<イッピン>
映画 「ラストレシピ -麒麟の舌の記憶-」
見終わってしばらく、大きな感動とともに遠い日のことを思い出していた。
弁護士となって1年が過ぎた昭和39年頃、ちょうど佐久間良子と三田佳子がニューフェイスとして登場した時代だったと思う。小生は、縁あって東映株式会社・太秦撮影所の担当をしていた。その後、アメリカ映画のメジャー会社13社も担当することとなったが、これはなかなかの難事業で、会社の小さな試写室で仮眠をとりながら、徹夜での交渉事も珍しいことではなかった。
試写が続く側で眠り、映画の山場で聞こえてくる音楽に目を覚まして仕事に向かう、という日々が5年間続いた。
一方撮影は午前2時頃から始まる。まさに草木も眠る丑三つどき、みな、口々に「おはようございます!」と現場入りするのだ。今ならブラック企業などと一刀両断されそうな世界かもしれぬが、それで映画ができ、世に送られ、人々を楽しませた。
仕事とはいえ、映画製作の現場を間近で見聞きした体験は、小生に映画づくりの並々ならぬ大変さと、そうしてつくられた映画がいかに人に感動を与えるものかを知らしめてくれた。
「ラストレシピ」の物語は、究極の料理を求めて過去と未来を行き来する。その中で描き出された人生の哀感とともに、人生の哲理を知る、ということを改めて身に染みて感じた。
何事も成そうとすれば何かを犠牲にしなければならない、しかし、そうやって生きた証は時代を超えて誰かの力となり、助けとなることもある――。
時代を別の角度から見ることによって輝きを増すこの物語に、身体じゅうから何かの思いが湧き出るような気持ちで観入った。
「理動・知動はなくして感動あるのみ」とは、小生の信条でもある。まさに理屈ではないものに深く心を揺さぶられた。
昭和39年のあの頃、ただただ仕事に、寝食を忘れて心血を注いだ。それはまさに全人格で心を尽くし、人に、仕事にぶつかることで得た感動をエネルギーに換え、生きようとすることだったように思う。
「ラストレシピ」は、そんなことを思い出させてもくれた。人間のリアリティーのようなもの、人として大切なことをも描き出した「イッピン」であった。
追記:いつもは映画の音声に過剰に反応してしまう耳の故障が全く気にならなかった。
それほどに心動かされたということであろう。
「ラストレシピ」は、その評判を事務所の若い人たちから側聞し、足を運んでみる気持ちになった。
感謝したい。