<イッピン>
萬鐵五郎記念美術館にて― 岩手県花巻市東和町
わずか41年の生涯ながら、独自の世界観を持つ画境を開こうとした萬鐵五郎。独特の自画像や裸婦像を思い浮かべる方も多いのではないだろうか。
今年は萬の没後90年に当たり、ゆかりの土地などで大規模な回顧展も催されている。
小生も秋晴れの岩手県花巻市を訪れ、萬鐵五郎記念美術館へと足を運んだ。
実は、7月9日の葉山の回顧展に続き、今年2度目である。
萬の生地である土沢が一望できる「舘山」。ここからの風景を萬はこよなく愛したという。その中腹に位置する美術館で、作品を巡りながら進むと、果たして最後の部屋の真ん中で堂々たる「裸体美人」が出迎えてくれた。東京美術学校の卒業制作であり、萬を世に出した作品だそうだ。
萬の作品には、その信条に裏打ちされた、見る者にうったえかける魂の力強さが溢れているように思う。萬の絵が、最初に出会った時から鮮烈な感動とともに忘れがたいのは、小生にとってはその印象的で独特の画風ゆえ、というだけではない。
小生は、美術はいささかかじった程度である。しかし、絵画から発せられる、何か画家の「エネルギー」や「息遣い」や「言葉」、「心もち」は感じられるように思うのだ。
萬が生きたのは、西洋の新しい美術運動である後期印象派、フォービスム、キュビスムが日本に紹介された時代だったそうだ。(セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン、マティス、ピカソ、といった画家たちがいる。)それに影響を受けつつ、それを吸収し、自身の表現方法を模索し続けて41年という短い生涯の中に自己の内面、魂を具現化した絵画を確立しようとしたのではないか。
すでに画家として活動していた萬が突然故郷である花巻に戻り、外からの刺激を遮断してひたすら絵の探求に打ち込んだ時期があった。その時、萬はこんな言葉を残しているという。
「あらゆる周囲と戦い、いろんな関係を切り離して、ここに自由に製作しうるごく僅かな機関を作った。作画以外に少しの時間もエネルギーも費やしたくない」
「吾々は自然を模倣する必要はない。自分の自然を表せば良いのだ。円いものを描いたとすれば、それは円いものを描きたいからなので、他に深い意味も何もない」
こうも言う。
「画家は明日を憂えてはならない。今日 今 最も忠実でなくてはいけない」
「画家は」を言い換えれば、それぞれの日常を生きる我々にも頷いて思い当たることがあるように思う。それを貫き通せるかどうか。
萬が向き合ったのは、常に自分自身であったのだろう。難しいことだが、そのことに飢え、時に悶え苦しみながら強く絵画を追究し続けた姿を想像するのだ。
しかし、それこそが成しえなかったことを遂げようとする幸福でもあり、「日本近代絵画の先駆者」と称され、海外でも高い評価を得るに繋がったのではないかと思う。
萬の作品には魂の力強さを感じる。言い換えれば、強さを与えられるような気がする―。
小説家であり、「気まぐれ美術館」等の美術エッセイでも名を知られる州之内徹氏は、
「いい絵とは何か?一言で答えなければならないとしたら、盗んでも自分のものにしたくなるような絵である!」と言った。我が意を得たり、小生にとっても萬の作品はまさにそれである。
心に語りかけてくる精神世界をもった、小生にとってのイッピン(逸品)である。
追記:
訪れた「萬鐵五郎記念美術館」は萬鐵五郎を顕彰するため、萬の没後57年目の1984年、生地に開館した町民手作りの美術館であると聞いた。
様々な企画展等で萬の世界観を後世に伝える努力、取り組みをされていることの尊さを思う。その画家とともに、地域が誇るべき美術館である。