2017年9月8日のアーカイブ

 

第31回 経営理念と賃金ダウン(中)
(2009年7月20日転載)

 

将来の考え方を修正へ

「企業においては、社会情勢や当該企業を取り巻く経営環境等の変化に伴い、企業体質の改善や経営の一層の効率化、合理化をする必要に迫られ、その結果、賃金の低下を含む労働条件の変更をせざるを得ない事態となることがあることはいうまでもなく、そのような就業規則の変更も、やむを得ない合理的なものとしてその効力を認めるべきときもあり得るところである。特に、当該企業の存続自体が危ぶまれたり、経営危機による雇用調整が予想されるなどといった状況にあるときは、都道条件の変更による人件費抑制の必要性が極端に高い上、労働者の被る不利益という観点からみても、失職したときのことを思えばなお受忍すべきものと判断せざるを得ないことがあるので、各事情の総合考慮の結果次第では、変更の合理性があると評価することができる場合があるといわなければならない」(傍線は筆者)これは、「みちのく銀行事件」最高裁判決(平12・9・7)の判示するところである。

かつては、今よりも雇用の場の確保が容易であったため、経営合理化・リストラ策としては、賃金ダウンよりも整理解雇を先行しなければ従業員等の納得は得られないと一般に考えられていたし、また、裁判例も同様の立場であったと言ってよい。例えば、整理解雇が不可避の状況下で、犠牲の大きい人員整理を回避する手段として賃金減額を実施した旨の会社の主張に対して、裁判所は「賃金調整を有効とすることの根拠とすることはできない」と判示し、賃金ダウンの効力を否定したのである(チェース・マンハッタン銀行事件=東京地判平6・9・14)。

これに対して、「みちのく銀行事件」最高裁判決は、就業規則による労働条件の不利益変更について、基本的に「秋北バス事件」(最大判昭43・12・5)以降の最高裁判例の流れを汲みつつも、右に引用したように、社会情勢や経営環境等によっては、整理解雇をせずに、労働契約の最も基本的要素である賃金の引き下げをも容認せざるを得ないことを、最高裁として明確に指摘したのであり、この点大きな意義がある。これは、労働条件の不利益変更という一般論にとどまらず、従業員等が賃金ダウンを受忍すべきものと判断せざるを得ない場合があることを最高裁が明言した初めての例である。

 

人員整理と同一線上で

最高裁が、「賃金の低下」は「失職したときのことを思えばなお受忍すべき」ことがあると敢えて指摘したように、現在は雇用の場の確保が極めて困難になっている以上、賃金ダウンも人員整理と同一に論じなければならなくなったのである。

かかる最高裁判決が2000年(平成12年)の時点で出された理由は、日本経済が、高度成長時代から1973年のオイルショック以降突入した低成長時代を経て、さらには衰退期を迎え、賃金ダウンの時代となることを、日本における賢者の組織である最高裁が予感していたからにほかならない。そして、前回俯瞰したとおり、この時期に始まった賃金ダウンの社会的状況をみれば、まさに最高裁の卓見と言うべきなのである。

本判決が踏襲した「第四銀行事件」(最判平9・2・28)および本判決によれば、労働条件の不利益変更に関する最高裁判例の判断の枠組みは次のとおりである。

(1)就業規則による一方的な労働条件の不利益変更は原則としてできないが、労働条件の集合的処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいって、当該条項に合理性がある場合には個々の労働者においてこれに同意しないことを理由として適用を拒むことはできない(企業の組織法性が雇用関係という債権契約性を凌駕する場面である:筆者注)、(2)特に賃金・退職金など労働者にとって重要な権利・労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成または変更については、当該条項がそのような不利益を労働者に法的に受任させるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容である場合において効力を生ずる、(3)その合理性の有無の判断は、①就業規則の変更によって労働者が被る不利益の程度、②使用者側の変更の必要性の内容・程度、③変更後の就業規則の内容自体の相当性、④代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況、⑤労働組合等との交渉の経緯、⑥他の労働組合または他の従業員の対応、⑦同種事項に関するわが国社会における一般状況―等を総合考慮して判断すべきであるとされている。

 

労使の対立を統合する

右判例理論が、不利益変更の合理性の有無を判断する具体的基準として①~⑦の項目を掲げた所以は、賃金を引き下げざるを得ない状況で企業の組織性を維持すべく「公明・公平・公正」を期するためには、どのような基準を念頭に置くべきかを説示したものである。

この点、いみじくもドラッカーが、(イ)賃金とは生産性や競争状況等の経済的な要因によって客観的に決定されるべきものであり、賃金の決定は本来は団体交渉・労使関係に馴染まない、(ロ)賃金を団体交渉の俎上に乗せるなら、労使に共通の価値基準が存在しない限り交渉は非難と反目に終わる―等と指摘するとおりであり(ドラッカー著『企業とは何か』参照)、まさに賃金の支給・需給の場面において利害が対立する労使を統合するためには、「総合考慮」という手法を用いるしかないことを、最高裁は判断基準の項目を詳細に示すことで明らかにしたと言ってよいだろう。

そして、この判例理論は、08年3月1日に施行された労働契約法10条に、基準となる項目を「労働者の受ける不利益の程度」「労働条件の変更の必要性」「変更後の就業規則の内容の相当性」「労働組合等との交渉の状況」の4点に整理した形で受け継がれているのである。

なお、判例は、前述のとおり賃金・退職金などの不利益変更については「高度の必要性」が要求されるとしており、賃金ダウンに当たっていかなる場合に経営上の高度の必要性が認められるかという問題がある。この点、当該企業が倒産の危機に直面していることおよび人員整理の必要性に迫られていることが「高度の必要性」の認められる典型例であるが、この他に、いわゆる成果主義型賃金体系の導入に伴って一部の者の賃金が下がることについて、東京高裁と大阪高裁が、労働生産性を高め当該企業の競争力を強化するための制度改定に「高度の必要性」があると認めていることに留意したい(ノイズ研究所事件=東京高判兵士18・6・22、ハクスイテック事件=大阪高判平13・8・30)。

 

大義名分書と想定問答

苦渋の選択として最後の最後に賃金ダウンを実行するに当たっては、窮状打破のために賃金ダウンが経営上高度に必要な施策であり、賃金ダウンの先に拓けるべき企業の将来像を、説得力ある「大義名分」で示すことが何よりも重要になってくる。

「大義名分」には企業の存続を図ることに向けた経営理念が十分に示され、精緻でかつ情感がこもっていなければならず、また前述のとおり判例上賃金ダウンには「高度の必要性」が求められることから、賃金ダウンの大義名分書は一般の労働条件の変更の場合より、一層緻密で説得的でなければならないといえる。

具体例を示すと、まず、(a)当該企業の沿革的背景、(b)現在の経営の窮状、(c)窮状打開に向けた諸施策の実行による経営努力の経緯と状況、(d)同業他社の状況、(e)労使交渉の経緯等を詳述したうえで、実行しようとしている賃金ダウンを含む人事制度改定が当該企業の存続を約束する施策であることを強く謳い、前述の最高裁判例が掲げる7つの基準にも適う「合理的な内容」であることを、デジタルな資料も駆使しながら説得的に論じるのである。さらに、そこに驕りがあってはならない。あくまで、従業員の「諦念」「納得」がなければ企業存続は叶わないという姿勢を貫かなければ、従業員の理解を得ることはできないからである。

賃金ダウンに当たっては、こうして大義名分書を明示することこそが書面による重要なコミュニケーションであり、さらには、想定問答の作成こそが高騰による必須のコミュニケーションの素材ということになる。賃金ダウンの大義名分書は、想定問答を作成することによってより内容が補完されるし、また、想定問答の作成は、従業員等を説得する立場である経営側自らの納得感を強め、自信を生むことにつながるのである。

想定問答としては、例えば、「10%賃金カットの根拠を示して欲しい」「経営責任はどうなるのか」「経営悪化は分かるが人件費以外に切り込むべきところがあるのではないか」「暫定的な施策ではなく賃金制度の改革により賃金が下がるのはなぜか」「賃金の引き下げで職場の士気がさらに削がれ、経営不振に陥ることについて社長はどのように考えているのか」―等々の設問を想定して、回答例を構築するのである。

しかし、賃金ダウンという逼迫した経営状況の中では、十分に練られた大義名分書や想定問答であったとしても、経営者が将来に向けての実績を示すことは極めて難しい。

そのため、本欄前回でも論じたとおり、経営者は日頃から豪奢に流れず、自らが経営活動において重視する姿勢・価値観・目的等(=経営理念)を従業員等に明確に示し、賃金の問題や評価基準にも経営理念を落とし込んでおく必要がある。さらには人間性の面においても信頼される存在となっていることが、最も重要な課題となってくるのである。

 

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