオーバー、背広、とにかく人の目に触れるものを買いました。今は違います。保温機能のある下着など。外側から内側のものに変化しています。

さらに、日本の企業の対中ビジネスをみても、大きく変化しています。BtoCへ。以前BtoBでやっていた企業が中国のエンドユーザー向けに販売するようになりました。ユニクロや無印良品は、そういった企業の代表です。この流れはまだまだ続くと思います。

中国に対する人への講演のテーマもそういったものを求められるようになりました。東京駅周辺には、中国の視察団をよく連れて行きます。近くに東京駅の駅舎がありますが、八重洲にあった高いビルを数年前に解体して、左に200メートルくらい移して立て直しました。大丸デパートが入っているこのビルをなぜ200メートル動かして立て直したのか。実はこれは大勢の日本人も知らないことだと思いますが……。

東京湾からの風が隅田川を通ってくるわけです。風の道をたどってくると、ちょうど当時、このビルが風の邪魔になっていた。それをどけたのです。海からの風ですので、夏は温度が低い。この風が来ると東京の駅舎はそれほど高さがないので、駅舎を超えることができる。そして、その先に丸ビルと新丸ビルがあります。この2つの建物はそれぞれ高さが160メートルほどで、近接しています。物理の原理で言うと、二隻の船が近づくと、間に流れる水は早く流れます。これは空気も同じです。この建物の間を風がスピードを上げて通過します。つまり、東京湾から来た風が、この二つの建物で、加速させられるのです。25%~30%くらい加速する。この先に皇居があります。皇居は緑が多く、測定では、温度が2度ほど周辺より低いです。この涼しい空気を奪って、四谷、新宿に風が通ります。大都市にはヒートアイランド現象がありますが、建物を移動させて、巨大都市東京に電気代が1円もかからない巨大なエアコンをとりつけたようなものです。こういう話をすると、視察団は一様に驚いて目を輝かせます。こういうことに対してみんな感心するようになっています。

ハードのものも、日本に学ぶ必要がまだまだありますが、大きくいえば1段新しい階段を登る時期に来ていると思います。ですから中国国内で、78年と同じように、もう1度日本に学べと主張しているのもそのためです。1978年は、日本のハード面に目を向けていた。今はハードよりもむしろソフトに目をむけるべきだと私は思います。

 

髙井

日本に学ぶべきとおっしゃいますが、一方で日本のダメなところはどこですか。

 

莫邦富様

日本のダメなところは、日本は昔の成功に胡坐をかいているところです。それほど前進していない、というと語弊がありますが、少なくとも感心するほどの前進はなかなかないと思います。一言でいえば、ここ(注:日本工業倶楽部会館)にWi-Fiが入っていないことからもわかるように、問題はかなり深刻だと思います。ここを利用する人たちは、この国の工業に関わっているある程度の地位になっている人たちだろうと思います。Wi-Fiがないということは、たとえていうならば、このビルに電話が引かれてないのと同じことです。

 

髙井

日本工業倶楽部会館にWi-Fiが入っていないことに危機感や不便を感じる人がいないのでしょうね。

 

莫邦富様

日本工業倶楽部会館にいる方々は、年齢層が高いですが、そういう点も日本が直面しているもうひとつの深刻な問題です。今、電子決済を色々とやっています。ネットを通じてお金を払っている。日本工業倶楽部会館のような場所でも、中国ではネットを通じて利用代金などを払えます。しかし、Wi-Fiがないと払えなくなります。そうすると、誰もここは不便だと思い、いつの間にか、誰もが来なくなります。Wi-Fiは、世界の平均使用率43%、日本は10%、中国は86%です。

 

髙井

Wi-Fi以外で日本のダメなところはありますか?

 

莫邦富様

ほかにも、日本のサービスが低下している。中国人から見れば、日本のサービスはまだいいとみんなほめますが、長年日本に住んでいる私からすれば、日本のサービスは明らかに硬直化、低下しています。マニュアル化している。例えば、水をサービスする、夏ですから冷たい水を運んでくるのはサービスですが、この水を運んだことでサービスが終わったわけではなく運んだ時に、「暑いですね」と一言言う。この一言がサービスの質とレベルを2倍くらい倍増させることになる。

形の上では日本はサービスができています。例えば私のように咳をしている。冷たい水はあまり飲みたくない。数日前、私は上海のホリデイインホテルにあるWi-Fiが使えるコーヒーショップで、深夜まで仕事をしていました。紅茶を注文したとき、咳をしました。しばらくすると温かいレモン水を持ってきてくれました。「お客さん、この温かい水は喉にいいかもしれません」と女性の従業員は優しく声をかけてくれました。同じ水です。それを今、日本の従業員に求めるのは・・・

 

髙井

日本人にそういった付加価値のついたサービスを求めるのは難しいですね。

 

莫邦富様

お水を出すことは、一つの標準装備になっている。これは守っている。以前の築かれた栄光です。そこに心が入っていない。日本のサービスが低下していると私は感じていますが、多くの日本人は実はあまり感じていません。今まで通りやっているではないかと言うかもしれません。しかし、昔、サービスの“サ”もわからなかった中国は、追い上げてきています。お水を出すならば、同じ様にお水を出すと同時に、それ以上に何をやればいいのかという工夫をする。そうすると、温かいレモン水を持ってきたり、生姜のお湯を持ってくるということになる。そうして差が出てくる。こういうことは、よほどアンテナを張って敏感にならないと分からない。

 

髙井

日本は内向き内向きになっていて外向きに学ぶ心がないと思いますがいかがでしょうか。

 

莫邦富様

ある地方自治体の首長の方と対談をした際に、一生懸命日本の素晴らしさを語っておられました。対談中に日本から海外の農業に、あるいは中国、東南アジアの農業に学ぶことはないのか、と聞いた時に、きょとんとされました。実はその時に何かがずしっと落ちました。つまり、日本の良さをアピールするだけで、冷静に海外の何がいいのかを見ていなかった。あの時私は、ここまで多くの人を引っ張ってこられた人でも見方が偏ってしまうおそれもあるのだと思いました。

 

髙井

そういった内容で講演会をやっていただけないでしょうか。日本のダメなところを教えて欲しいと思います。本日はどうもありがとうございました。

以上

2017年7月5日(水)14:00~セミナーを開催いたします。詳細は以下より弊所HPご覧ください。

莫邦富が見た経済大国ニッポン 直面する厳しい課題セミナー

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